2009年10月10日土曜日

集合知を活用するナレッジ起点の時代は着実に近づいている

今日は、10月6日から千葉・幕張メッセで開催されている CEATEC JAPAN 2009 に足を運んでみた。
CEATEC に訪れるのは、久しぶり、土曜日とあって親子づれもちらほらと。。



さて、大規模なビジネスショーとあって、本当に数多くのブースが展示されていたが、その中で印象に残ったものを。。。

まず、本日訪れたのは、ビジネス&ソサエティゾーンに出展していた、独立行政法人情報通信研究機構さんのブース。

その中でも、ユニバーサルコミュニケーションのコーナーは、大変興味深い。





まずはじめは、「概念辞書」というもの。

WEB上の情報を自動的に獲得して、多様な意味関係を意識しながら「生きた辞書」を構築するというもの。有機的に、言葉と言葉の意味関係の関連づけが行われていくという感じである。現在は、180万語、目標としては広辞苑の10倍である、250万語を考えているらしい。

http://www2.nict.go.jp/x/x161/
http://www.alagin.jp/


もうひとつ。
「Web情報信頼性分析システム WISDOM」というもの。

こちらは、インターネット上に発信されている情報コンテンツを、多面的に分析をして、その情報自身の信頼性を判断を支援させるというのだ。
実際に、画面を見せて頂いたが、WEBコンテンツ内の情報に関する評価(肯定的、否定的)、広告の掲載、プライバシーポリシーなど、多角的に診断して、その情報の信頼性を図るための支援情報を掲載するというらしい。(直接的な信頼性を表すものではなく、あくまでも支援ツール)。

確かに、検索エンジンでサイトを検索した際に、そのサイトがどういう意図で運営され、どういう細工がされているか、実際に閲覧するまで分からない。
こうした、信頼の根拠となる情報を、検索結果段階で確認できるというのは、非常に面白いかもしれない。

下のURLでβ版が体験できる。
http://wisdom-nict.jp/


また、このほかに、
「ナレッジクラスタシステム」というものもあった。

これは、世界中のネットワーク上の「知識」を様々な情報源から獲得し、それらを、文脈に応じてつなげ込み、網羅性高く検索できるというもの。
専用のブラウザで閲覧する形であるが、UI的にも相関関係が3D的に表現されるなど、映画のマトリックスを見ているような感じで面白いものであった。

http://kc.nict.go.jp/project2/


全体的に、やはりクラウドの概念が様々な技術開発を後押ししているなという印象をもち、様々な地点に散在する「知識(ナレッジ)」を有効的に活用できる時代が、一歩ずつ進んでいるのだなと、本日ブースを見学して、こうした印象を受けたのだった。

2009年10月9日金曜日

街で見かけた「見える化」策 ~鉄道編~

今日は、仕事で移動中のひとコマ。

みなさんも、電車の駅プラットフォームで、こんなラインを見たことあるひとも多いのでは?



これは、とあるJRの駅のホームの最後尾で撮影したものだ。
赤色のラインと緑色のライン。そして、「8」と「10」の数字。

駅の最後尾でこうした情報を利用する人と言えば、、、そう、電車の車掌さんである。

これは、何を表しているかというと、車掌さんが電車の停車位置を確認するための標識の一つである。「8」や「10」の数字は、電車の車両の編成数を表している。
電車が停車位置を過ぎて、オーバーランしていないかを、一目で認識できるように工夫しているものだ。


電車の運転をしている、運転士側にももちろん停車位置の標識はあるが、ドアの開閉を行う車掌側にも、こうした標識を用いることによって、より安全確保に取り組んでいる。二重三重の安全対策の一つだ。

