今日の夕方のNHKの番組「海外ネットワーク」で、若者の留学について取り上げていた。
過去の私のブログでも少し触れたことがあるが、かなり海外渡航人数が減っているらしい。
90年代は、日本と韓国のアメリカへの留学人数は、日本が多かったのに対して、現在は完全に逆転状態。
あのハーバード大学も、通年約200人ほどいた日本人留学生も現在は100人程度なのだとか。
何故、ここまで減っているのだろうか。
経済状況もあるだろうが、ある人が、このようなことを指摘していた。
「以前は、海外に行くことによって、新しい何かを発見し、それを自分のために、そして社会ために頑張りたいというスピリットが減ってきたのでは」と。。。
我々の時代の以前に比べて、現在はインターネット等で、簡単に海外の情報を入手することが出来る。
しかし、そこで得られた情報とは、あくまでもインターネットメディアを通しての情報であり、自分で経験した情報ではない。
私自身、学生時代京都で過ごし、多くの留学生と接することがあった。特に国際交流の組織に属し、日本の寺院や文化財などを紹介する機会を持ったのだった。
また自身も海外に渡航する経験も持つことが出来、そこで多く国籍の学生と接することがあり、そこでの体験は今でも役に立っている。
異文化で育った者同士でのコミュニケーションでは、様々なことを経験することが出来ると私は思う。
特に、モノの見方、考え方は、それまでの育ってきた環境で大きく異なる。
日本に対する見方も、アジア出身、欧州出身、アメリカ出身で全く異なることもその時体験を持って知った。また、日本の現代史観の違いも、韓国の友人と話すことで特に感じることが出来たのだった。
「情報」というものは、今の時代、確かに簡単に手に入れられる。
しかし、自分自身の経験を通して得た情報と、単にメディア等を通して得た情報とでは、自分自身でその後、情報自身を活かすことが出来るか否かは、大きく変わってくる。
ビジネスでもそれは同じだと私は思う。
「現地、現場、現物」とはそれを上手く言ったもので、やはり、情報を収集し、状況をきちんと自身で把握してこそ、正しい意思決定、判断できるのだと思う。
日常生活の何気ないことから、企業経営に至るまで、世の中にあふれる「情報」を様々な角度で、アーキレッジ株式会社の後藤秀行が語ります。 「情報アーキテクチャ」「コミュニケーションデザイン」「ユニバーサルデザイン」「ナレッジマネジメント」など、幅広く扱ってみたいと思います。
2010年4月10日土曜日
2010年4月9日金曜日
モンスター○○は、何故出現したのか。。
横浜市教育委員会でとあるマニュアルを作成したのだとか。
それは、「モンスターペアレント対策マニュアル」。
つまり、学校に対して無理難題を突き付ける保護者の対応マニュアルというもの。
こんなマニュアルまであるのかと、聞いて驚いた。
最近では、この「モンスターペアレント」だけでなく、「モンスターペイシェント(患者)」、「モンスターカスタマー」、「団塊モンスター」等の言葉が取り沙汰されることがある。
どれも、自己中心的で理不尽な要求を突き付ける人たちのことを総称しての表現だ。
さて、こうした「モンスター○○」という人種(?)が、どうして出現してきたのか、私なりに考察してみる。
こんな所に原因があるのではなかろうか。
1は、人間というものは欲深であり、「昨日の満足が今日の不満足」になってしまうことが顕著に表わされるように、常に物やサービスのレベル向上に飢えている一方、提供側がそれに追い付いていないというもの。
2は、裕福な時代になって、「感謝」「敬意」というものが蔑になってしまっているということ。例えば、食事の際の「頂きます!」の本当の意味を、常に意識していれば、生産者への感謝を忘れないはず。「ありがとう」が言えない人が増えている。。
3は、社会のトレンドが、消費者起点の風潮になっていること。インターネットに代表される情報発信ツールの登場も、それらを後押し。
