2010年8月7日土曜日

「超高齢者行方不明」ニュースに思うこと。。。

猛暑が続いているが、暦の上では今日は立秋。

そんななか、今日は家族で墓参りに出かけた。
夏休みシーズンが開始し、渋滞で混雑する都内を抜けて一路、静岡へ。

静岡のとある霊園には、親戚の墓が集まっている。
私の家族では、年に何度か訪れることが恒例になっている。


ところで、今週、特に印象に残ったニュースは何と言っても、都内最高齢の老人が行方不明という話題。
世界的にもトップの長寿国を誇る日本。そんな日本の国内で、このような事態に見舞われていることは、海外のメディアでも大きく捉えられているようだ。

東京都の行方不明のニュースが発表されたあと、同様の状況が全国各地にも居ることが判明。現在でも、100歳以上の高齢者が数十人存在するという事態に。恐らく、80歳や90歳の方を含めると、相当な数にのぼるのではないのではないか。


どうして、このような状態が生まれてしまったのか。

行政が、もっと踏み込んで確認すべきだという意見もあるようだが、大きくは、核家族化、人と人とのコミュニケーション、更に家族同士のコミュニケーションの希薄化が、こうしたことを生んでいるのだろう。


私の周囲にも、何年も親とコミュニケーションを取っていないという人が、結構いる。
週に1度は、何かしらのコミュニケーションがある私からみると、不思議な感じだが、かなりの割合でいるので、私の方が珍しい存在なのかもしれない。


10代、20代のころまでは、こうしたコミュニケーションが、非常に面倒なものと感じていたが、逆に40代直前にまでなると、親も高齢になり、逆に健康面を心配したりして、そのコミュニケーションの目的も変化する。また、昔、叱られていたようなことが、自身が親の年齢に近づいてくると、その意味が、今となって分かるようにもなったりする。

親だけでなく、年長者とのコミュニケーションには、色々と学ばせて頂くことが多い。
生活における知恵袋的なことから、仕事におけるノウハウまで、それは様々だ。

インターネットのような無限量のデータベースが存在し、知恵袋として利用することは可能だが、それは、フェース・トゥ・フェースで、実経験者からのコミュニケーションで学べる内容には及ばない。

人と人とのコミュニケーションは、様々なことを学ぶ機会でもあるのだ。


今週の高齢者行方不明事件は、家族間、地域間におけるそうしたコミュニケーションの希薄化を顕著に表わしている。

さて、今日の墓参りを通して、コミュニケーションはあらゆる意味で大切なのだと、つくづく思うのだった。

2010年8月6日金曜日

遠隔の「現場」を、手元で「感じる」。。

昨今は、技術の発達により、遠隔地にいてもその場の臨場感のある情報を受け取ることが出来るようになった。

今春発売した3Dテレビも、特殊なメガネをかけることにより、立体に映像を見ることが出来る。更にサラウンドのシステムがあれば、映像、音声の情報が、あたかもその場にいるような感覚で伝達されるのだ。

そんな中、最近では、聴覚や視覚だけでなく、触覚を伝える技術も活発に研究されているようだ。


触れた感覚伝わる手術ロボット、慶応大が開発


これは、ロボットがモノに触れた感覚を、機械を通して別の場所にいる人に伝えるというもの。

記事は、医療用ロボットとして、遠隔手術への応用への期待として取り上げられている。
今までは、遠隔操作を行う際には、上述のような視覚情報と聴覚情報をもとに、作業を行うしかなかった。そこに、触覚情報が加えられる。


人間の行動は、まず視覚、そして聴覚という順番の感覚器官に頼っている割合が多いと言われている。

以前、高齢者体験を自ら体験した際に、日常のごく普通の行為が、如何に聴覚と視覚に頼っているのかということを、身を持って経験したことがある。
若い世代が、何気に使用している「タッチ画面」。特に銀行のATMなどは、聴覚と視覚にハンディを持ってしまうと、たちまち使い辛い代物に返信してしまう。
更に、「触覚」がマヒしてしまうと、使い物にならない。

