2010年6月12日土曜日

所信表明演説にみる、「傾聴態度」ウォッチング。。

昨日、菅新首相による所信表明演説が行われた。
午後13時からの約45分。
首相自身の過去の経験談を織り交ぜたところに特徴の演説だった。

さて、この約45分間の所信表明演説の間、中継では、毎度のごとく、その演説を聞く側の様子も放映される。


この「きく側」の様子を注目してみていると、いくつかのパターンがある。

特に、大臣席の様子をみていると、下記のような感じだ。

まず、手元資料をずっと精読する人。大臣には所信表明演説の内容が事前に配布されているようだ。その手元資料を舐めるように精読し、中には要所要所をマーカー等で印を付けているパターン。

次にあるのが、どこかのある一点をずっと見ている、もしくは目を閉じ、じっくり聞きいる人。


そして3つ目が、身体全体を話をしている人に向けて、話をしている人に視線を向けている人。

そして、たまに全く異なることをしている人もいるにはいる。


過去の所信表明では、多くが2番目のパターンが多い。


しかし、特に今回は、この3つ目の態度をしている人が印象的だった。
2~3人はいた。
椅子そのものの向きを変えて、首相のほうに身体を向けて聞き入っていた。
そうした態度をしているのは、若年層の方だ。
議員当選回数の多い方は、慣れてしまっているのか、どうも演説を聞こうとしているのかわからない態度の方も多い。


さて、コミュニケーションを取るときに、「きく側」の姿勢というものも非常に重要だ。
話す側に対して、どのような態度で「きく」のか、その態度そのもので、いろんな話を聞き出せるかが変わってくる。つまり、話す側自身が、話をしやすくなるのか、話しにくくなるのかが、「きき手」によって変わる。


マネジメントする側にとって、コミュニケーション不全に落ちいていると感じられている職場で、その多くが「聞く側」に問題があると言っても過言ではない。


「部下からの報告が無い」「現場の問題が顕在化しない」というのは、ほぼ、「きく側」に問題があるのだ。つまり、「情報が集まりにくい雰囲気」を作り出しているのだ。


日本語には、「きく」という言葉には、いくつかの感じが当てはめられる。

「聞く」と「聴く」、そして「訊く」。

  • 聞く(hear)…耳に入ってくる
  • 聴く(listen)…意識的に物音・内容をきく
  • 訊く(ask)…たずねる、問いただす


英語で表してみるとわかりやすい。

多くの職場で見受けられるのが「訊く(ask)」、「聞く(hear)」という感じではなかろうか。

発言者、発話者の本意をきちんと汲み取るためには、「聴く」姿勢が大切だ。
そのためには、意識的に「聴こう」とする行為自身が重要になるのだ。

2010年6月11日金曜日

「生産性向上」にとことん取り組む会社。。。

月に何度かお世話になる外食チェーン、サイゼリアの業務改善の記事を見つけた。

なぜ掃除機で店内掃除をすると利益が上がらないか


イタリア料理を中心とした低価格ファミリーレストランのサイゼリア。
外食チェーンの淘汰が激しく、各企業が不振にあえいでいるこの時期に、業績を伸ばし続けている元気な企業。
私自身も、結構お世話になったりしている。

低価格メニューでの提供で有名だが、その裏側で徹底的な「生産性の向上」に取り組んでいることでも有名だ。


スタッフの業務を、作業単位まで細かく分解し、一つ一つの時間計算を行いながら、その作業効率向上による業務改善に果敢に取り組んでいる。


この記事では開店前のフロア清掃を紹介している。

この他にも、調理の盛り付けから、厨房内でのスタッフの動作一つにまでも、非常に細かい形での取り組みの積み重ねにより、業務の生産性向上につなげているのである。

スタッフの動作は、秒単位での時間を算出して、その生産性の分析を行っているのである。


さて、商品がコモディティ化し、他社製品との差別化がしにくくなると、どうしても価格競争に走らざるを得なく場合もある。

しかし、安易な価格競争は、利益を圧迫しかねない。圧倒的にコスト競争に打ち勝つためには、サイゼリアのような徹底的な生産性向上に対して、果敢に挑戦しなければならないだろう。

逆に考えると、価格競争に挑戦できないのであれば、より一層、商品そのものの付加価値、差別化、イノベーション、そしてお客様にとってのベネフィットの提供に対して挑戦すべきだろう。

2010年6月10日木曜日

検索エンジンは、将来どう進化する?

