2010年1月2日土曜日

「慣れ」というものからの脱却とは。

今、アメリカで洗濯物の外干しについて議論されている。
元旦二日目から洗濯物と思われるかもしれないが、テーマはエコ。

場所は、ニューヨーク。

現在のアメリカの家庭には、洗濯機と一緒に乾燥機が一般的に備わっている。
そのため、多くの家庭では、洗濯物を外に干さない。

ところが、この乾燥機の電気代が家庭の電力消費量の約6%を占めるらしい。
そうした中で、地球温暖化問題にも貢献しようと、「洗濯物を外干ししよう」という動きが出ているのだと言う。

しかし、アメリカでも過去には「外干し」習慣があったものの、今では皆無。
そんな中で、こうした動きに対しての反発が起きているらしい。

「街の美観を損ねる」「貧困のあらわれ」など、根深い反発があるのだ。
そして、なんと、洗濯物外干し制限に関する法律まであるのだとか。。

そうした中で、地道に外干し推進の草の根の運動が、少しずつ広がっているそうだ。


さて、こうした「乾燥機を使う習慣」、一度慣れてしまうと、人間と言うものはなかなか習慣を変えることが出来ないのが常だ。過去に、外干しの習慣があったというのに。


ビジネスにおいても、頭の中ではとある方法が良いと思っていても、中々、その方法を今の方法から変えられないということが多々ある。

例えば、社内手続きのフォーマットが変わったとか、業務報告の仕方が変わったとか、業務改革を実施すると、多くの抵抗を受ける。以前務めていた会社でも、「業革会議」とまで銘打って意識改革をやっていたほどだ。

「慣れ」というものは、非常に怖い。しかし、これは、どうしても乗り越えなければならない壁でもある。

地道ではあるが、一つ一つ個々の意識に働きかけ、「頭」だけでなく「体でも理解」出来るように、努力が必要である。それが達成出来てこそが、その企業にとっての血となり肉となるのであろう。

オペレーションをマネジメントするに当たり、悪い慣れ、つまり「悪しき習慣」は非常に厄介だ。ヒューマンエラーも起きやすくなる。常に、どこかで客観的にチェックすることも必要なのかもしれない。

2010年1月1日金曜日

謹賀新年

新年 明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。


2010年の新たな幕開け。今年はどのような年になるのであろうか。リーマンショック以降の影響を、もろに受けた昨年。今年こそ、まず景気回復に向けて動き出して欲しいものだ。

昨年秋、政権交代という大きな話題があったが、今年は更なる変化の年になるのではと感じている。変化というよりも「Re:Build(リ・ビルド)」というキーワードがふさわしいのかもしれない。

バブル崩壊に端を発し、1990年代は失われた10年と言われてきた。更に私は2000年代は、壊れてしまった10年だと思っている。


過去に培われてきた(良い意味での)日本的な経営スタイル、コミュニケーションの希薄化、性善説、モラルの低下、環境破壊などなど。


「モノ」が豊になってしまった所以なのかもしれない。

そうした視点でも、これからの10年は、「今までの20年とは異なる視点で、新しい意味での成長」の時代に入るのではと感じたりしている。

「物が豊かにあふれる」物質的な成長ではなく、人にとって精神面での成長なのかもしれない。

機械一つとってみても、機能や技術面での成長ではなく、使う側自身の成長が求められるのかもしれない。

過去に映画でも、こうした技術志向、機械礼拝文化に警鐘を鳴らしている作品が沢山あった。
もしかしたら、それが現実に、より身近に、より具体的に考えなければならない時代に、そろそろ入ってきたのかもしれない。

私自身、過去10年余、ITの世界に身をおいてきた人間だからこそ、そうした側面を強く感じる。

2010年、新年のスタート。そして、新たな10年代のスタート。

世界にとって、社会にとって、そして会社、家族、自分。
皆が幸せになれる、新たなスタートであって欲しい。

2009年12月31日木曜日

09年を振り返り。。

今、ここに5円玉がある。
この5円玉、自動販売機では使えず、小銭入れの中にずっといる存在していることが多い。




しかし、一方でこの5円玉、お賽銭で「ご縁がありますように」と、お金という意味よりも、縁起が良いということで用いられることも多い。

そんな5円玉であるが、その表面には上部に稲穂、下部に水、中心に歯車、そして裏面には双葉が描かれている。これは、稲穂が農業、水が水産業、そして歯車が工業、双葉が林業をあらわしてるということだ。

その中の、稲穂に注目してみたい。

過去、年長者の方から、この5円玉の稲穂を指し示しながら、「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」という俳句の説明されたものだ。出来る人間ほど、相手に対して態度が謙虚であることを例えているのだが、非常に日本的な表現で素晴らしい喩えだなと、今になってつくづく思う。

