2010年2月6日土曜日

ドンペリニョンと、京都の伝統文化

今朝、日本テレビ系「ウェークアッププラス」という番組内で、とある京都の桶作り職人を紹介していた。
なんと、その桶職人が作った桶、フランスの高級シャンパンブランド「ドン ペリニヨン」が、公式シャンパンクーラーとして、発注したのだそうだ。




■関連記事:京都新聞「桶指物の技、ドンペリとコラボ 左京の職人親子が高野槇でクーラー」



この世界から注目された京都の桶指物を作っているのが、京都の木工芸「中川木工芸」を営む中川親子。父、中川清司氏は国の重要無形文化財保持者、つまり人間国宝。

中川木工芸


テレビでは、長男の周治氏がインタビューに答えていた。
桶を作る際、一つ一つの木材にはそれぞれ違いがあり、更に木の香りにこだわっているのだそうだが、ドンペリニョン担当者もシャンパンの香りにこだわる。そうしたところに共感したとのこと。

この桶指物は、高野槇(こうやまき)というもので作られ、耐久、耐水性があり古くから使われているものだという。きちんと使えば、修理をしながら何世代も使えるもの。今風な言い方をすると「エコ商品」というべきところかもしれないが、昔はこうしてモノを大切に扱うのは当たり前。

そんな、桶作りをしている所は、昔は数百件あったのらしいが、今では数件程度に。
今回の世界的な評価を受けて実現したシャンパンクーラーは、古来からある伝統技術を使用しつつも、現代風なデザインを取り入れて、世に出ることになった。

こうした伝統の中には、先人から受け継がれた、様々な知恵や技というものが培われている。

安価に大量生産できる時代になった今日、同じモノづくりである、別のとある業界ではリコール問題で世間を騒がしている。

長年の間、職人から職人へ培われてきた知恵や技には、「いかに安く大量に作るか」というものではなく、「いかに質が良く、使う人が喜ぶ商品を作るか」という考えのもとで受け継がれてきている。

「モノづくり」の原点。

作る側のこだわり視点。
値段が高くても、良いものを買うという視点。

今の世間を騒がしている話題と対照的だなと感じながら番組を見たのだった。

2010年2月5日金曜日

「心技体」に思うこと。。

横綱朝青龍が、昨日引退をした。
引退会見での「モンゴルの一少年を、ここまで育ててくれたことに感謝」という言葉が、非常に印象的だった。「力士というよりも、プロのアスリートだな」という印象を受けたのだった。


相撲界は、ここ最近、土俵外の色々な面で、世間を騒がしてきた。
とくに、朝青龍関の問題に関しては、「品格」やら、「心技体」の「心」について、取り立たされてきた。

私自身、この話題について、相撲界、とりわけ朝青龍関にばかり目を向けられているが、実は、我々自身にも、同じことが言えるのではないかと、常々思ってきたのだった。


「品格」や「心技体」について、私自身、学生時代などを振り返ると、どちらかというと、「古臭い」「堅苦しい」ものとして、正直、拒否反応を持っていた。「強ければよい」「勝てばよい」というように。。

そして、社会に出て何年か経験した後、特に今の日本の状況を鑑みて、この言葉の持つ意味の重さ、重要性を感じるようになっている。


「心技体」は、よくスポーツで使用されるが、ビジネスでも、日常生活でも関わるのではないだろうか。特に「心」。

スポーツでは、「心」については、「強い精神力」「勝つという気迫、意識」というところのみフォーカスする人がいるが、これは、「勝負」のみにフォーカスした場合。

日本古来の相撲、柔道、剣道などの「道(どう)」という視点で見た場合、「感謝」「敬意」という概念が重要性を持つ。相手への感謝、闘いの場への感謝、道具への感謝など。。

先日まで、横綱審議委員を務めていた脚本家の内舘牧子氏は、朝青龍の引退に際し、「その国への敬意、その業界への敬意、そしてその仕事への敬意を払ってほしい」とコメントしていた。