この写真のポイントは、ラインの長さが停車位置の許容範囲になっていること。
安全の範囲を、直観的に示すためにもわかりやすい表現の事例かなと考えられる。


毎日の風景の中に、こうした「モノ」「形」「色」等で情報を伝達しているものは、非常に多岐にわたる。

暇な時に、こうしたものを観察してみるのも面白い。

最後に、一つ気になったことを。

この標識のライン、「赤」と「緑」を使用している。この配色、実は、色弱の人には判別しにくい色であることは、改善の余地があるのかなと。。。

2009年10月8日木曜日

チャップリンのDVD、消える。。。

本日、最高裁でとある判決が下された。
内容は、格安DVDの販売をめぐって、著作権の保護期間が継続しているかが争われたものだ。


具体的には、かの有名な喜劇王「チャップリン」の9作品「独裁者」「モダン・タイムス」「街の灯」などの映画の著作権の保護期間が争われていた。今日の結論は、著作権の保護期間は継続しており、DVD制作会社の上告を棄却したということだ。判決理由は、「旧著作権法上、映画の著作者は、全体的な映画作りに創作的に寄与したのは誰かを基準に判断すべき」ということで、旧著作権法にのっとり、著作者が個人の場合は死後38年まで保護が認められるということだ。

私自身、映画は好きであるし、安価にDVDを購入できることは非常に喜ばしいが、一方でこうした著作物に対しても、きちんと守ってほしいという思いもある。


欧米と比較して、日本企業や日本の消費者は著作物というものに対して、非常に軽んじているのではというのが、長年、制作やシステム開発に近い仕事をしていて感じているところだ。これは、著作物を作る側、受け取る発注側両方に対して言えることだ。


受け取る側は、どういうものが著作権が発生するのか、また、制作する側は何をもって著作権を主張できるのか、、もう少し、日頃から興味を持っても良いものではないかとも感じている。


ここで、豆知識として押さえておくと、著作権が法律で対象とされるのは、簡単にまとめると、以下の条件を満たさなければならない。



(1). 思想、または感情をあらわしていること
(2). 創作的であること
(3). 表現した物であること
(4). 文芸、学術、美術、又は音楽の範囲に属するものであること



まぁ、ここで法律の話になり硬い内容にはしたくないので、このへんに留めておきたいが、要は、人が、新たに創造したもの、創作したもの、発想したもの、表現したものに対して、もっと敬意を払うべきなのではないか、ということを提言したい。


実は、本日上記の判決以外にも、同じようなジャンルで、ファイル交換ソフトが著作権侵害行為にあたるかどうかということの判決も出ていた。
こちらは、このファイル交換ソフトの開発者が著作権侵害ほう助罪に問われる範囲は限定的ということで、著作権侵害行為には当たらないとの判決が出されたのだ。


DVDしかりファイル交換ソフトしかり、技術の進歩によって各種データをいとも簡単に複製できる時代になった。今後も、更に技術は進化し、いまでは想像できないような技術も市場に出てくるだろう。


そうした時代だからこそ、こうした創作や発見をする行為や実現したその人に対する敬意を払うことが重要だと私は思う。
そうした文化や思想が無い限り、新たな素晴らしい発想や表現、革新的な考えや理論というものは生まれてこないだろう。


こうした文化財ともいうべきものに対して、「格安」での大量販売は、消費者としては嬉しいことだが、「文化を大切にする」「無形資産を大切にする」という視点を醸成するということも、売る側も買う側も共に忘れないでほしいとつくづく感じた。









2009年10月7日水曜日

日本の台風にも「名前」がついている!!

非常に大きな台風が日本列島に近付いてきている。明日8日未明には、紀伊半島に上陸とのこと。台風の進路の方は、十分に気を付けてもらいたい。


さて、この台風18号。毎回「数字」によって表現されている。
この台風の名前について、少し調べてみた。

台風の名前は、気象庁で、その年の元旦以降に最も早く発生した台風を第1号として,発生順に番号を付けているとのこと。つまり、今回の台風は第18号目ということだ。まぁ、ここまでは知っていた。

もう少し、調べてみる。

情報文章等には、元号で、天気図等では西暦と組み合わせて表現するとのこと。つまり、今回の場合は、「平成21年台風18号」「2009年台風18号」と、こうなるらしい。また西暦下二桁とあわせて「T0918」というような表現もあるらしい。


