2010年7月31日土曜日

企業は、クラウドとどう付き合うべきか

先日、とあるクラウドサービスのイベントに参加する機会があった。

そのイベントの中で、Google社の担当者の講演を聞くことが出来た。

その講演の中で、話されていた印象に残った内容を一つ。
それは、Google社が注目している、3つの大きなコンピューティングトレンドというもの。

その内容とは、次の3つだそうだ。

  1. コンシューマーテクノロジーの急成長
  2. モバイルインターネットの爆発的な拡大
  3. クラウドコンピューティングの発展

この3つのポイントを紹介していた。

1の「コンシューマーテクノロジーの急成長」とは、こうだ。
従来のコンピューティングテクノロジーは、コンシューマーよりもビジネスシーンで利用されるもののほうが、優れていた。しかし、ビジネスシーンでは様々な制約が課される中、いつの間にかコンシューマー側のほうが技術はより早く進化し、ビジネス環境でPCを利用するよりも、自宅で使用する環境のほうが進んでしまっているという現状。

例えば、簡単な例を一つとってみると、インターネットを閲覧するブラウザも、大企業のネットワーク環境下では、バージョンアップすら容易には出来ない。しかし、自宅ではこうした制限は無く、常に最新のバージョンのソフトウェアを使用することが出来る。
更に、YouTube、Twitterなどの各種サービスも、ビジネスシーンでは、アクセスすら禁止されている所もある一方、自宅では自由に利用出来る。
このような背景で、コンシューマーテクノロジーは急成長しているというのだ。

2の「モバイルインターネットの爆発的な拡大」は、とある統計数値が物語っている。
2010年度のスマートフォンの出荷台数がPCを上回っているのだ。
モバイルといっても、従来の携帯では無く、ビジネス仕様に耐えうるスマートフォン。
このスマートフォンの出荷台数が増えているということは、ビジネスのスタイルも根本的に変える可能性を秘めているのだ。

そして3つ目。
クラウドコンピューティングの発展。

クラウドは、2005年から06年ごろはコスト削減、2007年から08年はスピードとイノベーション。そして2009年から10年はビジネスの質的な転換として捉え始められているというもの。つまりITに対する考え方が根本的に大きく変わり始めているというのだ。


さて、私はこの3つ目が、日本のビジネス界でどう捉えられるか、その捉え方次第で、今後のビジネススタイルが、グローバルトレンドに則して発展するか否か、問われているのではと思っている。

特に、日本のビジネスでは、目に見れる「有形物主義」礼賛なところがある。
データ管理も、自分たちの目に見える所、手に届く所にあってこそ安全だという思想がある。これが、一番、現在のクラウド導入の妨げになっているのが事実。

しかし、これが本当に安全なのだろうか。

イベントで、非常に分かりやすい例えを紹介していた。それは、現金の管理。
自宅のタンスで現金を管理しているのと、銀行に預けて管理をしているのと、どちらが安全かとうもの。

最近発生しているセキュリティの事故のほとんどは、自社の関係者が悪意をもって行われているものがほとんど。
売上規模が数億、数兆に及ぶデータを預かる専門企業が、自社に悪意を持った社員を置くであろうか?置いた途端に、そのビジネスは破綻する。


さて、恐らく今年は、そうしたビジネスの本質を変える要因が世に出始めた元年になるだろう。
クラウドだけでなく、各種デバイスやソーシャルサービスなど、新しいものが出現している。

これらに対して、どうビジネスに取り組むか。
企業のセンスが非常に問われるのだろう。

2010年7月30日金曜日

「機械」というものをどこまで信用するべきか。。。

最近、様々な場面で、機械による判断をするということが多くなった。
センサー技術の発展によるもの。

ドアの開閉や防犯ライトなどの人感センサー、ガスコンロの火の消し忘れ防止のための温感センサー、液晶パネル等に組み込まれているタッチセンサー、ノートパソコン等の指紋認証などなど、ちょっと見渡してみても様々なセンサー技術を目にする。

そんな中で、こんな記事を見つけた。

顔認証たばこ自販機、中学生「顔しかめたら買える」(asahi.com)


タバコの購入のためにTASPOカードが導入されると同時に増え始めた年齢認証機能付きのタバコ自販機。

そのタバコ自販機で、中学生がしかめっ面をするとタバコを購入出来てしまうというニュースだ。

ソフトウェアの不具合としているが、所詮、機械もそもそも人間が作り出したもの。100%では無い。

以前、高層ビルの回転ドアで、センサーが上手く作動せず子供が死亡した事故があった。先日、九州のゲリラ豪雨でも、地下道の増水に対して警戒センサーが作動しないということもあった。

これらを見ても、機械に頼り過ぎるのも、禁物だと言わざるを得ないだろう。

例え、高精度のセンサーを設置していたとしても、きちんとメンテナンスしておらず放置していれば、作動しないこともあるだろう。


さて、ここ30年程度で、様々なものが機械化され、効率化・合理化されるようになった
そして、我々の生活も、それが「当たり前」のように考えるようになった。


エレベーターやエスカレーターも、自分自身が子供のころ、親から「危険なモノ」としてきつく注意されたものだ。しかし、今では、「あって当然」「安全であるのも当然」のように考えられているのだろうか、事故も多いように感じる。