この言葉に関連して、本田技研の創業者は、こんな言葉を残している。

『学問なり技術があるということは立派なことにはちがいないが、
それを人間のために有効に使って初めて、
すぐれた人間だということができるのだと思う。
何よりも大切なのは人を愛する心ではないだろうか』

知識や知恵があっても、それが人のために使われて、初めて生きてくる。。
非常に重みのある言葉だ。

さて、この5円玉のデザインになったのが、実はちょうど60年前の1949年。

2009年も本日で終り。新しいミレニアムの10年代も終了だ。

アーキレッジ株式会社を今年創業したが、いつまでも謙虚さをもって、初心を忘れないように心がけて行きたいと思う。

今年、「ご縁」のありました皆様に感謝の意を込めて。

皆様、良いお年をお迎えください。。

2009年12月30日水曜日

”ヒト”という名の、大きな木。。。

さぁ、2009年もあと1日。エンディングが近づいてきた。

さて、ネットサーフィンをしていて、とある懐かしい曲を発見した。
曲名は、『エバー・グリーン・ラブ』。とある番組でのエンディングに使用されていた。




曲をお聞きになって頂くと、「あっ、あのときの」と思い出された方も多いだろう。

そう、この曲は、以前、日本テレビ系「24時間テレビ 愛は地球を救う」で使用されていたテーマ曲の一つだ。第5回(1982年)から第14回(1991年)までグランドフィナーレで大合唱されていた。作詞は多くの著名な邦楽を手がけてきた山川啓介氏、作曲はあの「ルパン三世」の曲を手がけたジャズピアニストでもある大野雄二氏。歌は東京少年少女合唱隊。

この曲を聞くと、「あぁ、夏休みも終りだな」とつくづく感じていた子供時代を思い出す。

さて、改めてこの曲を聞いてみると、歌詞が素晴らしく感動する歌だ。
美しいハーモニーが、非常に癒される曲である。現在の番組で聴かれないのは、非常に残念だ。

ところで、歌詞の中にこんなフレーズがある。

" みんな一本の 大きな樹(き)
人間(ひと)という名の 大きな樹(き)
生まれたての生命(いのち)が ほら 新しい枝になる " 

この「大きな樹」であるが、「企業」というものも、一つの「樹」で表せるのではないかと考えている。

大地に根を張り、そして大空に向かって枝葉を成長させ、そして果実を実らせる。

果実は、企業にとっての売上や利益といった業績。
その果実は、大地に深く根を張り、立派な幹や葉を茂らすことによって、実ることが出来る。

その大地に張っている根は、お客様からの信頼、安定した業務、優れた人材といった「目に見えない資産」といったところであろう。

大きな幹は、一本の根では支えきれない。複数の根が、きちんと役割を持って支えているのだ。

多くの企業が、売上や業績といった「見える部分」ばかりに囚われて、この「見えない資産」について蔑ろにされていることが多い。
確かに、「果実」である見える部分も大切であるが、その「果実」は、この見えない部分によって支えられ、育まれてきたということを決して忘れてはいけない。。


今年一年振り返って、世間でも様々なことがあったが、年末年始、「会社ってなんだろう」「組織ってなんだろう」、とゆっくり考えてみるのも良いだろう。。

2009年12月29日火曜日

昨日の「凄いっ!」は、明日はどうなる!?

"きのうのすごいを、あしたのふつうに。"

このフレーズは、JR東日本の2011年度採用活動のキャッチフレーズである。


電車の車内広告や駅広告でご覧になった方も多いだろう。写真は、JR東日本駅構内でのポスター広告の写真だ。




JR東日本:採用ページ


ちょっと印象に残ったので、取り上げてみた。

このフレーズ。色々な視点で考えてみることが出来る。

例えば、「顧客満足」とでの視点。

人間というものは、何度も同じことをしていると「慣れ」が生じる。
驚きや感動というものも、何度も経験してしまうと、「慣れ」というものが生じて「当たり前」になってしまう。つまり、お客様にとっての「昨日の驚きや感動」は、「今日の当たり前」になってしまうのだ。

今度は、「技術開発」とでの視点。

技術開発も、日々、他社との競争にさらされている。「昨日の革新」が「今日には誰でも真似できるものに」なっている事も多々ある。家電や携帯端末の競争を見ていると、手にとるようにそれを感じることができる。

つまり、顧客満足にしろ、技術開発にしろ、常に「改善」「イノベーション」が重要だということだ。
ここ最近の日本は、価格競争が激化し、デフレ傾向に入ったと言われているが、一方で、特にイノベーションが重要であることが、もっと議論されるべきではないかと感じたりしている。


「きのうのすごい」を「あしたのふつうに」。

実は、今日は私の誕生日。

昨日まで、努力していたことが、明日は普通になるよう、日々精進するばかりである。

2009年12月28日月曜日

日本初、商店街検定始まる!?