4は、家電等にも代表されるが、技術等の進歩により、買う側はもちろん、提供する側ですら内容が複雑なために理解していないものを売ることさえある現実。伝えなければならない情報が伝えられず、結果としてクレームを発生させる原因となっているのでは。
5は、非対面のコミュニケーションツールの発達により、直接のコミュニケーションの機会が減っているということ。相手の状況を思い、配慮してコミュニケーションを取っていた過去に比べて、電子メールや携帯電話など、相手にづけづけと土足で踏み込むようなコミュニケーションが主流になってしまっていること。また、家庭でも会社でも、会話そのものが減っているという事実。
こうしてみると、起きるべくして発生しているように見える。
少なくとも、上の中の(2)に記載した、相手への「敬意」、「感謝」というものがあれば、「モンスター○○」は、必ず減少するはず。
相手を慮る気持ち。
これは、コミュニケーションをするうえで、一番大切なことである。
それは、「モンスターペアレント対策マニュアル」。
つまり、学校に対して無理難題を突き付ける保護者の対応マニュアルというもの。
こんなマニュアルまであるのかと、聞いて驚いた。
最近では、この「モンスターペアレント」だけでなく、「モンスターペイシェント(患者)」、「モンスターカスタマー」、「団塊モンスター」等の言葉が取り沙汰されることがある。
どれも、自己中心的で理不尽な要求を突き付ける人たちのことを総称しての表現だ。
さて、こうした「モンスター○○」という人種(?)が、どうして出現してきたのか、私なりに考察してみる。
- 物が溢れて、様々なサービスの享受できることが当たり前のような時代になった
- 裕福な時代になり、「手に入れられて当たり前」的な自己中心の発想に陥りやすくなった
- 昔に比べて、サービスの受け手が、意見しやすい環境や社会風潮になった
- 物やサービスそのものが複雑化しブラックボックス化している
- 人間そのものが、コミュニケーション下手になっているということ
こんな所に原因があるのではなかろうか。
1は、人間というものは欲深であり、「昨日の満足が今日の不満足」になってしまうことが顕著に表わされるように、常に物やサービスのレベル向上に飢えている一方、提供側がそれに追い付いていないというもの。
2は、裕福な時代になって、「感謝」「敬意」というものが蔑になってしまっているということ。例えば、食事の際の「頂きます!」の本当の意味を、常に意識していれば、生産者への感謝を忘れないはず。「ありがとう」が言えない人が増えている。。
3は、社会のトレンドが、消費者起点の風潮になっていること。インターネットに代表される情報発信ツールの登場も、それらを後押し。
4は、家電等にも代表されるが、技術等の進歩により、買う側はもちろん、提供する側ですら内容が複雑なために理解していないものを売ることさえある現実。伝えなければならない情報が伝えられず、結果としてクレームを発生させる原因となっているのでは。
5は、非対面のコミュニケーションツールの発達により、直接のコミュニケーションの機会が減っているということ。相手の状況を思い、配慮してコミュニケーションを取っていた過去に比べて、電子メールや携帯電話など、相手にづけづけと土足で踏み込むようなコミュニケーションが主流になってしまっていること。また、家庭でも会社でも、会話そのものが減っているという事実。
こうしてみると、起きるべくして発生しているように見える。
少なくとも、上の中の(2)に記載した、相手への「敬意」、「感謝」というものがあれば、「モンスター○○」は、必ず減少するはず。
相手を慮る気持ち。
これは、コミュニケーションをするうえで、一番大切なことである。
ラベル:
コミュニケーション手法,
教育,
情報伝達,
人本主義
2010年4月8日木曜日
今時の入学式って!?
