2010年8月28日土曜日

フィッシングサイトが立ち上がる。。。

ゲームサイトを運営するGREEを騙ったフィッシングサイトが立ちあがっているようだ。


GREE を騙るフィッシングサイト登場−フィッシング対策協議会が注意促す
毎日jp)

フィッシングサイトとは、とある企業になりすまして、個人情報やメールアドレスを登録させるもの。この情報をもとに、振り込め詐欺や架空請求などの犯罪等にも使われる。

フィッシングサイトは、以前はPCサイトで多く立ちあがっていたが、最近では携帯サイトで立ち上がっているようだ。

PCサイトと違い、携帯サイトであるとサイトのドメイン名やURLが確認しづらく、巧妙に作られたページであると、気付かずに巻き込まれる人も少なくない。


GREEも、こうした事態を重く受け、通常のテレビCMを差し替えて、「社告」的な内容のものに差し替えている。非常に素早い対応だ。

しかし、GREEを利用するコアユーザーも、最近ではテレビを見ない人が増えていると言われている。こうした「社告」で伝えられる範囲も限界があるかもしれない。


フィッシングサイトは、非常に巧妙に作られて、見た目では分かりづらいものになっていることが多い。しかし、ちょっとした技術的な知識で「あれっ」と気付く方法はいくつかある。

そして、何よりも、その場で冷静に判断することで、今その段階で、そうした個人情報の入力の必要性があるのかをじっくりと考えると、「おかしいな」と分かる。


業界や行政によるこうした犯罪を防止する制度の構築が急がれる一方で、我々消費者も「危険回避策」の術を、常日頃から知っておくことも、必要なのかも知れない。

2010年8月27日金曜日

「紙」 vs 「デジタル」

日々伝えられるニュース。

このニュースを多くの人は、どのような経路で情報を入手されているのだろうか。

インターネット、テレビ、ラジオ、新聞など、様々な形でニュースを収集することが出来る。

そんな中で、本日こんな広告が出されたそうだ。

新聞協会加盟全103紙が一斉広告 紙の魅力アピール(asahi.com)

全国103紙、2種類の広告一斉掲載(YOMIURI ONLINE)


最近の私は、もっぱらニュースの情報源はインターネットとテレビが中心。

20歳代は、新聞からの情報収集がメインだったのだが、仕事上の関係もあるだろうが、いつの間にか紙からデジタルに移行してしまったようだ。


ところで、あらためて「紙である新聞」の良さとは何か私なりに考えて見ると、こんな感じかもしれない。

  1. 情報を俯瞰して閲覧できる
  2. 好きな部分から情報を閲覧しやすい
  3. 持ち運びやすい
  4. 情報閲覧に特別な道具がいらない

といったところであろうか。


「紙面」と「電子デバイス」の大きな違いは、物理的な制約がある部分。
画面のサイズによる表示の限界は、多機能端末であるiPadでさえ、現在ではその表現できる大きさには限界がある。

そういう意味で、新聞を大きく広げて情報を俯瞰して見るには、まだ紙面のほうに軍配があがるだろう。

しかし、長年慣れ親しんだ新聞のレイアウト構成以上に、工夫された表現が生み出されれば、この限りでは無いかもしれない。これは、上記の2つ目のことにも言える。

そして、上記の3や4も、機器の技術革新により、「紙」よりも使い勝手の良いものが出てくる可能性は、まだまだある。


そう考えると「紙面」である必要性というのは、やはり、将来的には無くなるのではないだろうか。


さて、今回の一斉広告。「紙の価値を再発見してもらう」ということが主旨のようだが、私としては、「紙」というよりも、その「情報の中身」が改めて問われているのではないだろうかと思う。

広告で取り扱われている内容は、手塚治虫氏の「下描き」や野口英世博士の母による「手紙」。「紙だから伝えられる人の思いがある」とのことだが、「ハートを如何に伝えるためにはどうしたら良いのか」という視点が大事なのではないだろうか。

