2010年7月3日土曜日

プラズマ物理学を、法曹界の人はどう理解し裁くのか!?

今日のTBS系列の「報道特集」で、筑波大学の長照二教授の不正解雇に関わる裁判を取り上げていた。

この裁判の概要を簡単に説明すると、筑波大学大学院数理物質科学研究科の長照二 元教授が、2006年にアメリカ物理学会の会誌に発表した論文において、データの改ざんがあったとして、筑波大学から懲戒解雇されたことに対する不当だという訴えだ。

さて、まだ係争中の案件ではあるのだが、この裁判についてマスコミも色々と報道している。

私は、物理学に詳しいわけでもなく、素人であるが、この「裁判」そのものに興味を持った。

つまり、私と同じような文系出身の裁判官が、最先端のプラズマ物理学という分野のデータ分析について、どれほど客観的に理解し、それを公平に裁くことが出来るのだろうかと思ったのだった。


この案件の争点となっているのは、研究における「生データ」である、一次データから二次データを作成する際に、恣意的に改ざんが行われたというのが大学側の主張。

研究データの分析を行う際には、事前に仮説を立てながら、失敗を繰り返しつつ新たな発見を目指して研究を続ける。たまに、全く想定していなかった形で、新たな発見に出会うことも少なくない。どうやら、この「恣意的」という部分が、今後どのように検証されるのか、この訴訟の大きなポイントのようだ。


さて、我々の身近なビジネスにおいてもデータ分析は、様々な場面においても使用される。経営分析といった経営面、売上分析、顧客動向といった営業・マーケティング面など様々だ。これらの数値データをみるときに、その見かたで、その傾向の捉え方も変わってくることを知っておかなければならない。つまり、データをみる側のスキル如何で、そこから導かれることも変わってくるのだ。「データ至上主義になるな」と言われる所以でもある。

私は今回の係争中の案件に対してどちらの立場を取るということは特にないが、裁判官がそうした専門的な分野に対して、如何に事実関係から判断するか、更に専門的な視点はどのように第三者の意見を交えながらこの係争に対して判断するか、今後も非常に興味があるところだ。

2010年7月2日金曜日

広がる中古市場と消費者ニーズの変化

今晩のテレビ東京系のワールドビジネスサテライトで、中古市場に焦点をあてて特集をしていた。

以前に比べて、中古市場というものが拡大しているのだという。


リサイクル書籍の販売で有名な、ブックオフも、従来の書籍だけではなく、ブランド品、アパレルなど、取り扱いジャンルを広げている。
また、大丸松坂屋も、インターネットでグッチやプラダといった中古ブランド品を今月より売買を始めた。

ソーシャルネット(大丸松坂屋)



この他にも、宅配で買い取りするサービス等も登場。

ブランディア


さて、こうした中古市場。

若年世代では、「古着」という形で以前から一般的であったが、最近ではその利用者の幅も広がっているようだ。

私自身も、最近では書籍などで利用している。


このように中古市場が拡大してくると、商品を購入する消費者の心理も変わってくるはずだ。

つまり、新たに「新しい商品」を購入する際、その商品を後々に中古市場にて販売するのか否かというのを事前に考えるということだ。


従来は、その商品が、如何に長く利用できるか、耐久するか、飽きることなく使い続けるかという視点で考えてきた。しかし、モノが豊かになり大量消費時代となり、次々と新商品が登場するという現代。
そうした、昔ながらの「モノを大事に大切に使いなさい」と怒られることも、あまり見受けられなくなってしまった。


少し使用して、直ぐに中古市場に売るという人も、最近では珍しくない。
何でも取っておく私の性格からすると、中々、信じがたい発想ではあるのだが。

さて、このようなライフスタイルが変化してくると、商品を企画し販売する上でのマーケティング計画にも少なからず影響を及ぼす。

新しいものを、次から次へ買い換える購買層や、一度購入したらとことん使いこなす層。そして、中古でもよいから格安で手に入れたいという層。

そうしたユーザー層の違いは、収入などの家計によるところもあるかもしれないが、その商品そのものへの価値観、捉え方によって、恐らく変わってくるだろう。

ある商品は、新品のブランド商品を購入する一方で、別の商品は如何に安く購入するかと考える人も多い。


以前に比べて、複雑で多様なマーケットニーズを、如何に捉えていくか。
益々、難しくなってくる今日この頃だ。

2010年7月1日木曜日

今日、こんなニュースを見つけた。

修善寺駅舎:デザイン見直しへ 一般から公募、再検討--伊豆市 /静岡 (毎日.jp)


