2010年3月6日土曜日

増えつつある、デジタルサイネージって?

今朝のNHKの番組で「デジタルサイネージ」が紹介されていた。
「デジタルサイネージ」とは、映像配信型広告媒体。最近、主要駅ターミナルやスーパー等で見かけるあれだ。

写真は、東京駅構内で撮影したもの。



こうしたものが徐々に増えてきている。

デジタルサイネージも様々なものがある。

写真のように大型ディスプレイがいくつも並んで設置しているものから、小型のディスプレイで商品説明しているものなど。さらに、タッチパネル方式のインタラクティヴなものまで。

デジタルサイネージの情報そのものは、インターネット回線によりメンテナンスされ、紙に印刷する手間や、常に最新の情報に更新できるというメリットがあるのだ。

しかし、多くのデジタルサイネージに映される内容はCMの焼き直しのようなものが多く見受けられる。
東京駅構内のものも、当初はそうしたものが多かったが、ようやくデジタルサイネージ用のコンテンツもちらほら見受けられるようになった状態だ。

デジタルサイネージを使用するならば、デジタルサイネージという媒体特性をきちんと把握したコンテンツでなければ、その効果も発揮できない。

例えば、写真のようないくつものサイネージが並んでいるようなものであれば、その並んでいる特性を上手く利用したコンテンツ表現。時間差で、徐々に映像が表現されたり、いくつかの画面が合わさって初めて、一つの情報になるものなど。。。

また、通りに面したところに設置しているのであれば、歩行者の視線の中に一瞬で興味を持たせる工夫が必要だ。歩行者の歩く速さ、視界の範囲などを考慮して、どれくらいの時間内にインパクトのある情報を表示させるか。こまごまとした説明映像では、情報は伝わらない。

多くの広告がそうだが、媒体においてどのように表示されるかというものが、作り手がイメージしていない場合がある。これは、作り手側が情報を持っていないことにも問題があるが、提供している媒体側も、自分たちの媒体価値というものを、より意識して常に分析しておく必要があるだろう。


2010年3月5日金曜日

コミュニケーション力を高めるための、とある手法とは?

子供たちのコミュニケーション能力を高めるために、最近ではある手法を取り入れているらしい。
その方法とは、CM制作の手法。

東京学芸大学と大手代理店が開発。
「15秒のCMという枠で、自分自身を紹介してみよう!」というものだとか。
今朝のNHKニュースで紹介されていた。


子供たちが、自己表現力を高めるためにまず行うことが、「自分発見」。
自分自身の「良いところ」を、自分自身で考えて洗い出してみる。
洗い出したものを付箋に書き出し、100枚並べる。

中には、中々書き出せず、悩む生徒もいる。

次に行うのが、他人から自分の良いところを教えてもらう。
自分自身が気づかなかったポイントを、教えてもらう。

そうすることで、自分自身の新たな部分を発見するのだ。

先程の書き出せない生徒も、自分の評価に驚いたりするのだ。

そして、最後に、自分の一番良いと思われるところを軸に、CMとしてシナリオを作り、自らの言葉で自分を表現するといったもの。

生徒は、これをきっかけに新たな自分に出会い、今まで話すことのなかったと仲間とコミュニケーションを取れるきっかけに繋がったりしているようだ。


自分自身をじっくりと評価してみる。
これは、何も子供だけでなく、大人でも同じことが言える。

自分の強みや弱みをきっちりと把握する。弱いところは得意分野の人とコラボレーションすることで補完し合い、強いチームを作ることが出来る。

企業も、自社の強み弱みを同じく把握することが重要だ。

客観的に見ることで、自分はどう行動すべきかと考える。。。
コミュニケーションの視点からマーケティング的な視点、様々な視点において忘れてはならない取組の一つだと私は思う。

2010年3月4日木曜日

全体を、立ち止まって俯瞰してみる大切さ

「全体像を俯瞰」してみる大切さ。
ここ数日の私自身の仕事や最近の世間の話題で気にしていること。


例えば、トヨタのリコールの問題。そもそも初動が遅れたことが、事を大きくしてしまったようだ。この初動の遅れは、現在の企業として抱える構造的な問題により起きてしまったのではという指摘がある。つまり、コンピューター化され、さらに分業化され、エンジニア自身が専門職となり、全体の把握が出来ない複雑化した組織構造に起因しているのではという指摘だ。これは、何も、トヨタに限らず、大手企業には多くあることではないだろうか。

「複雑化」は、技術的な要因による「コンピュータ化」「IT化」というものによって、より加速されている。また、人的な側面でも、「人のニーズや思考における価値観の多様性」といった問題。企業で働く、「人材の流動性」などによる「組織力そのものの脆弱性」による、「知恵」「知識」といったものが「混沌」としてしまって、複雑化に拍車をかけているようにも見受けられる。