つまり、「手書きだからこそ伝わること」という視点が、私が言いたいことだ。

手書きだと、その人の思い、感情、そして性格までも現れる。
字が上手くても、下手であっても、その人がどのような思いでその情報を伝えたかったのかが分かる。
だからこそ、個人的には採用の際は、デジタルで作成された履歴書よりも手書きの履歴書を好む。デジタルで作成された履歴書よりも、より多くの情報が伝えられるからだ。


ハートを伝えるためにはどうしたら良いのか。

それを考えると、デジタルであれ、アナログであれ、その伝達させるための最適なツールが何なのか、自ずと見えてくるのではないだろうか。

2010年8月26日木曜日

情報を「捨てる」ことに注目する。。。

超高齢者の問題が、引き続き続いている。

最近のニュースでは、三重県の163歳の男性が戸籍上生存というものまで流れている。

163歳とは、1847年生まれということで、江戸時代の黒船来航の6年前。
アメリカの発明王トーマスエジソンの生まれた年でもあるとのことだ。


さて、この三重県の事例に限らず、各地で超高齢者が戸籍上生存している人がぞくぞくと判明している。


電算化される前から存在するデータ。
年金問題にも同じようなことが言えるかもしれないが、データを移行する際に、こうした方々のチェックというのが、今の今まで、漏れていたのだろう。


システム構築をする際、データの収集や保管ということに対しては、非常にセンシティヴに取り扱われるが、案外、「いつ削除するのか」ということに対しては、結構、疎かにしがちである。


個人情報に限らず、仕事においてもプライベートにおいても、個々人によって「物を捨てる」という行為も、バラツキがあるようだ。

何でも捨てられる人。何でも取っておく人などなど。

私個人は、どちらかというと、「何でも取っておく」タイプの人間でもある。


何年か前に、「捨てる技術」という書籍がベストセラーになったことがある。
部屋の片づけや仕事の書類などの管理の仕方について触れたものだ。
私も、結構、参考にさせて頂いたものだ。


情報を整理する上では、情報のライフサイクルである「削除」という場面を、忘れてはならない重要なサイクルの一つ。


オペレーションを設計する上でも、「いつ」「どのタイミングで」「どのように」「削除(捨てる)」のかということも、きちんと決めておきたいものだ。

きちんと決めておくことで、不必要な情報を保有することがなくなることにも繋げられるのだ。

2010年8月25日水曜日

広告表現もガラパゴス化しているのか。。。

今日も、昨日に続いてタイ旅行ネタで。


今回のタイへの訪問は、私にとって初めて。

十数年前にシンガポールやマレーシア、インドネシアを訪れたことがあったが、当時の周辺地域のイメージが強く、今回、結構カルチャーショックを受けた。

特に印象に残ったのは、各所にあるデジタルサイネージ。

街の交通機関は、古くからあるバスとタクシーに加え、最近では地下鉄と高架鉄道の整備が発達している。

その地下鉄と高架鉄道のホームと車内には、各所にモニターが設置され動画の広告が流れているのだ。
更に、日本との大きな違いは、「音声」が伴っていること。「音声」があるだけで、随分騒がしくなるが、伝達出来る情報もその分増える。

車内も、日本のような「ごちゃごちゃした吊り広告」はなく、壁面広告のみ。更に、全車両1スポンサーであるため、何の広告かはひと目でわかる。
更にラッピング広告とも連動しているのだ。ラッピング広告も、日本のような「ちまちましたステッカー」的なものではなく、欧米で良く見受けられる窓も含めて車両全体を覆うラッピングだ。車両全体を覆うため、大胆なクリエイティヴ表現も出来、そして、必要最小限の情報量にシェイプアップされているので分かりやすい。

スポンサーの中には、三菱電機やダイキン、ヤクルトやグリコといった日本企業も名を連ねていた。

こうしたクリエイティヴを目にした率直な感想としては、何故、同じ日系スポンサーなのに、日本の広告クリエイティヴとこうも異なるのかと思ったりしたものだ。

いつも海外に訪れた際に思うのが、日本の広告は、「アドバタイジング(宣伝)」と「セールスプロモーション(販促)」が明確に区分出来ないクリエイティヴが多いことに気付く。