今週から新年度、新学期がスタート。
仕事で都内を動いていると、入学式帰りと思われる人を多く見かけた。
ところで、報道で知ったのだが、ここ数年の入学式の様子が変化しているらしい。
それは、入学式が同じ日に何度も開催されるとのこと。
何故か。。。
何度も開催する理由は、会場に来場者全員が入れ切れないからなのだが、どうやら入学する生徒の保護者の参加率が非常に高まっているからだそうだ。
大学も1回から2回開催、2回から3回開催と、増やしているらしい。
さらに、大学の講堂等で収容しきれず、近くのホール等を借りて実施しているのだそうだ。
保護者の参加率が増えているということ。
約20年前に大学入学した私自身を振り返ってみると、確かに母が入学式に来ていた記憶はある。近くに住む友人親子と一緒に登校した。しかし、当時、両親共々が参加している家庭は少なかったかなと言う感じだ。流石に、入学式は1回きりだった。
ところで、入学式に保護者の参加することは非常に良いかとは思うが、報道を見て非常に心配に映ったことがある。
それは、入学時ガイダンス風景。
生徒本人よりも、保護者が非常に熱心になっていること。
単位の取り方はどうなっているのか、パソコンは必要なのかといった質問を、保護者が非常に熱心になっているのだ。
子供のことを思う気持ちは、非常に理解できるが、4年後に待ち受けている現実のことを思うと、非常に心配な光景に見えた。その現実とは、もちろん、就職活動。
授業の取り方、単位の取り方などの制度についてはもちろん、教授に関する情報、授業に関する情報を、如何に収集するかというのも、社会に出る前の準備期間の一つだと私は思う。
私自身、友人や知人、先輩などから、あの手この手で情報を収集し、更にどのような制度が学校にあるのか、あちこち奔走していた記憶を思い出す。
勿論、一番大事なのは、自分が何を学びたいかという主体性ではあるが。。。
報道を見ていると、主体性が無いまま、そのまま社会に出て来てはしまわないかと、非常に気になったのだ。
恐らく、新卒を受け入れる企業は、少なくとも受け入れ数年間の受け入れ体制として、「企業の学校化」は避けられない時代になってきてしまっているのかもしれない。
仕事で都内を動いていると、入学式帰りと思われる人を多く見かけた。
ところで、報道で知ったのだが、ここ数年の入学式の様子が変化しているらしい。
それは、入学式が同じ日に何度も開催されるとのこと。
何故か。。。
何度も開催する理由は、会場に来場者全員が入れ切れないからなのだが、どうやら入学する生徒の保護者の参加率が非常に高まっているからだそうだ。
大学も1回から2回開催、2回から3回開催と、増やしているらしい。
さらに、大学の講堂等で収容しきれず、近くのホール等を借りて実施しているのだそうだ。
保護者の参加率が増えているということ。
約20年前に大学入学した私自身を振り返ってみると、確かに母が入学式に来ていた記憶はある。近くに住む友人親子と一緒に登校した。しかし、当時、両親共々が参加している家庭は少なかったかなと言う感じだ。流石に、入学式は1回きりだった。
ところで、入学式に保護者の参加することは非常に良いかとは思うが、報道を見て非常に心配に映ったことがある。
それは、入学時ガイダンス風景。
生徒本人よりも、保護者が非常に熱心になっていること。
単位の取り方はどうなっているのか、パソコンは必要なのかといった質問を、保護者が非常に熱心になっているのだ。
子供のことを思う気持ちは、非常に理解できるが、4年後に待ち受けている現実のことを思うと、非常に心配な光景に見えた。その現実とは、もちろん、就職活動。
授業の取り方、単位の取り方などの制度についてはもちろん、教授に関する情報、授業に関する情報を、如何に収集するかというのも、社会に出る前の準備期間の一つだと私は思う。
私自身、友人や知人、先輩などから、あの手この手で情報を収集し、更にどのような制度が学校にあるのか、あちこち奔走していた記憶を思い出す。
勿論、一番大事なのは、自分が何を学びたいかという主体性ではあるが。。。
報道を見ていると、主体性が無いまま、そのまま社会に出て来てはしまわないかと、非常に気になったのだ。
恐らく、新卒を受け入れる企業は、少なくとも受け入れ数年間の受け入れ体制として、「企業の学校化」は避けられない時代になってきてしまっているのかもしれない。
2010年4月7日水曜日
世界的に有名な、4月7日生まれの少年。。。
今日、4月10日。
とある世界的に有名になった少年の誕生日でもある。
その少年の名は、天馬トビオ。ニックネームはアトム。
そのあの漫画家手塚治虫氏の作品の主人公鉄腕アトムのことだ。
誕生日は、2003年4月7日生まれ。今年で満7歳。
晴れて小学一年生、ということで昨日、新宿区のとある小学校で入学式を迎えていたようだ。
マンガをあまり読まない私であるものの、個人的に好きな数少ないマンガ作品の一つだ。
鉄腕アトムが初めて登場したのは、昭和26年4月。