今日、日経BP社のITproで、こんな記事を見つけた。

「5年後、言葉の壁は消える」、グーグルが検索技術への取り組みを披露


Googleによる、今までの検索技術の進化と今後の将来像を語った、「検索の化学」というイベントでの講演の模様。


この記事の中で、Googleのアミット・シングハル氏が

次の夢は何か。それは「検索しない検索」だという。「検索エンジンが、私が何をするべきかを教えてくれる。『カレンダーに予定が書いてあるが、道路で事故が起きているから会議の予定を組み直した方がいい』。これを検索エンジンが教えてくれるようになる。今はSFだと思うかもしれない。しかし近い将来、必ず可能になる」。

とコメントしている。

もう、ここまで来ると「検索」というよりも、「コンシェルジュ」と表現したほうが良いのではないだろうか。

過去、ハリウッドのSF映画で表現されていた未来社会の一部が、徐々に現実社会で実現され始めている。iPad等の多機能端末もその一つだ。どこにいても、今では世界中の情報を手元で入手できる。逆に、私たちの行動一つ一つが、ライフログとして、知らぬ間に記録されてもおかしくない時代でもある。

更にこの記事の後段で、「言語の壁」についても触れられている。
外国語の翻訳も、以前に比べて、格段に質の向上が図られているのも事実。
これも、ハリウッド映画で自動翻訳システムとして描かれることがあったが、これも数年のうちに実用性の高いものが出てくるのかもしれない。


さて、この記事から見えてくるキーワードが、「ボーダレス」。

消費者と企業との間の、ボーダレス。
国内と国外との間の、ボーダレス。

ボーダレスにより、情報は相互に容易に行き来するだけでなく、そのトラフィックも莫大に増える。

「クローズドにすべき情報」と「オープンにしてもよい情報」。
「必要な情報」と「不必要な情報」。

このように、情報をマネジメントし、目利き出来る仕組み、スキルが、仕事上においてもプライベートにおいても重要になる。


今後の、Googleの動きは、いろんな意味で、非常に興味のあるところだ。

2010年6月9日水曜日

振り返り、「検証する」ことの意義

今晩のNHKクローズアップ現代で、7年前のイラク戦争について、イギリスの独立調査会の検証について報じていた。


2003年に始まったイラク戦争。この調査会は、あの戦争について、何故、イギリスは参戦に踏み切ったのか。その政策の意思決定から戦争に至るプロセスの検証をしようとするものだ。

「THE IRAQ INQUIRY」(イラク戦争の独立調査会サイト)


これは、戦争責任を問うものではなく、あくまでもそのプロセスを明らかにし、政策決定や政治の仕組みの問題点を洗い出そうとすることを目的としている。

調査委員会は、ブレア元首相を筆頭に、当時の官僚から政治家などの当事者80名からの証言を取りまとめるだけでなく、外交機密文章、電子メールを閲覧する権限も有するそうだ。

戦争に対する検証の取り組みは、過去の戦争においても行われてきたそうだが、今回の画期的な部分は、政策意思決定のプロセスや調査委員会での証言、そして一部の機密文章までもが全て公開されるということ。
先のURLのWEBサイトで閲覧できる。


番組では、オックスフォード大学でのアダムロバーツ教授が、今回の調査委員会での教訓として、「歴史から学ぶことの大切さ」というものを指摘していた。


さて、我々ビジネスにおいても、「振り返り検証する」ことは重要だ。

ここで、多くの場合にぶつかる壁が、「振り返り検証=責任追及」という形に考えられてしまうこと。

検証は、あくまでも実際に取り組んだことを振り返って、良かったこと、悪かったことを整理し、「将来のための糧」にすることがポイントだ。

ここで振り返るときに忘れてはならないのは、行動に至る原因や意図、仮説、、前提条件、その背景、環境などの情報。


「どうしてこのようになったのか」という原因を分析する際に、ここがポイントになるのだ。

将来に、プラスに活かすのか、反面教師として活かすのか、この原因を上手く整理しておかなければ何の役にもならないのだ。


個人単位、チーム単位、プロジェクト単位、会社単位とどのような組織単位であっても、常にこうした行動の振り返りのプロセスを、積極的に「きちんとした業務プロセス」として取り入れてみてはいかがだろう。

