ここ数日、かなりの多忙になってしまっていたところの、久々の書き込みだ。
さて、今日、朝からメディアを賑わしている話題。
尖閣諸島問題のビデオ流出のニュース。
一部の国会議員にのみ公開された問題のビデオ。
そのビデオよりも、尺の長い映像が、動画投稿サイトYoutubeに投稿された。
投稿されたのが、昨日の夜21時。そして今朝の7時には、投稿が削除され、投稿者のアカウントも削除されていたのだとか。
その約10時間の間に、インターネット上で公開され続け、世界中に配信された。
今もなお、その公開された間に複製された映像が拡散し続けているようだ。
さて、今朝からの一連のメディアでは、情報管理の杜撰さを指摘する報道があるが、今回の騒動は、インターネットというメディアの特徴が、良くも悪くも露呈した感じだ。
こうした内容の情報は、特に拡散しやすい。
そして、いったん公開されてしまった情報は、拡散後、そう簡単には収拾がつかなくなってしまう。
我々は、今、こうした情報が拡散しやすい環境にいるということを忘れてはならない。
メディアは、政府の情報管理を指摘しているが、これは政府に限らず、企業や学校、家庭から個人と、どんな環境においても同じことが言える。
常に繋がっているというネット環境。
いいかえると、常に、ボーダレスな世界が、直ぐそこで繋がっているともいえる。
しかも、その世界の顔は、見えるようで見えない。
情報漏洩をさせない仕組みを作ることは勿論大切であるが、そうした環境において、そこにいる人々が、どう行動すべきかということも、同時に考える必要があるのかもしれない。
どんなに凄いシステムを構築したとしても、それを運用するのはあくまでも人間。
そこに漏洩させる意思がある人がいれば、必ず漏れるものなのだから。。。
情報を目利きする
日常生活の何気ないことから、企業経営に至るまで、世の中にあふれる「情報」を様々な角度で、アーキレッジ株式会社の後藤秀行が語ります。 「情報アーキテクチャ」「コミュニケーションデザイン」「ユニバーサルデザイン」「ナレッジマネジメント」など、幅広く扱ってみたいと思います。
2010年11月5日金曜日
2010年10月18日月曜日
125年目を迎えた特許制度。
今年で特許制度が出来てから125年。
本日、これを記念する式典が東京都内で行われた。
125年前、日本の第一号の特許は「防錆塗料」なのだとか。
それから今年で125年になるこの制度、「産業財産権」制度は、明治18年に現在の特許法にあたる「専売特許条令」なるものが公布されたことに始まる。
この「産業財産権」は、特許権、実用新案権、意匠権、そして商標権の4つの権利から成り立っている。
明治、大正、昭和、平成と時代は移り変わり、これまで約400万件を超える発明が特許として認められてきたのだという。
ところが、この特許の出願件数は、アメリカや中国は、継続的に増加している一方で、日本では、平成13年をピークにして、ここ数年減少傾向。
特許庁は、審査に関わる時間を短縮化するなどして活性化を図ると報じられているが、果たして、これで出願件数は増えるだろうか。。
私としては非常に疑問だ。
以前に比べて、新興国も台頭し、技術革新もグローバルな視点で以前にも増したスピードで行われている。
そんな中で、いかに新しい発想、新しい着眼点、創意工夫出来る土壌、こうしたことを生む環境が無ければ、恐らく出願件数は増えないのではないだろうか。
更に、大手企業よりも、中小企業が特許の取得率が上がるような仕組みが必要だと私は思う。
経済産業省が「無形資産価値」に関する企業評価についてのガイドラインを制定し、金融機関への普及活動にも取り組み始めているようだ。
円高が進み、産業の空洞化が進む一方で、モノづくりに関わる中小企業が生き残るためには、価格競争を「耐え抜く」だけでなく、新たなものを「創造できる力」が特に必要だ。恐らく、円高傾向は、このままだと年内進むだろう。過去の最高値を超えるのは時間の問題。
価格競争を「耐え抜く」ための効率化や合理化だけでなく、新たな市場・ニーズを生み出す「新ビジネスの創造」へ、あらゆる業界が積極的に取り組まなければならない、切羽詰まった時代を迎えていると思う今日この頃だ。
本日、これを記念する式典が東京都内で行われた。
125年前、日本の第一号の特許は「防錆塗料」なのだとか。
それから今年で125年になるこの制度、「産業財産権」制度は、明治18年に現在の特許法にあたる「専売特許条令」なるものが公布されたことに始まる。