「感謝」にしても「敬意」にしても、相手あってのことだ。

ビジネスにおいても、お客様への感謝、敬意があってこそ、お互いの間での信頼が醸成され、最終的に、それが「売上」や「ブランド力」というものにつながるのだと思っている。

また、企業内においても同じ。組織は、自分ひとりで動いているのではなく、相手があって、それぞれの役割の中、力を合わせて動いている。相手あってのことだ。


モノが溢れ時代が豊かになって、いつのまにか、社会全体が自分中心の考えになりがちな世の中になってきているのかもしれない。

そんな中で、今の不況を少しでも早く脱却するためにも、こうしたことに対する意識改革を、こつこつと積み上げていかなければならない時代になってしまっているのではないかと考えたりする。。

2010年2月4日木曜日

社内の情報洪水に溺れないために。。。

みなさんは、電子メールを自身の業務でどのような位置づけで利用されているだろうか?

日経BP社「ITpro」で、こんな記事をネット上で見つけた。

[情報のリスクや価値管理の死角-3]有用性失う電子メール,社内SNSが解決策に


電子メールが登場して、早十数年が経過して、ビジネスでも当たり前に利用しているが、知らぬ間に業務の生産性を落としている可能性があるとの指摘。


私自身、ここ10年近くはIT系で勤務してきているが、1日の電子メールのトラフィックの量は以前からかなりの量になる。10年近く前は、我々の業界特有なものだと感じていたが、どうやら、最近はどの業界でも同じような状況に近くなっているようだ。

また、若い世代も、プライベートのコミュニケーション手段として、当たり前にメールを活用してきた世代が、社会人として活躍し始めている。そうしたことも後押しして、全体のメールのトラフィックも増えているのだろう。


さて、メールは、我々のコミュニケーションに対して、「功」と「罪」があるのではと私は考えている。

「功」の面は、みなさんもすでに経験しておられるだろうし、各種メディアで取り上げられているのであえてここでは触れない。

一方の「罪」について考えてみたい。特に、「情報伝達」という側面で、色々なネガティヴな側面がある。

例えば、「伝わったかどうか、実はわからない」という側面。「メールを出した」=「情報が伝わった」と感じている場合が、よくある誤解の一つだ。

メールは、書き手の「文章力」、そして読み手の「読解力」というそれぞれのスキルによって、情報伝達力が左右される。さらに、対面ではないので、微妙なニュアンスや感覚は、リアルタイムにはわからない。さらに、読む側も、メーラーを立ち上げるまでは、情報を届かない。

そういう意味で、確実に「情報伝達」を行うためには、上記の要素を保管する策が必要となるのだ。

このようにメールを使用する際には、トラフィックの増加以外にも、そもそも潜むネガティヴな側面を考慮しなければならないのだ。

今後、メールの利用は、より一層ビジネスでも利用されることだろう。

しかし、メールのコミュニケーションの長所と短所を、如何に理解しながら業務に取り入れるか、業務改善における一つのポイントととして考えてみても良いのではなかろうか。

2010年2月3日水曜日

「うっかり」が無いよう、「しっかり」確認するとうこと。。

先日、日本の大動脈である東海道新幹線を止めてしまった停電、結局、原因は人為的なミスだったようだ。さらにそれも単純なミス。


東海道新幹線と言えば、それこそ昔は、開業から数十年間、無事故の記録をずっと継続していた時代があった。若いころに、そのようなことを言われていたことを覚えている。

ところが、最近では小さなトラブルがちょこちょこと起きている印象を受けている。

確かに、昔に比べると、限界レベルにまでなっている過密なダイヤ。様々な機械がコンピューター化され、複雑になる点検。そして、空路と陸路との熾烈な競争。「夢の超特急」と呼ばれていた長閑な時代ではないのは確かだ。

しかし、今回の事故は、3時間半にわたり乗客が車内に閉じ込められ、数十万の乗客に影響を与えるものになった結果に比較して、あまりにも単純なミスが原因だったことに愕然とする。

