2010年5月22日土曜日

書籍の電子化による未来って。。。

多機能端末iPadの発売を目前にした今週、ネット雑誌に関する調査結果の記事に目がとまった。

ネット雑誌「有料でも読む」が6割 日本雑誌協会が調査(asahi.com)


日本雑誌協会


この調査は、日本雑誌協会がインターネットで雑誌記事等を有料配信するビジネスの可能性を探るというもの。

日本雑誌協会は、雑誌コンテンツデジタル推進コンソーシアムというものも設立している。これは、雑誌コンテンツを配信する際の著作権問題から、新たなビジネスモデルを模索するためなのだとか。


さて、この調査結果では、「有料になっても利用意向がある」「紙媒体を普段購読しない人でも、約7割がデジタル雑誌購入の意向がある」などの調査結果があるのだとか。


記事では、雑誌を有料配信への可能性を調査結果が示唆していると。

確かに、有料でも良い雑誌であれば購入するユーザーは多いだろう。

しかし、紙媒体を単にデジタル化して有料配信すれば良いというものではない。

紙媒体は紙媒体のメリット。デジタルはデジタルでのメリットがある。

紙媒体を軸としたビジネスモデルでは無く、デジタルデバイスを軸としてビジネスモデルを検討すべきだ。デジタルならではの特徴、持ち歩けるデバイスとしての特徴、そしてインタラクティヴに操作できる特徴。
これらを、上手く取り入れてユーザーメリットを生み出すことにより、有料化としての価値が生まれるのだろう。

2010年5月21日金曜日

「考える」ことを習慣づけよう!

「人間は考える葦である」

L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature; mais c'est un roseau pensant.(フランス語原文)


これは、断片集『パンセ』に収録されているパスカルによる有名な言葉。

「人間は自然のうちで最も弱いひとくきの葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。」という言葉であるが、今日の仕事の打ち合わせで「考える」ということがテーマになって、ふと、この言葉が頭をよぎった。


人間は、最近、本当に自分自身の頭で「考える」ということをしているのかと疑問に思うことがある。
特に、最近の日本。

キーワードは、「自分自身の頭で」というところだ。

他人の意見、ネット上の情報、マスコミの情報、そのまま鵜呑みにして、きちんと判断できる力が衰えてきているのではないだろうかと危惧している。

確かに、昔に比較して、触れることができる情報の量は比べ物にならない。
また、逆に情報を発信するツールも、一般の人も手に入れることが出来るようになった。
一方で、その情報そのものの質も当てにならないものも各段に増えた。
ネット上には、悪意のある情報発信者もいる。

マスコミの情報も、報道されているものが全てとは限らない。また、それが発信する側のフィルターを通しての内容であることも、忘れてはいけない。


多くの情報に触れる便利な世の中になったものの、その情報自身をきちんと見極める力も必要。そのためには、日々「考える癖」も必要だ。


社会が成熟化し、モノが豊かになると、新たなイノベーションも必要になる。
そういう意味でも、「考える」という力は重要だ。


「考える癖」は、教育を通して決して身につけられるものではない。
自ら「学ぶ」、「興味を持つ」、「関心を持つ」というクリエイティヴな思考から、初めて生まれるのだ。

2010年5月20日木曜日

今日のBSフジプライムニュースで、「官僚の言葉」をテーマに放送していた。
所謂、「霞が関文学」言われるものだ。

ゲストは、猪瀬直樹氏。

過去の霞が関と対峙した事例を紹介していた。

霞が関文学と言われる具体的な事例としては、1文~2文入れ替えることにより、文章の内容の論理構成を変えてしまったり、読み手の印象を変えるような様々な表現なるものを言っている。

例えば、「純減」と「削減」。

1,000人の人間がいたとする。そのうち、100人を辞めさせ、新たに100人を採用。この場合を「削減」と言うらしい。しかし、実際の数としての「純減」にはなっていない。
そもそも、「補てん」することを話の前提に入れていなければ、実際の人員数が変わらずとも、役所的には「削減」させたとするらしい。