この「産業財産権」は、特許権、実用新案権、意匠権、そして商標権の4つの権利から成り立っている。
明治、大正、昭和、平成と時代は移り変わり、これまで約400万件を超える発明が特許として認められてきたのだという。
ところが、この特許の出願件数は、アメリカや中国は、継続的に増加している一方で、日本では、平成13年をピークにして、ここ数年減少傾向。
特許庁は、審査に関わる時間を短縮化するなどして活性化を図ると報じられているが、果たして、これで出願件数は増えるだろうか。。
私としては非常に疑問だ。
以前に比べて、新興国も台頭し、技術革新もグローバルな視点で以前にも増したスピードで行われている。
そんな中で、いかに新しい発想、新しい着眼点、創意工夫出来る土壌、こうしたことを生む環境が無ければ、恐らく出願件数は増えないのではないだろうか。
更に、大手企業よりも、中小企業が特許の取得率が上がるような仕組みが必要だと私は思う。
経済産業省が「無形資産価値」に関する企業評価についてのガイドラインを制定し、金融機関への普及活動にも取り組み始めているようだ。
円高が進み、産業の空洞化が進む一方で、モノづくりに関わる中小企業が生き残るためには、価格競争を「耐え抜く」だけでなく、新たなものを「創造できる力」が特に必要だ。恐らく、円高傾向は、このままだと年内進むだろう。過去の最高値を超えるのは時間の問題。
価格競争を「耐え抜く」ための効率化や合理化だけでなく、新たな市場・ニーズを生み出す「新ビジネスの創造」へ、あらゆる業界が積極的に取り組まなければならない、切羽詰まった時代を迎えていると思う今日この頃だ。
2010年10月17日日曜日
自然界から学ぶもの。。
今日は、月に一度の地域の緑化活動日。「グリーンデー」と称して、地域の組合主催で周辺の樹木の手入れ、草の刈り取り等を行う。
中々の重労働。しかし、日々デジタルな生活をしている人間にとって、自然に触れるのも良いかもしれない。
ところで、最近では、その自然と触れ合うことも激減しているようだ。
■小中学生の自然離れくっきり 虫捕り・遊泳の体験激減 (asahi.com)
昆虫はデパートやスーパーで購入するもの。
そんな時代になってしまったようだ。
私が子供のころ過ごした地域は、新興住宅街で宅地開発中。まだまだ自然は多く残っていた。そうした私自身が生まれ育った所さえ、今では、マンションが立ち並ぶ街へと変貌。当時の雰囲気は、まったく面影も無い。
ところで、ビジネスでの発想には、自然界から学ぶことも多くある。
直近では、イグノーベル賞で粘菌で都市鉄道網のインフラ整備を研究するグループが、交通計画賞を受賞したことが話題になった。
■The Ig Nobel Prizes (主催:Annals of Improbable Research)
これ以外の身近なものにも、沢山自然界から学んでいる事例が存在する。
日頃、多くの人が利用している新幹線の流線形。これも流体力学の知識により形作られているが、そもそもの形は、細長いくちばしをもつハチドリや、カモノハシの口の形から発想されているのも、その一例だ。
新たなモノの発見や発想。
それは、まだまだ自然界の中に、ヒントが隠されているのかもしれない。
たまには、自然に足を運んでみるのもよさそうだ。
中々の重労働。しかし、日々デジタルな生活をしている人間にとって、自然に触れるのも良いかもしれない。
ところで、最近では、その自然と触れ合うことも激減しているようだ。
■小中学生の自然離れくっきり 虫捕り・遊泳の体験激減 (asahi.com)
昆虫はデパートやスーパーで購入するもの。
そんな時代になってしまったようだ。
私が子供のころ過ごした地域は、新興住宅街で宅地開発中。まだまだ自然は多く残っていた。そうした私自身が生まれ育った所さえ、今では、マンションが立ち並ぶ街へと変貌。当時の雰囲気は、まったく面影も無い。
ところで、ビジネスでの発想には、自然界から学ぶことも多くある。
直近では、イグノーベル賞で粘菌で都市鉄道網のインフラ整備を研究するグループが、交通計画賞を受賞したことが話題になった。
■The Ig Nobel Prizes (主催:Annals of Improbable Research)
これ以外の身近なものにも、沢山自然界から学んでいる事例が存在する。
日頃、多くの人が利用している新幹線の流線形。これも流体力学の知識により形作られているが、そもそもの形は、細長いくちばしをもつハチドリや、カモノハシの口の形から発想されているのも、その一例だ。