2010年6月8日火曜日

「脱他人依存」。「脱自己中心」。

今朝、NHKのニュースを見ていて、妙に印象に残ったトピックがある。

「〝人の役に立ちたい"若者たちが増えている」という特集。

何故、この特集が印象に残ったのか。

それは、個人的にあまりにも私にとっては「当たり前」のことが特集として取り組まれているということが不思議に思えたからだ。

逆に考えると、今までの多くの人は、どれほど、「人のことを考えてこなかったのか」ということの裏返しになるからだ。

事実、私と同年代の世代や20代の知人にも、多くの人間が、「人の役に立ちたい」と考えている人は多い。

報道では、20代が65%、30代で60%の人が、そのように考えているのだと。


以前、私は人事採用で多くの方を面接する機会に恵まれた。
年代も、下は20歳代半ばから上は60歳代まで幅広い年齢層の方と、「仕事観」について質問をしたことがある。

確かに、個々人における仕事に対する考え方の違いはあるものの、年齢層によって「仕事観」は異なっていたと記憶する。

報道では、田坂広志先生のコメントを紹介していた。

「そもそも、従来の日本企業には、こうした考えをもった社員が多くいたが、ここ10年から20年の間に変わってしまった」のだと。

バブルの後遺症が続いているのだろうか。
「アメリカ流をそのまま表面的な部分のみ取り入れた」成果主義によるものなのか。
株主市場主義、市場原理主義が行きすぎたためなのだろうか。

田坂氏は、「原点回帰している」とコメント。


商売の原点とは、何だろう。

ある人は、利益をあげるためにモノを売買することというだろう。
多くの人は、こう言うだろう。

しかし、モノを売ろうとしても、買ってもらえる人がいなければ、利益どころか売買すら成立しない。


買ってもらえる人、つまりお客様がいなければならない。

しかも、そのお客様に継続して買って頂くためには、満足して頂かなければ、次からは買って頂けない。

お客様に「満足」して頂くためには、お客様の「期待」以上のモノやコトを提供しなければならない。

つまり、お客様の「期待」というモノに対して役にたてられなければ、「満足」には繋がらない。

非常に単純明快なことであるが、実際はなかなか難しい。


さて、「人のために役に立ちたい」ということ。

ここ、バブル以降10年~20年の間で、日本がどこかに置き忘れてしまった、大切な「視点」なのかも知れない。


今日から、新しい政権もスタートした。
先日、菅総理は、「官邸も内閣も党も一体性を持って、そして全員が参加できる」体制を構築して臨むと言っていた。

「脱他人依存」。「脱自己中心」。
我々自身も、人に頼り、依存するのではなく、自ら自身が「人のために役に立ちたい」という主体性と熱いハートを持って、力強く行動すべきなのだろう。

2010年6月7日月曜日

「明文化」の重要性。。。

IT系の仕事や、オペレーションマネジメントの支援の仕事をしている際に、時に壁にぶつかることの一つに、「記録が無い」「明文化していない」ということ。


「文章として記録に残す」というのは、役所系の仕事ではごく当然に行われているが、一般企業では、結構、軽視されていることが多い。

「契約書」ベースの欧米に比べて、日本は「曖昧」なまま進めてしまう社会風土が起因しているのだろうか。


特に、インターネット系のシステムでは、「仕様書」が無いということが多々ある。

その多くが、「予算を軽減する」という理由で作成されていないことが一般的。

しかし、その後のシステムの改修をする際に、その「予算を軽減」したことがあだになってしまうことがある。

また、企業側の担当者が入れ替わり、システムに関する情報が、誰もわからないということさえある。前回の開発担当者でなければ分からないようなことは、ブラックボックス化されてしまうのだ。


開発業者は、現状の仕様が分からなければ、改修をするにしても、その現状の把握からしなければならない。当然、その分の作業コストが嵩み、それは当然請求金額として跳ね返ってくる。