更に、もう少し、調べてみると。。。


2000年から、北西太平洋または南シナ海の領域で発生する台風に対して、米国のハリケーンと同じように、あらかじめ決められた名前が付けられているとのことだ。

この「予め決められた名前」とは、日本のほか14カ国等が加盟した「台風委員会」という台風防災に関する各国の政府間組織があるそうで、あらかじめ140個の名前を命名しているとのこと。

というわけで、今回の台風の名前は「メーロー(Melor)」で意味はジャスミン、マレーシアが命名した名前だ。確かに、台風情報に書いていた。
なんだか台風のイメージとかけ離れているが。。。

ちなみに、140の命名された中に、日本が命名した台風の名前には、「テンビン」「ヤギ」「ウサギ」「カジキ」「カンムリ」「クジラ」「コップ」「コンパス」「トカゲ」「ワシ」というものがある。

う~ん、やはり台風をイメージできない。慣れていないからだけなのだろうか。


名前がついた台風と言えば、過去に「伊勢湾台風」「室戸台風」というものがあるが、これは甚大な被害をもたらした台風として気象庁が命名をしたということである。


台風情報は、「いつ」「どこに」「どのような被害をもたらすか」というものが我々にとって欲しい情報である。機械的な数字での表現ではなく、直感的にこうした情報も伝わる表現はできないものかと、つくづく調べながら思ったものだ。

2009年10月6日火曜日

無形資産に対する評価をする

今日も、昨日に続いて知った新しい言葉をテーマとして、、、、「パテント・トロール(patent troll)」。

自らは事業をせず、個人発明家などの他人から特許を買収し、大企業に侵害訴訟などをしかけ、多額のロイヤルティーや和解金を得る者やその行為を行う企業を、「パテント・トロール」というらしい。

多くの、日本の自動車メーカー、家電メーカーなどの大企業が、こうした米国のパテント・トロールから狙われているというのだ。


日本は技術大国。非常に多くの製品を世界に送り出しているが、パテント・トロールはこうした日本企業に対して、市場に送り出されて製品に関連する特許を、個人発明家から買収し、製品そのものが普及した時点で特許に侵害していると、訴訟に持ち出すのだそうだ。


日本は非常に多くの特許等の知的財産を持っているにもかかわらず、それらが眠っているらしい。
また、日本企業の経営者は、必ずしも知的財産を得意分野としているわけでもない。そうした構造に、パテント・トロールは注目し、心理学にも強い人材を登用するなどして、あれやこれやと戦略を練って、攻めてくるらしい。


私自身がこの話を聞いて、日本企業は、特許等に代表される目に見えない財産、つまり「無形資産」というものに対して、もう少し意識すべきなのではと純粋に思った。確かに、知的財産部門などを組織している会社はあるが、知的財産たるものを経営にどう位置づけているかは疑問だ。


企業価値を図る際には、一般的に、売上や利益といった財務指標などに代表される一般的に目に見える財産、「有形資産」で評価される。確かに必要だ。しかし、私はこれだけでなく「無形資産」というものにも目を向けた経営をするべきだというスタンスだ。


人は、なかなか目に見えないものに、お金を払うということは難しいし、評価することも慣れていない。
「サービス」など目に見えないものとして顕著だろう。特に、日本では、「サービスに対する対価としてのチップ」の習慣もないため、そうした「目に見えないもの」に対して支払うことに、戸惑うことが多いのだろう。(まぁ、確かにめんどくさいが…)


ところで、「無形資産」というものに含まれるものは、先の、「特許」「ノウハウ」などの知的財産は代表的ではあるが、その他にも、「顧客満足度」「従業員の定着度」といったものも指標として含まれる。


経営も、「量」だけでなく「質」が問われる時代だ。こうした「顧客満足度」や「従業員の定着度」といったものも大切である。ただし、これらは、なかなか把握するのが難しい。


今回立ち上げた会社では、こうしたものも上手く可視化するツールを、どんどん開発していきたいと考えている。

2009年10月5日月曜日

「煩音」、これ何て読む?!