昭和38年からテレビアニメとして登場。
鉄腕アトムは近未来を描いたSFマンガ。
この昭和の作品には、当時の未来、つまり21世紀について描写されているのだが、その21世紀が今現実となっている。
マンガに描かれた内容も、いくつかは現実的なものになっている。
鉄腕アトムそのものの人型ロボットも、実用化レベルも着実に進んできている。
流石に、現在の携帯電話等の想像は難しかったのか、電話に関しては「黒電話」が描かれていたことは、鮮明に覚えている私。
さて、こうしたSFマンガやSF映画にも、様々な発想の「ヒント」というものが隠されていると個人的には思っている。
ここ数日話題になっている、iPadにしても、私としてはSFテレビドラマ『スタートレック』に出ていた、タブレット型電子ノート(?)が現実化したという感覚でいる。
また、巷に表れ始めた「デジタルサイネージ」も、いくつかの80年代のSF映画には既に登場していた。古くは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー パート2』、新しいものでは『マイノリティ・リポート』等でも登場している。
これからのビジネスシーンを「想像」する際、こうしたSF映画の中に色々とヒントが隠されていると思うと、また違った見方が出来るのではないだろうか。。。
発想力を鍛えるには、いろんな方法があるのかもしれない。
とある世界的に有名になった少年の誕生日でもある。
その少年の名は、天馬トビオ。ニックネームはアトム。
そのあの漫画家手塚治虫氏の作品の主人公鉄腕アトムのことだ。
誕生日は、2003年4月7日生まれ。今年で満7歳。
晴れて小学一年生、ということで昨日、新宿区のとある小学校で入学式を迎えていたようだ。
マンガをあまり読まない私であるものの、個人的に好きな数少ないマンガ作品の一つだ。
鉄腕アトムが初めて登場したのは、昭和26年4月。
昭和38年からテレビアニメとして登場。
鉄腕アトムは近未来を描いたSFマンガ。
この昭和の作品には、当時の未来、つまり21世紀について描写されているのだが、その21世紀が今現実となっている。
マンガに描かれた内容も、いくつかは現実的なものになっている。
鉄腕アトムそのものの人型ロボットも、実用化レベルも着実に進んできている。
流石に、現在の携帯電話等の想像は難しかったのか、電話に関しては「黒電話」が描かれていたことは、鮮明に覚えている私。
さて、こうしたSFマンガやSF映画にも、様々な発想の「ヒント」というものが隠されていると個人的には思っている。
ここ数日話題になっている、iPadにしても、私としてはSFテレビドラマ『スタートレック』に出ていた、タブレット型電子ノート(?)が現実化したという感覚でいる。
また、巷に表れ始めた「デジタルサイネージ」も、いくつかの80年代のSF映画には既に登場していた。古くは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー パート2』、新しいものでは『マイノリティ・リポート』等でも登場している。
これからのビジネスシーンを「想像」する際、こうしたSF映画の中に色々とヒントが隠されていると思うと、また違った見方が出来るのではないだろうか。。。
発想力を鍛えるには、いろんな方法があるのかもしれない。
2010年4月6日火曜日
グローバルな、「うねり」の中で。。。
今日の仕事の打ち合わせで出てきたキーワード。
それは、「グローバル視点」。
海外を視野に入れながらビジネスをしなければという話題。
たまたま、今晩のとあるテレビ番組でもグローバルな人材の活用と題して報道していた。
ここ最近、つくづく思うのが、日本の国内の動きと海外の動きのギャップ。
内向き、後ろ向き、ネガティヴな話題が多い中、海外はどんどん景気回復に向かってポジティヴな話題が目につく。
番組で報道されていたのも、海外の優秀な人材が、どんどん韓国の企業等に流れているとのこと。
ある人が話していたが、特に若い世代が、以前に比べて海外に出たがらない風潮があるのだそうだ。商社や外務省の人間でさえ、そのような感じなのだという。
リスクを取り、挑戦するということに、億劫になってしまっているのだとか。
どこかで警鐘が鳴っていると、私には感じられる。
企業は、優秀な人材の獲得に精を出す。これは当たり前だろう。
一方の、働こうとしている人材が日々努力をしているかというと、私個人としては否定的だ。自ら少なくとも、キャリアアップするためには、ある程度の努力は必要だ。
「他の人が出来ないこと(技・術)を、いくつ自分は持っているか」。
シンプルな一文であるが、根本的で非常に重要なことかもしれない。
誰にでも出来ること。機械にでも出来ること。
これらをただ単に持っているだけでは、生き残ってはいけない。
他人には真似できない、自分らしさ。
お金を対価として頂けるレベルのプロとしての質。