確かに、「補てん」について予め触れていなければ、当初の人員に対して「削減」したという視点では、論理的には正しい。


公の文章は、一言一句が非常に重みのあるもので、物事を大きく左右するものである。
だからこそ、そうした文章に日々接している人にとっては、文章自身の論理構成、言い回し、個々の単語を非常に厳しい目で見るのだ。

役所に提出する各書類を作成された経験のある方は、そうした「重み」というものを感じたことがあるのではないだろうか。

また、一方で、「月例文学」というのも紹介。所謂、景気動向を表す独特な言葉だ。
例えば、「足踏み」、「踊り場」、「下振れ懸念」、「底堅く推移」、「弱含んでいる」、「自立性は弱い」等など。

これらを考えるときには、英語に直して考えると良いと猪瀬氏。


電子メール、チャット、SNS、Blog、Twitterと、個人が気軽に情報発信出来るようになり、そこで扱われる文章というのは、非常に口語的であり、平易なものになっている一方、こうした公文書というものも存在し続ける。

このブログでも指摘しているが、日本語そのものがそもそも曖昧な表現を好む言葉。俳句や短歌の文化もあり、直接的な表現を避ける傾向もある。更に、主語も省略してしまうことが多い。


霞が関文学のような、人を誤魔化すような論理的な文章は、肯定的に思ってはいないが、「論理的に文章を書く力」や「行間を読み解く力」というものも、ビジネスでは忘れてはならない重要なスキルだろう。

2010年5月19日水曜日

この字をご覧いただきたい。



これは、実際にある漢字ではない。

産経新聞と立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所とが主催で実施された「創作漢字コンテスト」での最優秀賞作品だ。

このコンテストは、文化勲章受章者の、故・白川静氏の生誕100年を記念して実施されたものだ。この文字以外にも、多くの興味深い作品が紹介されている。

「創作漢字コンテスト」



我々、日本人が日々使用している「漢字」。
そもそも、漢字と言うものは、自然物、人、モノ、コトなどの事象を表現して、長年の年月を経て、作り上げられたものだ。

それぞれのパーツ自身が、それらの事象を表していたり、パーツ自身が組み合わさって、別の意味を表しているのだ。

今回の創作漢字は、そうした漢字の特徴を取り入れ、現代の世相や社会を表したものだ。
さて、「言葉」というものは、時代とともに進化(もしくは退化?)する。
地方の方言が、全国区になるものや、コピーライターが考えた造語であったり、業界の専門用語、海外から入ってきたカタカナ言葉など、日々様々な言葉が出現する一方、使われなくなってしまう言葉も、一方ではある。

漢字の成り立ちや言葉の成り立ちなど、ふとした時に調べて見ると、また新たな発見をするきっかけを与えてくれるものだ。

2010年5月18日火曜日

あなたの社長との心の距離は?

ネットのニュースで、下記のようなトピックに目がとまった。

社長との心の距離「火星と同じぐらい遠い」 会社員調査


社長との間に感じる心の距離をJTBモチベーション社が調査したものだ。

「違う星にいると感じる」というものが、全体の20.4%。

その理由を、「コミュニケーションが少ない」「こちらの仕事や状況を理解していない」というのが多かったらしい。


私自身、大企業、中小企業、ベンチャー立上など様々な規模や社風の組織を経験をしてきた。

確かに、大企業になればなるほど、社長だけでなく経営陣とのコミュニケーションなど稀になる。物理的に、接する機会も自ずと少なくなるのだから、コミュニケーションも減ってしまうだろう。

そうした背景もあり、一部企業では、インターネットを上手く取り入れ、社内のコミュニケーションの活性化を図っている企業もある。

少し前では、社内Blogで、経営トップが自ら率先して、コミュニケーションを取っていこうという取り組みをする企業も目立った。
最近では、Twitterで社内外に、経営トップが情報発信する取り組みも出始めた。