今回の原因は、ボルトのつけ忘れ。JR東海によると、今後の対策として、ボルトの在庫管理、作業の完了確認を徹底すると発表されている。

そもそも、この作業は単純作業でチェックシートがなかったらしい。更に、あまり行われることのない稀な作業で、ベテラン作業員にとっても初めての作業だったのだとか。


人為的なミスは、どんな業界で、どんなところでも起こりうる話だ。我々の仕事の周りでも起きる。こうした人為的なミス、所謂「ヒューマンエラー」を防止するために、様々な工夫をする必要がある。これは、一見「ムダ」に思われるようなこともあるかもしれないが、これは「必要なムダ」ということだ。

これらの工夫をする際の視点として、


  1. 仕組みでの回避
  2. 物理的な回避
  3. 人為的な回避
  4. 意識的な回避

といった視点があげられる。


日常のビジネスにおける業務から、プライベートの日常生活に至るまで、おそらく、ヒューマンエラーは身近に存在するものだ。よっぽどの人でない限り、「うっかり」や「ヒヤっと」するようなことは、日々経験しているだろう。

技術の発展により、こうしたヒューマンエラーを防止する機能が付いたものが多数出回り、上述の「1」や「2」を行わなくても良いものが増えているのも事実。

しかし、こうした高機能の機械に頼り切るのではなく、出来るだけ日頃から自ら意識しながら、エラーをどうしたら防止できるか、日々考え、工夫をし続けることも大切なことだろう。そして、エラーが起きてしまった場合、今後、同様のことを起こすことのないように改善することも、忘れてはいけない。

2010年2月2日火曜日

「時」のマネジメント

最近、仕事をしていて、特に気になることがある。それは、「時間」に対する考えだ。

経営の三大要素である「ヒト」「モノ」「カネ」というものがあるが、これに「トキ」を加えるべきではないかとつくづく思う。

先の三大要素も非常に大切なことは事実でるが、この「トキ」というものも、非常に重要である。先の三大要素に比べて、一度失ってしまうと取り戻せない厄介なものでもある。


「トキ」は、
・プロジェクトやタスクを実施する「日時」的な概念、
・商談や打ち合わせ、業務遂行そのものの実施している「期間」の概念
・何かを実施しようとする「タイミング」という視点での概念

など、いくつかの概念で考えられるのではないだろうか。

これら、「日時」、「期間」、そして「タイミング」には、それぞれに意味があり、そうでなければならない理由がある。

また、ビジネスをしている限り、これら3つ、「日時」「期間」「タイミング」が決定するプロセスは、単なる1人によるものではなく、それに関わる人の都合や思惑など、様々な要素が複雑に絡み合っている。


そこで、最近私が感じるのは、この「トキ」をマネジメントする力が、社会全体的に低下しているのではないかと感じるのである。もしくは、「無理」をし過ぎている感も否めない。

やらなければならない「ゴール」は明確であるが、そこに至るまでの「プロレス」「タスク」というものが明確でなく、対処的な予定や計画で終わり、結論として「バタバタ」してしまっている。

その結果、「頻繁なリスケ」「無理な段取りによる業務遂行」といったものに行きついてしまい、結果として、事故や不正、手抜きなどにつながってしまっているのではないだろうか。特にIT業界で発生する「段取り」に関する不慮の事故は、携わる人間が「段取りが見えていない」というところに原因があるものが多い。


私が一つここで提唱したいのは、「スピード感」の共有、「タイムライン、タイムスタンプ」の共有の2つ。

全社の「スピード感」の共有とは、文字通り「時間の進む速さ」の共有だ。
接客を例にするとわかりやすい。
朝の通勤時の売店の接客は、手際の良さが勝負。一方、日中のオフ時間には、丁寧な対応が要求される。客のスピードのニーズが違うのだ。

そして、「タイムライン、タイムスタンプ」の共有とは、節目節目がいつなのかということ。
複数の人間には、それぞれ予定も計画もある。それぞれが上手く絡み合うためには、それぞれの節目節目になる時間を知っておく必要がある。