基幹系システムと比較して、インターネット系システムは、技術の変化も早く、スクラッチ&ビルドも当然、そのサイクルは早い。また、「アジャイルソフトウェア開発」の手法を取っているからといって、そうした明文化は行わないというスタンスの会社もある。
確かに、アジャイルソフトウェア開発は、短い単位での開発を繰り返し、機能開発を行う。プロジェクト関係者の間で、必要な時に即座に直接顔を合わせて意思疎通を行うから良いという主張もある。

しかし、これは自社のソフトウェアパッケージ開発ならともかく、受託型の場合はそうはいかないと私は思う。


システム開発も、以前に比べて価格競争が激しくなった。
こうした流れで、開発会社側も如何に効率よくプロジェクトを進めるかを試行錯誤する。そういう意味でも、「明文化」は後回しされやすい。


発注する企業側にとって、どうしてもシステムそのものに目が奪われやすいが、こうしたシステムの設計書の重要性を、見積もりベースの予算化の時点から意識しながら対応する必要があると私は思う。

目先の費用対効果と、長い目で見た場合の費用対効果。
そして、目に見えない部分を抱えることによる「リスク」。

総合的に考えると、その重要性もはっきり見えてくるだろう。

2010年6月6日日曜日

自然界の不思議。デザインに隠された意図。。

今日は、デザインに注目してみたい。

夕方、たまたま目にしたテレビで、ある自然が織りなすデザインを紹介していた。

その形は、「六角形(ヘキサゴン:hexagon)」。

この六角形は、いろんなところで目にすることができる。

まずは、景勝地として紹介されている玄武洞(兵庫県豊岡市)。

ここでは、160万年前に起こった火山活動で出来た洞窟がある。
そこには、マグマが冷えて固まる際に、規則正しく割れ目を作り出した六角柱が生成され、その何千もの六角柱が空に向かって突き出す不思議な光景を生み出している場所がある。

玄武洞


世界で、玄武洞以外にも、いくつかの場所でこうした光景は見ることが出来るらしい。

その他にも、我々の日常生活でも目にすることが出来るもの、「ハチの巣」。

「ハチの巣」は、綺麗な六角形で作られているのはご存じのとおり。
少ない素材で、効率的に強度の高い構造物を作れることで、「ハニカム構造」として知られている。

正多角形を隙間なく埋めて形を作り出せるのは、正三角形、正方形、そして正六角形の3つのみ。同じ面積を埋め尽くす際に、これらの3つを比較して、それぞれの外周の長さが、一番短いのが正六角形。つまり、一番、少ない材料でその構造を生み出すことが出来る。

その他にも、六角形は、麦の細胞の形、雪の結晶、土星の表面、台風の目等でも見ることが出来る。

更に、最近ではとある「モノ」でも六角形が使われるようになった。

それは、サッカーのゴールネット。

以前は、四角形の目になっていたが、最近は六角形が主流。

四角形に比較して、強度が増し、衝撃を吸収するということは勿論、紐自身の量も減らすことが出来る。そして、その他にも大きな違いを生んでいるのだとか。
それは、ゴールの瞬間、ネットがボールの軌跡を描き、より劇的に見える効果があるのだそうだ。これも、六角形だからこそ生み出されているのだとか。

四角形よりも六角形のほうが、より形が変化することができ、ボールがネットに吸い込まれるような美しい曲線の波を生み出す。


このように日常生活で見る自然の中にも、様々な造形美が存在する。

それらを元に、人によって生み出されたデザインも沢山ある。
ファッションから新幹線のデザインまで。


番組では、最後にとある著名な建築家の言葉を紹介していた。

全ては、自然が書いた偉大な書物を学ぶことから生まれる、 
人間が造る物は、既にその偉大な書物の中に書かれている。 
アントニ・ガウディ(建築家)

建築家として有名なガウディの言葉だが、彼の作品には、多くの自然の造形を建築デザインに取り入れている。

草木や花、動物、昆虫、そして大地そのもの、自然界には、そのデザインに様々な理由も隠されている。


週末、都会を離れて自然に足を運び、じっくりと観察することで、新たな発見をすることができるかもしれない。

季節は、新緑から初夏へ。たまには、都会の喧騒から離れてゆっくりとしてみたい今日この頃だ。