だからこそ、「現場力」や「可視化」という視点が注目されているのだろう。

ITツールの導入や、オペレーション業務の支援のお仕事をする際に、まず業務そのものをきちんと整備する必要がある。その際には、3つの視点が重要である。それは、業務そのものを遂行する側の視点、業務を受ける立場の視点、そしてそれを客観的に捉える視点。
現場では、多くはこの後者2つの視点が抜け落ちている場合が多々見受けられる。

「そんな余裕等無い!」というのが本音のところだろうが、オペレーション業務の質を上げるためには、この2つの視点は非常に重要だと私は思っている。

2010年3月3日水曜日

「ホウ・レン・ソウ」、大丈夫ですか?

今日の国会、珍しい光景が飛び込んできた。それは、あろうことか大臣の遅刻、それも3人。国交大臣、国家戦略担当大臣、総務大臣のお三方が陳謝するという異例の事態があったのだ。

質疑で準備していた野党からは、「緊張感が足りん!」との猛烈批判。
総理からも同様の苦言が。。。

午後の審議では、ヤンキー先生として有名な自民党の義家参議院議員が、

「高校受験をする彼らが試験前に遅刻してきたら、申し訳ありませんでしたと頭を下げれば、彼らはテストを受けさせてもらうことができるのでしょうか、できないんですよ」

と、指摘。ごもっとも。

我々のビジネスでも、プレゼンテーション等に遅れることはご法度。会議などの予定というものは、相手あって、双方がわざわざ時間調整をしているのだから。

今回の遅刻は、事務方の連絡ミスだとか。
所謂、我々の言い方で言うと「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」がきっちりと出来ていないということだ。

ここ数日でも、私の周りでも同様のことがあった。所謂、「直前リスケ」。いきなりのスケジュール変更は、様々なことにも影響を及ぼす。

特にチームで動いている際には、こうしたタイムマネジメントとホウレンソウは重要だ。
仕事が段取り良く進められるか否か。先を見通した予定が組められているかどうか。

当たり前のことを、しっかりと実行することを、常日頃から忘れてはならない。

2010年3月2日火曜日

今時の「春闘」って?

さて、春闘が本格化し始めたとのニュースがちらほら。

春闘とは。そもそも春季労働闘争の略だ。労働組合が賃上げを中心として毎年春に行う闘争。法律的にも、労働三権のうちの「団体交渉権」として認められているものだ。
昭和30年以来、労働組合が全国的に行っている。

ところで、経団連側は「雇用の確保が最重要課題とすること」との主張、連合の組合側は「定期昇給維持」の主張。

ここで不思議に感じるのが、「では、原資はどうするの?」という部分。
論争の中で、こうした部分に触れていることを見たことが無い。

高度経済成長時代のように、どんどんモノを作り、モノを市場に出せば売れるという「売り手市場」の時代では、定期昇給・終身雇用という常識の中で、こうした議論がされていたのかもしれない。

しかし、今は、モノは溢れ、人が生活するのに必要なものは、当たり前のように手に入れられる時代である。
商品も目新しいモノが出にくく、どうしても価格競争に走ってしまう傾向も否めない。新商品が出たとしても、直ぐに陳腐化してしまう。

一方で、様々な技術革新により、業務は効率化され自動化され、人間の出番はどんどん不要になる。つまり雇用の機会そのものが、機械に取って代わる時代だ。

そうした中で、潤沢な「原資」を生み出すためには、「創業」「創職」の視点が無ければいけないのではないか。


「雇う」「雇われる」だけの視点ではなく「生き残る」「生み出す」視点が無ければ、建設的な方向性を導き出せないのではないか。


労働者側の「労働そのものの質」、経営者側の「経営戦略の質」。双方が将来を見据えた視点で議論を戦わせ、そこに原資を見出そうとしてこそ、意義ある議論につなげられるのではないだろうか。

しかし、そもそも日本国内の労働組合の参加率も年々減少を続け、今は2割を切っている状態らしい。果たして、今の時代に、こうした今のやり方が合ったものかどうかさえ、考え直す時なのかもしれない。

2010年3月1日月曜日

メダルの数は、何をあらわす!?