ちなみに、高齢者の体験をするには、黄色の色つきレンズのスキー等のゴーグルをして視野を狭め、更に耳栓をし聴覚を弱め、そして軍手をはめて肌感覚が分かり辛くなることで体験できる。(一度、体験されてみることをお勧めする、勿論、周囲の迷惑にならぬようにではあるが…)


さて、触覚を再現する技術。
まずは、遠隔地での作業というものへの利用が考えられるが、触覚がマヒしてしまった人への補助装置などへも、いつの日か訪れるのだろう。

更に、臭いの再現、味の再現も着々と進んでいる。

先日は、お菓子の臭いで、販促効果を期待する取り組みもメディアで紹介されていた。

これからは、視覚、聴覚だけでなく、五感全体に対して情報を伝達する時代がまさに到来するのだろう。

2010年8月5日木曜日

通信環境の変化で、移動の仕方も変わる。。

今日は、久々に関西出張。といっても日帰りだ。

東海道新幹線の無線LANサービスを始めて利用してみた。
アクセスに少し手間取ったが(これは自身のマシンの問題)、中々便利だ。

帰路の折にも、今日の仕事のやり取りの取りまとめ、関係者への報告など、本日中にもろもろの業務を終えることが出来る。

更に、メッセンジャーを使用することで、移動しながらの打ち合わせ等も行いつつ。。

さて、このように、様々な場所でインターネット環境に繋げられるとなると、仕事の仕方も大きく変わってくる。

まず、時間の使い方が変化する。

大手企業で最近、スマートフォンの導入が盛んになっている。

スマートフォンは、従来の携帯電話に比べて、様々な情報のやり取りが行える。
通話、メール、インターネットは勿論、そのインターネットを介して、様々ドキュメントの閲覧、編集までも行える。

そうしたことで、従来の往復時間内に様々な業務をこなすことができ、結果として残業を減らすという効果ももたらしているらしい。

従来の生産性の無い時間帯に、生産性を上げることができるのだ。

さて、こうしてみると、1日の仕事量が依然よりも格段に増えてしまうようにしか見えない。確かに、仕事量は増えるのだが、逆に効率が上がった分の別の時間帯の時間の使い方が、実はポイントだったりするのではなかろうか?

私としては、より創造的な業務、新しいものを生み出すために時間を常にどこかで使うべきだと思ったりしている。

さて、こう文章を書いている私も、今、新幹線の中。
あと、1時間程度で、東京に到着。。。

2010年8月4日水曜日

低価格も、ほどほどに。。。

昨晩、仕事仲間と打ち合わせを終えて、日暮里駅近くにある、とある居酒屋へ行った。

久々の会食。そこであったこと。

非常に驚かされたことが多々あったので、思わず筆を取ってしまった。
というのも、サービスの悪さに唖然としてしまったのである。

まず、「いらっしゃいませ」の出迎えのあいさつが無い。
営業時間に入ったはずなのに(やや時間は早かったかもしれないが)、誰も店舗にいない。探しまくり、厨房の中にまで声をかけてようやく店員を発見。

まぁ、時間が早かったので、やや仕方ないかと思いながら席に着く。

そして、まずはオーダー。

低価格を謳っているだけあって、店員はオーダーを取りに来ない。テーブルにあるタッチ画面から、オーダーを入れる。経費削減なのだろう。

インターフェースがごちゃごちゃしていて、どう使用したら良いのか分かりづらい。

分かり辛いと思いつつも、何とかいくつかのメニューを注文できた。

そうこうしているうちに、いくつか料理が出来上がり、店員が配膳に来る。
しかし、愛想は全くない。機械的に置いていくのみ。

そして、更に、更に。。。

焼き鳥の串を、「タレ」と「塩」を注文したのに、「塩」しかオーダーが通っていなかったり。
皿の料理には、伝票の端切れが挟まっていたり。。。
「ケチャップ味」というのに、何故か「タルタルソース」がついてきたりと、あれよあれよと、苦情にしたくなるネタが続々と。。。。