修善寺と言えば、静岡県の伊豆半島にある歴史のある修善寺温泉という観光地として有名。

そこの玄関口である、伊豆箱根鉄道の修善寺駅のデザインが、一度基本設計として取りまとめられたものを、再度見直すというのだ。

記事によると、基本設計が完了した後に、「伊豆らしい駅舎に」等の意見が寄せられたためなのだとか。

事前の設計段階での、プロジェクトのゴール、目的、そして利用者の視点が上手く、取りまとめられていなかったからだろう。

恐らく、駅周辺の整備を中心とした問題解決策は練られていたのだろう。
一方で、修善寺は観光地でもある。「伊豆らしさ」というのも、観光地の駅舎としては必要な視点だ。


今回のプロジェクトの見直しは、市民の声によるところが大きい。市民は、駅の大切なユーザーでもある。


さて、システム構築でも、この記事同様、途中でプロジェクトの大幅な見直しが行われることがある。特に、社内システムの構築の際に多い。

社内システムを構築する際に、利用する部署の意見が吸い上げられておらず、情報システム部門主導で、強引に進められる場合に、こうした頓挫することがある。

多くの場合が、部門間の軋轢、縦割りなどの政治的な要因によるものがほとんどだ。

「利用部門の意見を入れるとまとまりが無くなる」「プロジェクトが進まない」というような理由で、強引に進めてしまうようだ。

そのような際に、ポイントになるのが、プロジェクトそのものの「目的」の共有。
そこがぶれてしまうと、プロジェクトはとん挫してしまう。

どんなプロジェクトにおいても、その「目的」を明確にし、何か問題にぶち当たった際には、原理原則に立ち戻って考えることが大切だ。

2010年6月30日水曜日

「英語」を、もっと身近に。。

今日のニュースで、あちかこちらで「グローバル」というキーワードがよぎっていたところ、今晩のBSフジのPRIME NEWSで、英語教育をテーマに放送していた。

題して、「加速するグローバル社会、今こそ”使える英語”教育を開拓せよ」として放送していた。

ゲストの1人に公立国際教養大学の中嶋学長が登場。

公立国際教養大学


この大学は秋田県県立の大学になるのだが、その仕組みがユニーク。
入学1年目は全員が学生寮、しかも外国人留学生とのルームシェア。
授業は全て英語、1年間の海外留学が必須といった仕組みもあり、就職内定率も100%なのだとか。

特にこの外国人留学生とのルームシェアの仕組みは、非常に英語を日々話すためには影響が高いだろう。私自身も同様の経験があるから、特にそう思う。


そして、番組では、企業の社内コミュニケーションにおいて、英語を公用語にする動きも紹介。

少し前から取り組んでいる日産、日本板硝子、電子部品メーカーのSMK、最近では、楽天、ユニクロなどで取り組んでいる。
グローバル化の流れの中で、積極的に取り組んでいるのだろう。


別のゲストに、日本テレビ朝の情報番組「ズームイン」で英会話コーナーを担当していたアントン・ウィッキー氏も登場。

彼曰く、大抵の国では2つの言葉の文化で育つのに対して、日本は1つの言葉。聞くことだけで拒否反応を示してしまうとのこと。また、日本人は自己発信力が足りないのだと。
これらも、英語教育の影響によるものなのだろうか。


自分自身、英語は大学入学するまでは、好きではなかった。好きではなかったというよりも、「学ぶもの、学問」として捉えていた。しかし、大学入学後、留学生との国際交流を通し、「学ぶもの」から「ツール」という感覚を持ち始め、そこから、英語に対するアレルギーが減ったような気がする。


ところで、ITの仕事を何年もしていると、ITに対するアレルギーを持っている人に出くわすことがある。しかし、よくよく話してみると、IT関連で使用されている「言葉」に対して拒否感を持っている人が多いことに驚く。

IT技術は、その多くが海外からの流入されるものが多い。英語のまま使用していることもある。そんなそのまま英語で使用している言葉によって、ITに対する「壁」が出来ているのは、少なからずあるような気がする。変なITに対する「偏見」も、こんなところから生まれているのではないだろうか。


今日の番組で、中嶋学長が「語彙と勇気を」と提言していた。

私自身、ここ数年、ビジネスにおいても外国の方と接することが格段に増えている。
ニュースを見ながら、中嶋学長の提言の「語彙」を、私自身、日々増やさなければと思った今日この頃だ。

2010年6月29日火曜日

「結果」情報の伝え方。。

最近、仕事で気になることの一つに、「結果」情報の伝え方。

社内であれば、仕事をした結果、何かを取り組んだことに対する結果。
対外的であれば、商談の結果、などなど。


そうした中で気になっているのが、「結果」に至ったプロセスや背景、理由などの情報が中々伝達されないということ。

最近、以前にも増して、そうした場面に出くわすような感じだ。

結果の情報の共有は、当たり前に行われるが、その結果に至る部分の情報伝達は、意識していないと欠落してしまう。

何故、私がそこに注目するかというと、「結果」はあくまでも「結果」であるが、その「結果」に対して、これからどうあるべきかを判断する際には、そこでは「結果」だけの情報では不十分である。