第21回バンクーバー冬季オリンピックが、本日閉幕した。
メダル総数は銀が3つ、銅が2つと、海外で開催された冬季オリンピックで獲得した数としては史上2番目なのだとか。

閉会式では、本ブログでも書いたが、開会式でのアクシデントを上手く使用した演出だった。開会式で、システムトラブルで立ち上がらなかった1本の聖火台。この聖火台、実はコンセントを差し込み忘れていたということで作業員風の俳優がプラグを差し込むという演出。さすが、上手い演出だ。

ところで、今回のメダル数を見てみると


  • カナダ………… 金14 銀7 銅5 合計26
  • ドイツ………… 金10 銀13 銅7 合計30
  • 米国………… 金9 銀15 銅13 合計37
  • ノルウェー…… 金9 銀8 銅6 合計23
  • 韓国………… 金6 銀6 銅2 合計14
  • スイス……… 金6 銀0 銅3 合計9
  • 中国………… 金5 銀2 銅4 合計11

日本代表も銀3、銅2の計5つと奮闘しているが、金が無かったのは残念。

しかし、全体の数を見ると、韓国や中国の躍進ぶりが見て取れる。

韓国フィギュアのキムヨナ選手が、メディアに対してインタビューで堂々と英語で受け答え出来ているのを見ると、海外留学をしているとはいえ、非常にグローバルな舞台で活躍する素地を持った選手が、周辺アジア各国から続々と生み出されているのだろう。

韓国も中国も、両国どちらも、国が主導を取った強化策の結果が実を結び始めているのだとか。

選手強化費用が中国が120億円に対して、日本は27億円。単純比較はするべきではないが、「事業仕訳」でスポーツ強化費用が縮減対象になること自体が、今の現状を顕著に表わしているのかもしれない。

また、今回は競技以外のフィールドでも話題にあがった。

服装の乱れの問題。世論から政治家まで巻き込む問題となった。

代表選手は、選手強化費用のことを知ってか知らなかったのか、自分のスタイルを貫き通すことで、今回の騒動を巻き起こしたのだ。
果たして、国を代表して参加している意識が、あったのか、無かったのか。


どちらも、今の「ニッポン」を顕著に表わしているような気がする。

「人を育てる」ということの大切さ。「人を育てる」ということは、今日明日に結果が出るものではない。

「自分流、自分スタイルのアピール」ではなく、「相手や周囲の支援があっての自分が存在すること」を感じる大切さ。


今回のオリンピックから、我々が学ばなければならないことが、たくさんあるのではないだろうか。。

2010年2月28日日曜日

「警報」と「注意報」の定義って??

今朝は、先日の船舶の汽笛ではなく、防災サイレンで一日が始まった。

昨日発生したチリの大地震による津波に対する津波警報発令を伝えるサイレンと防災無線だ。昨晩のニュースで、恐らく警報か注意報が発令されると思っていたが、案の定、発令されたのだった。

今、ブログを書いている発令から約10時間経過した現在でも、太平洋沿岸に警報・注意報が出ている。今日一日、交通機関も乱れていた。


ところで、今日は、17年ぶりに「大津波警報」なるものが発令された。
この「大津波警報」というもの、あまり聞きなれないので少し調べてみた。

すると、津波に関するアラート情報としては、3段階決められているようだ。


■大津波警報…高いところで3m以上の津波(発表される津波の高さは3m、4m、6m、8m、10m以上の5種類)

■津波警報…高いところで1m〜2m程度の津波(発表される津波の高さは1m、2mの2種類)

■津波注意報…高いところで0.5m程度の津波(発表される津波の高さは0.5mの1種類)


つまり、津波の高さの程度により、「大津波警報」「津波警報」「津波注意報」と区分されているのだ。

ここで気になったことが一つ。
日々の天気で発表されている「警報」「注意報」との違いである。

早速、気象庁のWEBサイトで調べてみると。。。

津波警報・注意報、津波情報、津波予報について

警報・注意報の種類


やはり、根本的に定義が異なっていたのだった。
「津波警報、津波注意報」と、一般的な大雨等の警報・注意報とは分けて定義をしているのである。

ちなみに、警報とは、重大な災害が起こるおそれのあるときに警戒を呼びかけて行う予報。「大雨」「洪水」「大雪」「暴風」「暴風雪」「波浪」「高潮」の7種類。注意報とは、災害が起こるおそれのあるときに注意を呼びかけて行う予報。「大雨」「洪水」「大雪」「強風」「風雪」「波浪」「高潮」「濃霧」「雷」「乾燥」「なだれ」「着氷」「着雪」「融雪」「霜」「低温」の16種類とされている。明らかに、津波情報とは異なる。

「注意報」と聞くと、日頃の大雨注意報や雷注意報の感覚で過ごしてしまいがちだが、「津波注意報」は、単に波の高さが低い予想ということだけであるので、地形的要因により場所によっては、非常に高波にあってしまう危険性をはらんでいる。

甘く捉えていると、非常に危険である。注意報だからと言って、入り組んだ海岸で釣りなどしていたらとんでもないことが起きかねない。


同じ「警報」「注意報」という言葉を使用しているが、定義がそもそも異なるので、情報としてとらえる際に、その認識を考えなければならない。

特に生命に関わる情報である防災情報であるからこそ、こうしたところをきっちりと押さえておかなければならないと思うのである。