そうするうちに、私も仕事仲間も、苦情というよりも呆れ顔に。。。

店員は、決して新米店員でもなさそうな感じ。

最後に、店長であろう人物がレジ精算。しかし、まったく笑顔は無く、覇気も無い。

さて、この店舗は、結構有名な居酒屋チェーンの一つ。
均一格安料金でのサービス提供をしている。


私自身は、半ば、「安かろう=悪かろう」で諦めていたが、あまりにも様々なことが続いたので、筆にとってみた。


ここ最近、あらゆる業種での価格競争が激化している。
確かに、消費者にとって価格が安いことはうれしい。しかし、本当は、お客様は値段だけで判断している訳ではないはずだ。値段だけで勝負していると、自ずと自らの首を絞めることにも繋がる。

少なくとも、「最低限のレベル」のサービスというものは、どうあるべきか。
どこかで、線引きをしておかなければならないだろう。

2010年8月3日火曜日

ライブ感を考える!

ライブ感。

突然だが、この言葉からイメージするものは、どんなものがあるだろうか。


野球やサッカーなどのスポーツ観戦。ロックからクラッシックなどのコンサート。更に、落語や演劇、ミュージカルなどなど。

「生(=ライブ)」で、実際にその場に身を置き、その場を体感する。
そいう感じだろう。


さて、情報技術が発展してくると、こうしたライブも、「居ながらにして」味わうことが出来るようになる。

まずは、テレビによるライブ中継。

プロ野球や、今話題になっている大相撲、オリンピックなどの生中継。
さらに、大事件や事故の現場からのレポート。

最近では、こうした中継が、専門的な知識を必要とせず、一般の人でも行えるようになった。
その技術の一つが、U-Stream(ユーストリーム)。

先日の政府による事業仕分けの様子も、この技術で中継された。

さて、こうした技術を使って、とあるスポーツの中継を紹介する記事を見つけた。

19時女子プロレス:観客はゼロ ユースト生中継、声援はツイッター(毎日.jp)


U-Streamを利用した女子プロレスの中継だ。
一方、試合会場には観客がいないらしい。その代わり、声援がTwitterにより流れるのだという。


さて、ここで個人的に気になったのが、女子プロレス選手のモチベーション。

スポーツにしても、演劇や舞台等でも、基本的には、目の前にいる「観客」が存在する。その「観客」の反応が、選手たちや演者たちにダイレクトに、そしてリアルタイムにフィードバックされる。目や耳で、その反応を感じ取ることが出来るのだ。

しかし、この女子プロレスの場合、選手自身は、インターネット上で流れる声援を耳にすることが出来ない。


個人的に、このインターネット上に飛び交う声援を、是非、選手に伝える仕組みを考えたいものだ。


ところで、もう何年も昔の話になるが、私が小学生のころ、週末に「8時だよ!全員集合」(TBS系)という番組があった。
故 いかりや長介氏がリーダーを務めるザ・ドリフターズ主演のバラエティ番組。
毎回、全国からの生中継での放送。

番組の演出も、視聴者はもちろんだが、会場に来ている観客との一体感を常に考え、出演者自身も、随所に観客とのコミュニケーションが存在する。

その後も含めて数々のバラエティ番組は存在するが、あの「ライブ感」を上回るものは、私自身未だ出会ったことが無い。

過去に、とある番組で、この「お化け」番組の裏側を紹介していたが、常に視聴者や観客の立場に立って、どう番組作りをしたらよいか、徹底的に議論し、そのこだわりようは、本番直前ぎりぎりまで、毎度続いていたらしい。最近の出演者自身が楽しんでいるようにしか見えない番組作りとは、根本的に違うのではないだろうか。
これも、観客を目の前にしていなければ、ここまでのこだわりは、無かったのかもしれない。


さて、我々も、U-Streamといったツールを使って、生中継等が出来るような時代になった。

しかし、より「ライブ感」を出すのであれば、やはりその場の雰囲気というものは、重要な要素であることは間違いないだろう。

音楽番組でも、観客の目の前で演奏しているものと、テレビカメラと番組スタッフだけを目の前に演奏しているのでは、やはり、その雰囲気は自ずと出ているのだから。

2010年8月2日月曜日

会社の中での、情報の取扱管理。。。

みなさんの会社では、どのような対策を取っておられるだろうか。

こんなニュースを目にした。

ネット利用のうっかりミス…会社は厳しかった 民間調査(asahi.com)