ネガティヴやマイナスの結果であれば、それから改善しなければならないし、プラスの結果であれば、更なる成長をするためにどうしたらよいかを考えなければならない。

特にネガティヴやマイナスの結果をもたらしてしまった場合、その原因や理由の把握は非常に重要な要素となるのだ。

「カイゼン」主義で有名なトヨタでは、その行為の結果を分析する際に、「何故?」ということを何度も繰り返して、その原因を要素分解する。そこまでして、初めて原因であろうことを突き止められることがある。


仕事上、その理由は背景を入手出来ない場合もある。
これは、業務委託等でのクライアント側の事情によるもの。
つまり、情報の上流である発注側の事情がある場合がそうだ。

その場合、少なくとも説明出来ない理由を把握出来れば、何らかの対策も行える。
このあたりが、グレーになってくると、参加する人員内においても、フラストレーションが溜まってしまう。

プロジェクトをマネジメントする際に、些細なことであるが、業務を円滑に進めるためには重要な視点の一つだろう。

2010年6月28日月曜日

企業に最適な情報受発信ツールを見つけるために

Twitterも、日本でかなり普及したが、その利用は人により様々。
年齢層もだいぶ幅広くなってきたようだ。

さて、そんな中で日経トレンディがTwitterの利用実態調査を行った。

若者はガンガンつぶやき、中年は“しみじみ”つぶやく~「Twitter利用実態調査」から


この中で意外に感じたのが、Twitterにアクセスする環境。
自宅のパソコンがダントツに多く約85%、その次に多いのが携帯電話で50%を切る。

個人的には、もう少し携帯電話が多いかと思ったが、意外にまだ半数を切っているようだ。


ところで、Twitterを始めたきっかけをみると、Twitterそのものが話題になったからというのが60%。

まだまだ、情報コミュニケーションツールというよりも、話題性での使用が先行しているが、そろそろ、この辺のユーザーの利用目的もいくつかのパターンに分かれてくるのではないだろうか。

私の周りでも、知人同士でのコミュニケーション、リアルタイムな情報収集、自分自身の情報発信など、その利用目的も千差万別。


さらにこうしたTwitter単体のツールだけでなく、複数のツールを組み合わせて利用するスタイルも増えてくるだろう。


従来に比べて、情報の受発信もこのようにツールの使い方次第で、格段にその量と幅が変わってくる。

一方、その多様性に応じた柔軟な情報受発信力は、企業にも求められる。

従来のメディアのみの受発信では、新しいメディアを利用しているユーザーにとっては非常にストレスがたまってしまうのだ。

NHKの広報のアカウントが、ここ最近話題になることが多い。
それは、ネガティヴなことではなく、その対応力。

一般的な広報窓口の対応は非常に堅苦しいものだが、NHKの広報アカウントは非常にその対応がフランクな対応。ある意味、「NHKっぽくない」ということで好評価に繋がっているのだとか。


インターネット技術が発展し、情報の受発信の方法も日々変化している。
企業側も、自社の顧客層を上手く考慮しながら、最適なツールの選択と情報の受発信方法を常に考えることが必要だ。

2010年6月27日日曜日

無形資産の価値を侮るべからず。。。

今晩、TBS系列で「日本の危機」をテーマにした番組を放映していた。
司会は、元NHK記者の池上彰氏。

その中で印象に残ったのが、中国のアメリカに対する高速鉄道技術の輸出。日本人技術者の流出と躍進する韓国企業のサムスン。そして、教育と若者の意欲の低下。

この他にもいくつかのテーマの情報を報道していたが、この3つが印象に残った。

この3つに共通するのが、「技術」「知識」「知恵」といった無形の資産。

一つ目の高速鉄道の話題は、日本企業が技術提供した新幹線、それをアメリカに売り込んでいるというもの。サムスンの話題も、大量の日本企業の技術者が流れ込んでしまっていること。
そして、そうした技術者の将来の卵にもなるべき若者たちの理系離れ、留学離れといった問題だ。


どれも、非常に日本にとっては由々しき問題。


「目に見えない資産」というものを、軽視してきた「ツケ」なのだろうか。

過去にもプロモーションやシステム開発の仕事をしていても、「企画」といったものや「設計」というものに対して、疎かにされるのを肌身に感じてきた。また、企業の中でも人事評価においても、売上至上の思想の人間も多く、そうした意味で、過去対立したこともある。確かに、最終の「成果物」や「結果としての成果」も重要だが、そこまでに至る「プロセス」も大切だ。その「プロセス」にこそ、こうした無形の資産が生まれる可能性が多く潜んでいるからだ。


時代は、日々変化している。

モノづくりにおいても、製品は日々、汎用化(コモディティ化)されてしまう。そのためには、日々イノベーションが必要だ。

発想力、企画力、ノウハウ、知恵といったモノに対する「評価」の仕方。

これらを企業では人事マネジメントや組織マネジメントとして、政治は国益として、そして将来のための教育政策として、待ったなしで、取り組まねばならない時代が到来しているのだろう。