この2つは、少なくとも海外の人材は、常にアグレッシブに捉えているように思える。
そんなアグレッシブな人材がいるグローバルな世界の中で、我々日本人は、もっと真摯にこの状況を受け止めて、常に考えなければならないという大変な時代に差し掛かっているのではないだろうか。
それは、「グローバル視点」。
海外を視野に入れながらビジネスをしなければという話題。
たまたま、今晩のとあるテレビ番組でもグローバルな人材の活用と題して報道していた。
ここ最近、つくづく思うのが、日本の国内の動きと海外の動きのギャップ。
内向き、後ろ向き、ネガティヴな話題が多い中、海外はどんどん景気回復に向かってポジティヴな話題が目につく。
番組で報道されていたのも、海外の優秀な人材が、どんどん韓国の企業等に流れているとのこと。
ある人が話していたが、特に若い世代が、以前に比べて海外に出たがらない風潮があるのだそうだ。商社や外務省の人間でさえ、そのような感じなのだという。
リスクを取り、挑戦するということに、億劫になってしまっているのだとか。
どこかで警鐘が鳴っていると、私には感じられる。
企業は、優秀な人材の獲得に精を出す。これは当たり前だろう。
一方の、働こうとしている人材が日々努力をしているかというと、私個人としては否定的だ。自ら少なくとも、キャリアアップするためには、ある程度の努力は必要だ。
「他の人が出来ないこと(技・術)を、いくつ自分は持っているか」。
シンプルな一文であるが、根本的で非常に重要なことかもしれない。
誰にでも出来ること。機械にでも出来ること。
これらをただ単に持っているだけでは、生き残ってはいけない。
他人には真似できない、自分らしさ。
お金を対価として頂けるレベルのプロとしての質。
この2つは、少なくとも海外の人材は、常にアグレッシブに捉えているように思える。
そんなアグレッシブな人材がいるグローバルな世界の中で、我々日本人は、もっと真摯にこの状況を受け止めて、常に考えなければならないという大変な時代に差し掛かっているのではないだろうか。
2010年4月5日月曜日
理想的な人材教育のスタイルとは?
昨日、原口総務大臣のTwitterで、下記のようなつぶやきがあった。
答えが一つしかない「減点教育主義」の教育は、狭量で他者を責める風土をつくります。「解決型教育」は、情報の共有と協働を重んじ、人を励まし絆を作り上げます。
このつぶやき。私は、非常に同感した。
これは、今の教育はもちろんのこと、企業風土にも存在しているのではないかと感じるのである。
答えが一つだったとしても、そこに至るまでのプロセスは様々ある。十人十色だ。
そのプロセスに、新たな発見さえある場合がある。
結論、結果を性急に求め、その部分しか目を向けようとしないというのは、非常に危険である。
「売上を上げてさえいれば良い」「数字を出していればよい」ということになりかねない。
確かに、企業としては売上をあげ、利益を上げなければならない。しかし、それがどんな手段、どんなプロセスを経ても良いということではない。
私自身、「数字至上主義」の組織にいたことがある。
その時に目の当たりにしたのが、「不正に作られた数字」。
当時の組織のマネージャーは、それを全く気付いていない。もちろん、その数字が導かれたプロセスを見ていないからだ。
結局、その組織は「告発」という形で、「襟を正さざるを得ない」ことになった。
分かる人にはわかるのだ。
さて、原口大臣がつぶやかれた「解決型教育」。
これは、子供たちへの教育だけでなく、まずは、大人から是非実行して変革していきたいものだ。
答えが一つしかない「減点教育主義」の教育は、狭量で他者を責める風土をつくります。「解決型教育」は、情報の共有と協働を重んじ、人を励まし絆を作り上げます。
このつぶやき。私は、非常に同感した。
これは、今の教育はもちろんのこと、企業風土にも存在しているのではないかと感じるのである。
答えが一つだったとしても、そこに至るまでのプロセスは様々ある。十人十色だ。
そのプロセスに、新たな発見さえある場合がある。
結論、結果を性急に求め、その部分しか目を向けようとしないというのは、非常に危険である。
「売上を上げてさえいれば良い」「数字を出していればよい」ということになりかねない。
確かに、企業としては売上をあげ、利益を上げなければならない。しかし、それがどんな手段、どんなプロセスを経ても良いということではない。
私自身、「数字至上主義」の組織にいたことがある。
その時に目の当たりにしたのが、「不正に作られた数字」。
当時の組織のマネージャーは、それを全く気付いていない。もちろん、その数字が導かれたプロセスを見ていないからだ。
結局、その組織は「告発」という形で、「襟を正さざるを得ない」ことになった。
分かる人にはわかるのだ。
さて、原口大臣がつぶやかれた「解決型教育」。
これは、子供たちへの教育だけでなく、まずは、大人から是非実行して変革していきたいものだ。
2010年4月4日日曜日
ニッポンの春、桜満開!!