メールの誤送信、パソコンの置き忘れなどに対する企業での対応の状況の調査結果。

民間の調査会社が、民間企業の人事労務担当に調査したもの。

電子メールの誤送信により社内機密を漏えいさせたり、パソコンなど外部に持ち出した際にうっかり置き忘れた場合、多くの企業が処分対象する規程を構築しているらしい。

私自身も、過去に個人情報保護に関するコンサルティングを実施した際にも、こうした規程の構築に携わらせて頂いた。


多くの企業は、こうしたことが重要であることを認識して頂いているが、運用の側面で見落としてしまうポイントが実は存在する。

それは、その対象とする情報の取扱。


どのような情報が、機密扱いで、どのようなレベルで管理すべきなのか。
部署内公開なのか、関係者のみの公開なのか、社内公開なのか。。。

このあたりの扱いが曖昧な場合が多い。


一方、「うっかりミス」と記事では紹介しているが、多くの漏洩事故は作為的なもの。つまり悪意を持って漏洩してしまう「事件」が多い。うっかりミスは、ソフトウェアの細かな機能等により、防止されることが徐々に増えてきているのも事実だ。(かと言って、ゼロになるわけではないが…)。

この「悪意を持って」というのは、こうした規程で防げるものではない。
そもそも、「悪意=敵意」を持っている訳だから。

これを少なくとも発生させないためには、こうした感情を生ませない土壌作りが大切。
日々のコミュニケーションや、相互協力を行いつつ、組織チームにおける相互の信頼づくりが重要である。

これは、規則でも、ITツールでも、構築出来るものでもない。
「場のマネジメント」のスキルが必要なのだ。


日々のオペレーションにおいても、こうした側面も、是非、注目しておきたいものだ。

2010年8月1日日曜日

次世代に向けて、情報誌に変わる「モノ」への期待。。

情報誌が、最近低迷しているらしい。休刊が相次いでいるようだ。

情報誌低迷 ぴあ関西版、10月7日発売号で休刊へ(asahi.com)


関西の情報誌「ぴあ関西版」が休刊になるのだという。
昨年、同様の情報誌「Lmagazine」も休刊になったばかりだ。

個人的には、関西出身の私にとって、学生時代に非常にお世話になった2誌。
休刊は非常に残念だが、時代の流れだからだろうか。。


情報誌の存在というものが、インターネットの台頭によって少しずつ、その役割をWEBという媒体にとって変わってきているのだろう。

さらに、情報提供者である側が、容易に情報発信出来ることにもなり、雑誌という情報媒介物の役割も変化しているのだろう。

出版社としてもうかうかはしていられない。

この時代の変化において、情報を媒介する立場はどうあるべきか。
そして、マネタイズはどうするべきか、問われている。


従来から存在している「紙メディア」の裏側には、情報を掘起し、整理し、分かりやすく表現するというノウハウを持っているはずだ。所謂、「情報を目利きする力」。
情報を持っている「情報主体」自身は、今のところ、そのノウハウを持ち合わせていない。

こうしたノウハウを、是非、新しいインターネットという情報媒介ツールを積極的に利用して、情報を発信してもらいたいものだ。

インターネットでの情報発信を行う際には、従来からの「読み物を作る」という視点の殻を破る必要もある。インターネットは、従来の文字や画像といった形式だけでなく、「映像」という表現も利用出来る。更に、インタラクティヴな技術を利用することにより、「情報の受け手」と相互にコミュニケーションを取ることも出来る。


つまり、「編集」という能力に加え、「インタラクティヴなシナリオ作りと演出」「コミュニケーション応対能力」という能力も求められる。


情報のニーズというものは、常に、どのような時代であっても存在する。
その情報の提供方法は、常に変化する。


今回の休刊は、時代の流れを感じさせられるが、逆に、新たな視点、新たなスタイルでのサービスの出現に期待したいところだ。