機械は、所詮、人間が作り出したもの。
「全てを過信」するのではなく、常に一歩引いて、冷静に客観的に考えてみる「目」もどこかで必要なのだろう。

2010年7月29日木曜日

電子書籍の話題が、今年の年初から取り立たされ、早、半年。

各種、多機能端末の発売が相次ぎ、様々なメディアでも特集が組まれる昨今、電子出版のルール作りが急がれている。


電子出版で協議会設立 印刷2社が音頭「日本文化守る」(asahi.com)


こちらの記事、電子出版の環境整備を確立するために、「電子出版制作・流通協議会」なるものが設立されたとのこと。

実は、現在の電子出版に関して、そのルールというものは存在していない。
様々なフォーマットが乱立している状態だ。

私の周囲でも、最近電子書籍にに関するプロジェクトの相談を受けるようになっているが、やはりこの部分で一つの壁にぶち当たる。

どのようなフォーマットにすべきか。。。

そして、電子書籍のもう一つの壁が「日本語」そのもの。

多機能端末は、特にiPadなどは、アメリカで開発されている。つまり、英語圏。
自ずと、英語を軸にしたインターフェースで考えられたものになっている。

一方、日本語は英語と異なり、文字組みは「タテ書き」と「ヨコ書き」と2種類存在する。また、禁則処理等の特殊なルールもある。


海外に目を向けても、アラビア語のように、「ヨコ書き」で文字は右から左へ流れるなどの特徴を持っている言葉もある。


ITの基本技術は、英語を軸とした欧米が先行して開発されているものが多い。
そのため、日本語等のローカライズの視点が必要になる。


さて、日本語は、世界的にも非常に特徴のある言語とされている。
文字一つとっても、「ひらがな」「かたかな」「漢字」「ローマ字」「数字」と様々な種類の文字を取り扱っている。これだけの種類を操る民族も珍しいらしい。

更に、これだけの種類の文字を取り扱うだけあって、インフォメーションデザインの観点からも、デザインする側にとっては、ハードルが高くなるのだ。


IT技術の進展は、英語圏の国々が主体となって開発されているものが多々あるが、こうした、日本語のような特殊な言語圏を持つ国々の視点にもたちつつ、是非、開発してもらいたいものだ。
そのためにも、日本が、ガラパゴス的な技術立国にならないように配慮しつつ、世界的な視点を持ちながら「創造的な技術開発」というものが、まだまだ期待されるところなのかもしれない。

2010年7月28日水曜日

緊急情報もツイッターで

連日の猛暑。今日も暑かった。

ところで、ここのところの猛暑で、普段より様々気象情報が飛び交っている。

日中は、光化学スモッグ注意報。
夕方から夜になると、雷注意報やゲリラ豪雨に関する情報等。

そうしためまぐるしく変化する気象により起こされる災害を防ぐために、新しい形で防災情報を流す取り組みが始まったようだ。

災害情報、リアルタイムで「つぶやき」発信 国や自治体(asahi.com)



国や自治体が、防災情報をリアルタイムに発信するのに、Twitterを活用するというもの。

消防庁のツイッターサイトでは、災害情報を次々と発信し、先日24時間運用になったのだという。周辺の被害状況や救援要請を投稿も出来るとのことだが、誤った情報が流されないように工夫もされているのだとか。

総務省消防庁のツイッターアカウント


さて、こうした取り組みは非常に評価したい。

しかし、個人的には、従来からある情報伝達の手法も残しておいてほしいという願いもある。

先日、防災ヘリが墜落した。滑落した登山客を救援するために出動したそうだが、その登山客自身は、救援を要請する際に携帯電話を利用したそうだが、滑落した場所は圏外だったそうで、電波の繋がる場所まで移動しての要請だったのだという。


緊急事態は、いつ、いかなる場合に起きるかわからない。
必ず、インターネット通信が行える環境であるとはいえない。

そうした場合、従来の防災無線などの情報伝達が有効な場合さえある。


新しい技術ばかりに依存するのではなく、既存の技術も活かしつつ、両者が共存し、より良く活用出来るよう、常に考えるように我々は心がけるべきだろう。

2010年7月27日火曜日

多国語化する、街中のインフォメーションデザイン

コミュニケーションのグローバル化を感じる事例を一つ。

案内表示、中国語や韓国語でも JR東海の新幹線・駅に(asahi.com)


JR東海の駅での案内表示が、中国語や韓国語対応となるもの。

ここ数年、各所にこうした多国語対応の案内表示が増えてきた。

駅ターミナルの案内、商業施設での案内表示など、至る所で目にするようになった。
ちなみに、写真は、東京メトロ渋谷駅の表示案内。



さらに観光立国を目指す日本、東京ではこんな路線バスも走っている。


東京下町バス(東京都営 観光路線バス)