「アドバタイジング」と「プロモーション」は、そもそも異なる。
昨今では、「アドバタイジング」の費用対効果に対する不信感もあるのも事実。
個人的には、今までの交通広告などの費用対効果がそもそも正しかったのかというのも言いたいところだが、クリエイティヴ自身の「質」にも、私は懐疑的だ。

その「質」とは、本当に伝えたいことを絞り込み伝えられていたのかということだ。


多くの交通広告は、「知ってもらいたい」ことと、「売りたい」ことが同等に扱われてしまっているのだ。

「売りたい」意識が強く働き、あれもこれもとクリエイティヴに対して情報を詰め込んでしまうのだろう。また、一方で、法律による「変な表現の縛り」というものもある。
車内の広告の中には、誰も読めないような文字の大きさの注意事項など、多く見受けられる。個人的には、無意味なことをしているなとつくづく思うのだ。


情報をきちんと伝える際には、必要な情報のみにシェイプアップすることも大事である。

こうした日本の広告クリエイティヴに携わる企業側も広告代理店も、そして制作に携わるクリエーター自身も、原点に立ち返って、誰に対して何を伝えたいのか、目的は何なのかを、シンプルに考え直すべきではないだろうか。

2010年8月24日火曜日

サービスの本質が露呈するときとは。。。

先週末から少し遅めの夏休みを頂き、タイのバンコクに訪問してきた。

今回は、個人的には初めて利用する新興旅行代理店。
過去に、チケットの購入のみでの利用では、何度か利用することがあったが、ツアーでの利用は初めてだった。


3泊4日の短期ではあったが、今朝までは特に大きなトラブルも無く過ごすことが出来た。その今朝に起きたトラブルとは、帰国日当日のツアー客の寝坊。


最終日には、ツアーパックに参加した旅行客を、帰国時に旅行代理店が各ホテルを巡回しながらピックアップする。

今回のツアーは、出発時刻は日もまだ昇らない暗闇の中の朝の5時前。

私が宿泊したホテルを起点に、複数のホテルを巡回してピックアップしていった。

今回のトラブルは、その最終ピックアップのホテルでのことだった。
11名のピックアップの予定で、集合時間に集まっているのは、たったの3名。
8名が集合時間を過ぎたにもかかわらず、集合場所に集まらない。

ホテル側からも各部屋に連絡を入れるが、その時に起床した様子。

その後、5分経過、10分経過と時計の針だけが進み、まったく状況は変わらない。

旅行客の中には、苛立つ老夫婦も出始め、事は穏やかではなくなる。
現地タイ人添乗員も、このような状況を経験したことが無い様子で、上手く事態を収拾することが出来ない。苛立つ老夫婦のご主人は、添乗員の電話を取り上げ、直接代理店に対して苦情をぶつける始末。

30分経過ごろ、他のタイ人添乗員がヘルプに入るが、事態は収拾つかず、あたふたするばかり。

結局、40分経過して、4名が遅れて出てくる。20代の若者たちで、まったく悪びれたそぶりも無く、詫びも無く、周囲の旅行客から反感を買ってしまう。
恐らく、前日の夜遅くまで酒でも飲んでいたのだろう。そんな様子での登場であった。


さて、今回の事態。よくありがちな事態でもある。
出発時刻が早朝の場合は、想定できる話だ。

だからこそ、こうした事態を事前に予測し、それらを発生することが無いような工夫が必要だ。

そもそもは、寝坊をし集合時間を守らない旅行客が悪いのは確かだ。

しかし、その他の旅行客を気持ちよく帰国させるまでの仕事は旅行代理店の役割。

飛行機の離陸時間が刻々と迫る中、いかにお客様に安心させ、事態を混乱に導かないようにするのかは、旅行代理店側の力量。

更に、こうした早朝の集合時間の場合に、「寝坊客」を如何に発生させない工夫も一つのしどころだろう。旅行日初日、特に、「若い学生客」には念を押しておく必要はあるだろう。冗談を交えながらも、こうしたことが無いようにリマインドさせることも大切だ。