プロジェクトをマネジメントする場面だけではなく、ごく普通のビジネスの場面でも、こうした基本的なことを見直すことも、大切だと思う。

2010年2月1日月曜日

伝統のおもちゃ、伝統的な遊び方に潜むもの。。

「おもちゃインストラクター」とうものをご存じだろうか?
これは、特定非営利活動法人日本グッド・トイ委員会という組織が養成している資格だ。

■おもちゃインストラクター
http://www.goodtoy.org/expert/ti_index.html



遊び”の本質や、”おもちゃ”の本当の役割を”遊びのプロ”が養成し伝授するというもの。
「遊ぶことの大切さ」「手作りのおもちゃの温かさ」の重要性を広めるということだ。「心の栄養士」的な存在にさせることを目指しているらしい。

私自身、一般的な子供と同様に、子供時代多くの玩具に触れてきた。しかし、ほとんどの玩具は市販されているものばかり。
そうした中で、手作りの遊びや玩具といったものは、ほとんど明治生まれの祖父から教わったりしたものがほとんどだった。自然にある、小石や葉を使用した遊びから、木片を切り出して木工細工で船や車を作ったり、コマ回しから、竹トンボ、剣玉に至るまで色々教わったのを覚えている。


現在、テレビゲームが氾濫し、子供たちはほとんど家で遊んでいるらしい。確かに、都会では、そもそも外で遊ぶ場所もなく、危険や誘惑も多い。また、共稼ぎで両親が不在の家もあり、親が直接構えられないという現実問題を抱える家庭もある。そうした環境の中で、テレビゲームなどで遊ばざるを得ない状況も理解できる。

一方で、手作りのおもちゃの良さというものも、忘れてはならないと思う。

自然の材料を使うことで、自然について学ぶ。
道具を使って作り上げることによって、物を創るということを学ぶ。
一緒に作ることで、コミュニケーションが生まれる。
自分が作ることで、ものを大切にしようという心が生まれる。

一つのおもちゃで多くのことを学ぶことが出来る。

これは、単なる子供時代のことではなく、大人になっても大切なことではなかろうか?

モノがあふれ、お金で多くのものを手に入れられる時代。
しかし、本来手に入れるべき、無形資産的なものを、改めて大切にしなければならない時代なのではないだろうか。

2010年1月31日日曜日

新しい情報端末、「iPad」誕生!!

今週印象に残ったのは、先日アップルが発表した新商品「iPad」。タブレット型PCだ。

アップル「iPad」

年始早々、アメリカのほうから電子書籍用の閲覧機器が発表されるなど、今年はこのタブレット型の情報デバイスが話題になる気配だ。


このiPad、iPhoneをいくらか大きくしたような形ではあるが、ノートPCよりも手軽に、iPhoneよりも充実した、そんなところの市場を狙った商品なのだろう。


ところで、非常にマニアックな例えで恐縮だが、米国SFテレビドラマ「新スタートレック」シリーズというものがある。舞台は24世紀、惑星連邦の宇宙艦隊の物語であるが、このドラマでは、随所に、クルーが日々の航海日誌をデジタル報告書で上官に報告するシーンが映し出される。私は、この「iPad」が発表された際に、とうとうSFの世界が現実味を帯びてきたなと思ったものだ。


インターネットが登場した際に、ペーパーレスが加速されると言われて、早10年強。しかし、それほど劇的に、紙が減ったという印象は実際のところ思ってはいなかった。

個人的にも、確認や保存をする際には、どうしても印刷してしまう癖が、いまだにあるのもの事実。

ただ、10年前に比べると、新聞の発行部数は減り、出版業界も電子出版に力を入れ始めるなど、徐々にデジタルデバイスへの移行はされてきている。


私が、まだ完全にデジタル移行させないのも、事実、デジタルで管理することに対して、まだ使いにくさというものを感じているからだ。

「iPad」は、まだ手にして触ったことはないが、そうした使いにくさというものを、解消する画期的な危機であるならば、情報コミュニケーションにおける大きなインパクトを与える起爆剤になるのかもいsれない。