新たなモノの発見や発想。
それは、まだまだ自然界の中に、ヒントが隠されているのかもしれない。
たまには、自然に足を運んでみるのもよさそうだ。
2010年10月12日火曜日
メールや携帯がもたらすデメリット
メールと携帯の功と罪について、このブログでも何度か取り上げてみたことがあるが、今回は「罪」と仕事の段取りというものを考えてみたい。
日々の仕事において、電子メールと携帯電話は当たり前のように、ビジネスツールとして利用しはじめて、早10年強。
このビジネスツールが、仕事の仕方に、「とある影響」を及ぼしているのではないかと私はつくづく思うのである。
その「とある影響」とは、仕事に対する「段取り力」というもの。
電子メールや携帯電話は、それ以前のコミュニケーションツールと比較して、「いつでも、どこでも、情報のやり取りが行える」という特徴を持つ。
この特徴である「いつでも」というものが、仕事の「段取り力」というものに対する「衰え」に影響させているのではないかとつくづく感じるのである。
十数年前まで、携帯電話がそれほど普及していない固定電話だけの時代、相手とコミュニケーションを取るためには、それなりに、相手のスケジュールや行動というものを意識して対応しなければならなかった。
また、更に、相手が固定電話が存在する場所にいなければ、コミュニケーションを取ることが出来ない。コミュニケーションを取ろうとすれば、予め相手の行動の先手を取った段取りをしておかないと、相手を捕まえることさえ難しくなる。
一方、携帯電話や電子メールは、相手のシチュエーション、状況というものをそれほど意識しなくても情報を「伝送」させることは出来るのだ。
当然、従来のような「相手の行動の先手を取る」という意識は、自ずと薄れてくるだろう。
こうしたことが積もり積もって、日々のタイムマネジメント、相手の行動を考えた段取りというものを意識しない仕事をする人が増えてしまっているのではないだろうか。
中々、抜け出せない不景気のこの時代。
経済的な側面だけでなく、こうした「仕事のスタイル」の質の低下も、抜け出せない要因の一つにでもなっているのではなかろうか。
こうした仕事のスタイルは、長時間労働にもつながり、肉体的・精神的へのダメージにも繋がりかねない。
自分自身の仕事も振り返りつつ、仕事の「段取り」というものをあらためて考えてみたい今日この頃だ。
日々の仕事において、電子メールと携帯電話は当たり前のように、ビジネスツールとして利用しはじめて、早10年強。
このビジネスツールが、仕事の仕方に、「とある影響」を及ぼしているのではないかと私はつくづく思うのである。
その「とある影響」とは、仕事に対する「段取り力」というもの。
電子メールや携帯電話は、それ以前のコミュニケーションツールと比較して、「いつでも、どこでも、情報のやり取りが行える」という特徴を持つ。
この特徴である「いつでも」というものが、仕事の「段取り力」というものに対する「衰え」に影響させているのではないかとつくづく感じるのである。
十数年前まで、携帯電話がそれほど普及していない固定電話だけの時代、相手とコミュニケーションを取るためには、それなりに、相手のスケジュールや行動というものを意識して対応しなければならなかった。
また、更に、相手が固定電話が存在する場所にいなければ、コミュニケーションを取ることが出来ない。コミュニケーションを取ろうとすれば、予め相手の行動の先手を取った段取りをしておかないと、相手を捕まえることさえ難しくなる。
一方、携帯電話や電子メールは、相手のシチュエーション、状況というものをそれほど意識しなくても情報を「伝送」させることは出来るのだ。
当然、従来のような「相手の行動の先手を取る」という意識は、自ずと薄れてくるだろう。
こうしたことが積もり積もって、日々のタイムマネジメント、相手の行動を考えた段取りというものを意識しない仕事をする人が増えてしまっているのではないだろうか。
中々、抜け出せない不景気のこの時代。
経済的な側面だけでなく、こうした「仕事のスタイル」の質の低下も、抜け出せない要因の一つにでもなっているのではなかろうか。
こうした仕事のスタイルは、長時間労働にもつながり、肉体的・精神的へのダメージにも繋がりかねない。
自分自身の仕事も振り返りつつ、仕事の「段取り」というものをあらためて考えてみたい今日この頃だ。
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