旅行という商品は、目に見れるものではなく、人の心に残るもの。
如何に、気持ちよく旅行できるかが、リピート対策にも繋がる。


教科書一辺倒のサービスだけでなく、こうしたイレギュラーな状況で、如何に対応が出来るかが、サービスの本質が問われるところ。


サービスオペレーションを実行する際には、こうした異常時の対処法をも含めて、常日頃から点検しておく必要があるのだ。

2010年8月23日月曜日

まだまだ、地球上には知られていないことはいっぱいあるものだ。。

人間は、この自然界のことをどれだけ理解しているのだろうか。
人間は、自分たちのことをどれだけ理解しているのだろうか。
人間は、これまでの過去のことをどれだけ理解しているのだろうか。

たまに、ふと思うことがある。

新種のサル、アマゾン川流域で発見…ネコぐらい (Yomiuri Online)


7年かけて大宇宙に飛び出して帰還した「はやぶさ」のような科学技術が進歩した時代に、こんなニュースが、飛び込んでくる。

地球上には、まだまだ未知の生物が恐らくいるのだろう。
また、未知の細菌やウイルスなども存在しているのだろう。

そして、正しい知識として認識しているものも、たまに「間違っていた」ということも良くある話。

最近では、恐竜には羽毛が生えていたというのが通説になりつつあり、鳥類がその子孫だとも言われている。

一方、欧米では、日本で当たり前のように教えられている進化論も、進化論と一緒に「異論」なるものも教えられているようだ。


何か新しいものを発見しようと考えた時、現状の状況や事象に対して、「疑ってみる」という考え方も、実は重要なフレームワークの一つだ。

何か、新しい仮説をたてたりする際にも非常に有効だ。


「何故」「どうして」という日々の生活において、様々な疑問を持ちつつ考える癖を付けておくと、こうした取り組みを行いやすくなる。


非常に閉塞感漂う現代だが、常に違った視点で物事を捉えて見るというのは、こうした環境を打破するための一つのきっかけになるのかもしれないと思ったりする。

2010年8月22日日曜日

時代は、モノからコトへ。。。

観光立国を目指す、ニッポン。

そのニッポンでの滞在中の観光客の「お目当て」がどうやら変わってきたそうだ。

ニッポン観光、目当ては食事 (Yomiuri Online)


日本政府観光局の調べによると、外国人観光客の日本を訪れる動機は今までは、「ショッピング」が連続最多だったらしい。ところが、直近の調査によると「食事」が1位になったそうだ。


「日本食」は、海外でも非常に健康的と評価され、それが来訪のきっかけになっているのだろうか。

先日も触れたが、中国人観光客、とりわけ富裕層の来訪目的も、従来のようなショッピングでは無く、富士山などの風光明美な日本の原風景が残る観光地であったり、茶室など文化に触れることを好む傾向に変わっているのだと。

また、先日、東京ビックサイトで開催されたコミックマーケットにも、多くの外国人の来訪があったようだ。世界最大の祭典ということで、わざわざ、コスプレの準備までして日本に訪れているようだ。


さて、このように見ると、海外観光客による日本への興味対象は、「日本製のモノ」よりも「日本でのコト・トキ」というものに対して、その対象が変わってきているのが読み取れる。


この「コト」や「トキ」は、人が感じる感覚によって伝えられる。目に見えない捉えづらいものだ。我々、日本人ですら、捉えることが難しい。

しかし、こうした「無形」の文化資産というものが、海外からの評価が高まっているのは確かだ。

これから、日本が観光立国を目指すのであれば、こうした「無形」のものを、どうアピールし、どう評価すべきか。まず、我々日本人自身が、学ぶべきことではないかと思う。