今日初めて知った言葉、、、「煩音」。これを「はんおん」と呼ぶらしい。


この言葉を知ったのは、本日放送されていたとあるテレビ番組で知った。

その番組のテーマは、「公園の騒音問題」。

最近の公園では、今までのような、夜間に若者が騒いでうるさいというような騒音問題だけでなく、昼間の子供の遊び声、朝のラジオ体操といったものに対する苦情が、市役所等に出されているというのだ。少し驚いた。

昔からある公園も、子供が遊んでいるのは今も昔も変わらない。
どうやら、その公園の周辺の社会環境が変わってしまっているようだ。

番組では、数十年前の街並みと現在と比較をしていたが、公園の周りに集合住宅が増え、近隣住民の顔が見えなくなったことが、この問題の要因にあるとのことだ。
つまり、遊んでいる子供が、どこの子供かわからず、それがゆえ、心理的に子供の遊び声が「不快」に感じてしまうのだというのだ。
確かに、ライブなどの会場ではうるさく感じないのに、興味が無い周辺の人間は、うるさく感じるのと同じだ。

これら問題を考える時に、「騒音」問題と「煩音」問題とに分けて考えるとのこと。

ここで、もう一度言葉の定義をすると、「騒音」とは「生理的」に不快に感じる音、聞きたくない音。「煩音」とは「心理的」に不快に感じる音、聞きたくない音ととのこと。

「前者を解決するには、音量を減らせば対策ができるが、後者は、相手への誠意が無いと解決できない」とも放送していた。


情報というものは、発信側にも受信側にもそれぞれの意思があり、なかなか上手く伝わるものではない。今回の「音」一つとっても、発信側の視点、受信側の視点、双方が共通のベクトルが無いために、「マイナス」に影響する「煩音」というものになってしまっているのである。


これらの問題は、現代のITに依存し過ぎたコミュニケーション手段が抱える問題を顕著にあらわしているように思える。

「コミュニケーション量」、「コミュニケーション手法」、「自己中心主義」、「相手への思いやり」など、こうしたコミュニケーションを円滑にするための要素が、現状どのようになっているのか、今一度見つめなおさなければならない時代なのだろう。

2009年10月4日日曜日

映像情報を考える~テレビドラマから~

今日は、久しぶりに家でのんびりと海外ドラマを見ながら過ごした。

最近は、もっぱら海外ドラマにはまっている。逆に、日本のドラマはほとんど見ない。たまに、日本のドラマも面白いものがあるが、あまり魅力を感じない。

同じようなストーリー、同じようなキャスティング、そして、非現実的なセット。。。そして、ドラマのコンセプトやメッセージ性を感じさせない、テーマ曲。。。

海外ドラマは、全く異なる。特に米国ドラマは、ハリウッドの映画制作ノウハウが詰め込まれているのは当然だと思うが、CSで放送されるイギリスやドイツのドラマも、非常に見ごたえがある。

脚本、キャスティング、大道具、小道具、俳優の衣装、映像手法、スタジオセット、音響効果、テーマ曲、オープニング、番組ロゴ、、、すべてにおいてしっかりとコンセプトが練られた上での制作が感じられる。細かな部分に、制作者の意図というものが感じられるのだ。

過去の日本のテレビドラマでも、それらは感じられた。
例えば、ドラマのテーマ曲も、そのドラマのために作曲され、一部のフレーズがテレビから流れて来ただけで、そのドラマが始まるという「わくわく感」を感じさせられたものだった。つまり、ドラマそのものの「アイデンティティ」が発信されていたのだろう。


テレビという映像メディアは、活字メディアに比べて、非常に多くの情報を伝達することができる。

しかし、それだけ多くの情報が、統一されたコンセプトやテーマに基づいて構成されていなければ、伝えられる情報は非常に散漫になり、相手に対して情報を伝えるというメディアの特徴を十分に活かされない結果になってしまう。


視聴者離れ、スポンサー離れが叫ばれているテレビ業界は、「番組制作費の削減」という避けては通れない課題を突き付けられているのも事実だろう。
どこにコストをかけ、どこにコストをかけないのか、今一度、原点に立ち戻って、「質の高い」情報発信をなんとか頑張って考えてもらいたいと、テレビ好きの人間としては、是非とも応援したい。