こちらは、東京都営バスの観光客をターゲットとした観光路線バス。
料金は、通常の運賃で、両国や浅草、秋葉原といった都内の観光スポットを路線ルートとして運行している。SuicaやPasmoも、勿論使える。

このバスの表示も、路線バスとしては珍しい液晶画面に、先の案内表示同じく、日本語、英語、韓国語、中国語で表示されている(写真)。
さらに、音声アナウンスも、4ヶ国語で放送しているから驚き。一つの停留所のアナウンスも、伝えきるまで結構な時間を要するのだ。


さて、私自身、IT関連の仕事をしていても、多国語対応のシステム開発のニーズをお客様から受けることが多くなっている。また、研修のサービスでも、グローバル化のニーズが出始めているのも事実。


一つの情報を取り扱うにしても、その情報を利用する人間がグローバル化し、言語対応も複雑になり始めてきた。

もしかすると、こうした時代だからこそ、これからは、言語に左右される文字情報よりも、数字やピクトグラムといった、出来るだけ「ユニバーサルに情報伝達できる手法」というものが、確立されなければならない時代が到来し始めているのかもしれない。

2010年7月26日月曜日

作業を見積もってみるということ。。

作業を見積もるということ。

これは、様々な業務でも、よく行うことだ。所謂、作業見積というもの。


「将来」に向けて行う作業について、どの程度の作業時間がかかるか見積もるという行為は、その見積もる人間によって、その手法は様々だ。


更に、その作業内容がルーチンワークでは無く、初めて取り組むプロジェクトごとに見積もる場合は、なかなかスキルが必要なものとなる。


例えば、システム構築のプロジェクトの作業を見積もるという場合。

ある人は、詳細な仕様を決定して、それを基準に初めて見積ることが出来ると言う人。

また、ある人は、前提条件を自ら仮説を立てて構築し、それを基準に見積もるという人。

どちらも、同じように見積もることは出来る。

前者であれば、精度の高い見積りが行えるだろう。
後者であれば、前提条件を見誤れば、後々にそのしわ寄せが出てしまう。

一方で、プロジェクトを推進するという意味で考えた場合は、少し異なる。

前者は、詳細な仕様が決まらなければプロジェクトは前に進めにくい。
後者であれば、条件を付けながらも、おおよそのスコープを構築することが出来、プロジェクトを前進させることが出来る。


特に、後者の場合、過去の経験値の積み重ねでナレッジが蓄積されていれば、より精度の高い仮説を構築でき、対応できるだろう。しかし、経験値が不足していれば、その仮説を見誤るリスクも高まる。


さて、どちらにしても、まず重要なのがプロジェクトのゴール・目的の明確化。

往々にあるのが、プロジェクトの「手段」が「目的」と勘違いしてしまっているケース。この「手段」がゴールや目的として、独り歩きしてしまうと、後々になって「失敗」という二文字にぶち当たってしまう。


まずは、このゴール・目的を明確化し、チーム全員で共有。

そして、それを基準に前者のタイプで見積もるのか、後者のタイプで見積もるのか。
それぞれ、プロジェクトにおける見積もる側が置かれた役割によって選択してみるのも良いのではないだろうか。

ただし、プロジェクト終了後、そのプロジェクトを振り返り、ノウハウとして蓄積していかない限り、同様の作業を行う場合、スピーディーで精度の高い後者のタイプでの見積は行えないのかもしれない。


2010年7月25日日曜日

「公共性」における、「匿名性」を考える

昨日の本ブログで、「情報化」というものを取り上げて見た。

今日も、その「情報化」に関わりそうなテーマの記事を見つけたので取り上げて見たい。

時代の風:公共性と匿名性=精神科医・斎藤環(毎日.jp)


日本人の「公共性」と「匿名性」について、精神科医斎藤先生による寄稿。

最近の駅員への暴力や満員電車における痴漢を例に、日本人の「公共性」と「匿名性」の特異性を説明。

さらに、2ちゃんねるなどの匿名掲示板における書き込みについても触れ、匿名性が高いほど人間の攻撃性が誘発されることを指摘。


さて、昨日の「情報化」において、日本人は情報に対する受け身がちだと指摘したが、匿名環境下では、やや異なるようだ。

匿名環境になると、どうやら、たちまち情報発信量は多くなるようだ。

匿名環境下でのオンラインコミュニティは、実名環境よりも情報のトラフィックが多い。情報のトラフィックが多いだけあって、情報の質にも差が大きく出てしまう。
匿名環境下における情報を、すべて否定するわけではないが、情報の真贋も見極めなければならないことが求められる。


「匿名性」という環境下での情報は、あくまでも「仮面をかぶった個人」による情報。

その個人が、どのような思惑で情報を発信しているのか、情報を取り扱うものとしては注意したいところだ。

ただし、ここ数年のインターネットメディアの動きをみていると、匿名性から実名性への流れが出来上がっているのも事実。
恐らく、海外の動きにあわせての流れだと思われる。
こうした海外のうねりの中で、私たち自身は、公共性のなかでの「匿名」での行為というものを、もう一度見つめ直してみないといけないのではなかろうかと思う。