しかし、こうしたトップの情報発信も、方法を間違えれば、単なるトップダウンの一方通行の情報伝達で終わってしまう。

社内のコミュニケーションの活性化は、まずは社内の雰囲気そのものが左右する。
話しやすい雰囲気を醸成し、話すことそのものが仕事にプラスに作用し、会社にも、話す本人自身(上司であろうと部下であろうと)にもプラスになって、初めてポジティヴなコミュニケーションが生まれる。

それには、まず、双方が自身のことを知る。
役職の意味、部署が求めていること等の、個々の役割や責任は勿論、個々の人間の強み、弱みといったものまで、お互いのことを知るのである。

そして、互いにそれらを認め合い、理解し、力を補い合うことが大切である。

2010年5月17日月曜日

見えない「力」に、どう対処するか。。

組織の中でプロジェクトを遂行する際、いくつかの壁にぶち当たる。
その壁のうちの一つが、「見えない力」によるもの。言い換えると、「政治力」である。


組織が大きくなればなるほど、様々な形での「力」が作用される。

トップからのもの。。。

横からのもの。。。

内からのもの。。


システム開発のプロジェクトにおいて、納期遅延などの当初の予定を変更せざるを得ない事態を招くのも、こうした「力」によるものが多い。


私どものような、外部の人間としてプロジェクトに参加する立場にとって、こうした「力」は、プロジェクト当初は、何かきっかけが無いと、相当なことをしなければ、中々表に出てこないものである。

特に、組織に所属する立場の人間自身が、そうした「力」の存在を意識していないと、尚更だ。

しかし、こうした「力」は、「誰のための力」かを問いただすと、組織自身の都合であったり、単なる思い込みであったりする。その事業そのものの「お客様」の視点に立った考えのものは稀である。


過去、流通の第一線で働いていたころ、毎日のように、「上を向いて仕事をするな、お客様を向いて仕事をしろ」と、耳にタコが出来るほど、指導されたものである。


どのような仕事であっても、その対価と引き換えに恩恵を受ける「お客様」は存在する。
例え、管理部門の人間であっても、管理部門の人間にとってのお客様は、社内の人間であるはずだ。
政治家にとっては、国民であり、医者にとっては、患者である。
先生にとっては、生徒であり、マスメディアにとっては、広告主では無く、視聴者である。


「お客様」の視点というのは、お客様に媚び諂うのではなく、「お客様」の視点で、どう役に立てられているのかということだ。


非常にシンプルで当たり前のことであるが、実行するのはなかなか難しい。


「お客様の立場で考えられているか」
これを毎日、自問自答しながら、日々改善しながら、意識と行動の継続することが重要だ。

2010年5月16日日曜日

斜面を登る、反重力ボール!?

まずは、こちらの画像をご覧いただこう。



木のボールが、勝手に斜面を転がり「登る」シーン。
錯視を効果的に利用した映像だ。

これは、5月10日にアメリカのフロリダで開催された「第6回年間最優秀作詞コンテスト(Best Illusion of the Year Contest)」で第1位を獲得した「反重力四方向すべり台(Impossible motion: magnet-like slopes)」の映像。

制作したのは、明治大学先端数理科学インスティテュート所員の杉原教授。

世界中から84件の応募があった中での受賞。アジアでの3位以内の入賞は初めてなのだとか。

「第6回年間最優秀作詞コンテスト(Best Illusion of the Year Contest)」

第1位「Impossible motion: magnet-like slopes / Koukichi Sugihara」


エントリー作品の中には、以前、このブログで紹介した「バスケットボールのパス」の映像も含まれている。

錯視は、所謂、「目の錯覚」。幾何学模様によるもの等が有名だ。

錯視というものは、人間が視覚的に入ってきた情報を、脳が三次元的な世界を作る過程で起きるものなのらしい。しかし、心理的に起因するもの、物理的に起因するものなど様々な仕組みもあるらしく、脳科学の研究によってこれからも解明されていくのかもしれない。

しかし、これら視点を変えて見ると、如何に、視覚情報が人間の行動にとって重要な要因の一つになっているのだと、ここからも推察できる。