今週末、都内の桜は満開に。私も土曜日に皇居周辺に足を運んでみた。
皇居を中心に、二重橋、桜田門、半蔵門、千鳥ヶ淵、北の丸公園、乾門と一周してみた。
特に千鳥ヶ淵付近には、数多くの種類の桜が存在する。
ソメイヨシノ、ヤエザクラ、ベニシダレザクラ、ヤマザクラ、サトザクラなどなど。
その中のソメイヨシノ。
実は、この種の起源は今日まで諸説言われていた。
自然発生説として、伊豆半島を起源とする説。韓国の済州島を起源とする説。
そして一方の人工交配説。東京都の「染井村」と言うところで人工交配されたというもの。
結論として、後者の人工交配説が本日確定したのだ。
現在の遺伝子技術で、コマツオトメという品種とオオシマサクラという品種の交配で生まれたのだという。
人工交配で生まれたということだが、人間が作り出したという意味では、私としては少し残念な感じである。
さて、こうした「花見」文化は、世界を見渡しても日本独特のものだそうだ。
花見の文化は、古代からあるようで、その後、安土桃山時代には華やかなスタイルになり、江戸時代には貴族だけではなく、庶民にまで広がったとか。
ところで、何故、桜にこだわった花見をするのか。
一説には、日本人の価値観にあるのだとか。
桜は、一輪一輪小さな目立たない花ではあるが、一本の幹に何万もの花が咲く。その幹が何本も連なり咲く風景を、個を強調せず、集団性を重んじた「和をもって尊ぶ」という日本人独特の価値観からきているのだという学者がいる。
個人的には、そうした日本人の独特の価値観も、徐々に変わり始めているような気もしなくもない。
さて、新年度がスタート。
今年のニッポンはどんな感じになるのだろうか、と国会議事堂前で思いにふけったりした今日この頃。。
皇居を中心に、二重橋、桜田門、半蔵門、千鳥ヶ淵、北の丸公園、乾門と一周してみた。
特に千鳥ヶ淵付近には、数多くの種類の桜が存在する。
ソメイヨシノ、ヤエザクラ、ベニシダレザクラ、ヤマザクラ、サトザクラなどなど。
その中のソメイヨシノ。
実は、この種の起源は今日まで諸説言われていた。
自然発生説として、伊豆半島を起源とする説。韓国の済州島を起源とする説。
そして一方の人工交配説。東京都の「染井村」と言うところで人工交配されたというもの。
結論として、後者の人工交配説が本日確定したのだ。
現在の遺伝子技術で、コマツオトメという品種とオオシマサクラという品種の交配で生まれたのだという。
人工交配で生まれたということだが、人間が作り出したという意味では、私としては少し残念な感じである。
さて、こうした「花見」文化は、世界を見渡しても日本独特のものだそうだ。
花見の文化は、古代からあるようで、その後、安土桃山時代には華やかなスタイルになり、江戸時代には貴族だけではなく、庶民にまで広がったとか。
ところで、何故、桜にこだわった花見をするのか。
一説には、日本人の価値観にあるのだとか。
桜は、一輪一輪小さな目立たない花ではあるが、一本の幹に何万もの花が咲く。その幹が何本も連なり咲く風景を、個を強調せず、集団性を重んじた「和をもって尊ぶ」という日本人独特の価値観からきているのだという学者がいる。
個人的には、そうした日本人の独特の価値観も、徐々に変わり始めているような気もしなくもない。
さて、新年度がスタート。
今年のニッポンはどんな感じになるのだろうか、と国会議事堂前で思いにふけったりした今日この頃。。
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