先日、12月26日に日本初の商店街検定「中野ブロードウェイ検定」が実施された。

中野ブロードウェイ検定


ところで、まず、「中野ブロードウェイ」と言う場所をみなさんに紹介しよう。

中野ブロードウェイは、JR総武線・中央線、東京メトロ東西線が交わる中野駅北口から徒歩数分のところにある、複合施設だ。

地下3階地上10階の建物で、商業施設と住宅施設がある複合施設。オープンは1966年、今から約40年も前のことだ。

この商業施設には、マンガやアニメ、フィギュアなどオタク関連商品を扱う店舗が数多く存在。アニメグッズやフィギュアはもちろん、コスプレ衣装、新刊・古本マンガや古着などの「サブカルチャー」を扱う店が多数出店している。腕時計ショップ、ミニカーショップ、ダーツショップ、中古CDショップに西洋アンティークショップなど多趣味な方には、結構楽しめる場所。私も、たまに訪れ楽しんでいる。

一方、住宅施設には「中野ブロードウェイマンション」として、1960年代から1970年代にかけて、青島幸男や沢田研二などの有名人が住んでいたというエピソードもある。

中野ブロードウェイ


こうした、中野ブロードウェイの知識を試すのが、日本初の商店街検定「中野ブロードウェイ検定」だ。


ところで、「検定」には、色々なものがある。私が住んでいる地元にもご当地検定なるものが存在する。全国にも多数あるようだ。

この「検定」とうスタイルであるが、自分の知識の理解度を把握出来る。

ビジネスにおいても、自分自身のスキルを確認するために、こうした検定を用いられることが多い。ただ、殆どが汎用的なもので、現場業務に合致していないものが多いのも事実。

現場オペレーションをしっかりと円滑に回すためにも、単なる「試験」という形ではなく、現場に合った検定制度を導入してみるのも、大切な事であろう。

しかも、自発的にやってみたいと思うような「仕掛け」や「演出」もあると、より効果が生まれるのではないだろうか。

2009年12月27日日曜日

良い指揮官とは・・・

今、毎週日曜日にNHKでスペシャルドラマ『坂の上の雲』が放映されている。

あまり大河ドラマを見ない私であるが、このスペシャルドラマは楽しんで見ている。

このドラマの原作は、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』がベースとなっており、発行部数も2000万部を超えている作品とのことだ。

NHK『坂の上の雲』

今回、NHKはこの小説家をいつもの大河ドラマよりも多額の費用をかけて、今までにないスケールで描かれている。映像化にあたっても、戦争が描かれていることもあり、軍事礼賛等として、なかなか現実化させるのも、難しかったらしい。

番組を見ていると、近代国家として歩みだした明治の若者の青春群像が、今混迷を深めている現代の日本と比べて、非常にエネルギーを与えてもらえている印象を受ける。

ところで、先日、こんなシーンがあった。


清国との戦いにおいて、本木雅弘扮する秋山真之(海軍軍人・日露戦争時連合艦隊参謀)が、自分が出した命令により部下の命を失ったことを振り返り、自分自身が軍人にあっていないのではと悩んでいる。秋山真之が、戦いのあとの祝宴で、上官である渡哲也扮する東郷平八郎に対して、「良い指揮官とは何ぞですか?」という質問に対して答えたセリフ。

「指揮官の決断は一瞬であっても、決断を導くための準備は、十年、いや数十年かかるんでごわす。」、、と。

つまり、リーダーは、一瞬一瞬であるけれども、その決断をするための経験、事前情報の収集、見識を深めたりするためには、10年以上かかるものだと。。。

何故か、私にとって、このシーンが非常に印象に残った。

ビジネスにおいて考えてみても、組織論として同じように考えることができる。

「戦略」「戦術」と言う言葉が、普通に使われているが、元々は軍事用語。

ビジネスにおける決断ロジックも非常に参考になるものが多い。

戦時においては、指揮官が適切な判断を下すためには、現場の情報を、適切なタイミングで、正しく伝えられなければならない。つまり「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」だ。

ビジネスにおいても、経営層が正しい判断をするためには、同じように現場の正しい情報が必要だ。

たかが、ホウレンソウ。されど、ホウレンソウ。

結構、おざなりになっていることを目にする。その殆どが、その運用の本来の目的と効用が、きちんと組織内で共通認識されていないためである。そのために、大きな事故や不祥事を起こしてしまっている企業も、時々目にする。

今一度、客観的に見てみるのも必要だろう。