2010年1月23日土曜日

帳票のインターフェースを考えてみる。。。

今日は、週末返上でお役所提出の各種書類のチェック。

不慣れな分野なので、いつも内容を確認する際に、戸惑ってしまう。
また、同じような内容の情報が、管轄役所によって別々の帳票になってしまう。
もう少し、効率的にはならないものだろうか。。


まず、思うのが、「帳票の言葉」。
日常的に使用しない言葉が多いために、直感的に理解しづらい。特に日本語は、口語的な表現から文語的な表現、漢語的表現など、多岐にわたる。おそらく、専門家でも直感的に分かりづらい言葉もあるのではないかと思うくらいだ。

そして、次に、「帳票の構成」。
縦割りの行政で、おそらくどうしても物理的に分けなければならないものもあるのだろうが、記入側であるユーザー視点で考えると、もう少し、効率的な使用方法が期待できる。


こうした帳票の設計は、企業内でも同じ。

多くの企業の帳票を目にした場合、その帳票を使用する側の視点によって構成され、ユーザー側の視点に立って制作されているものが、少ないことに驚く。

ユーザー側の視点にたった帳票を作成することにより、情報を記入する側が、求められていることをより正確に理解し、正しい情報の入力がされることになる。

結論として、帳票を使用する側の「無駄な作業」を減らすことができるのだ。

帳票を使用した作業における、生産性を上げるためには、こうした情報をインプットする側の視点で見直してみることも、たまには必要であろう。。

2010年1月22日金曜日

目に見えないものも、引き留められるか。。。

今日の気になった記事から。


株式会社リクルートエージェントは2010年1月20日、株式会社インテージと共同で実施した「退職交渉に関する調査」の結果を発表した。
調査対象は、過去2年間に転職を経験した全国20代~30代のビジネスパーソン1,044人(会社の倒産・解雇などやむを得ない事情での転職者は除く)。調査期間は、2010年1月8日~11日の4日間。
まず、退職交渉で上司から引き止められたかを尋ねると、「引き止められた」63%、「引き止められなかった」30%、「わからない」7%という結果に。退職交渉を始めた時期を基準にして、2008年9月に起きたリーマンショック前後で分けると、引き止められた人の割合は「リーマンショック前」は66%だったのに対し、「リーマンショック後」は54%と、12ポイント減少した。


リーマンショックを機に、退職交渉で引き止める上司が減少――リクルートエージェントが報告(japan.internet.com)



上記の調査結果は、倒産・解雇などやむを得ない事情の転職者ではなく、所謂、自己都合による退職者のデータだ。自己都合の退職の場合は、現在勤めている会社に対しての魅力の低下、将来性への不安、キャリアアップ、人間関係など、様々な理由があるだろう。
しかし、ここ数年の景気の低迷による将来性への不安などが多いようだ。中には、目に見えない退職勧告なるものもあるのかもしれない。

会社にとって、人件費の増減の収益への影響は、利益管理をするうえで非常に高い。そうしたことを踏まえて、ここ数年の不景気の中では、大幅なリストラへの断行をせざるを得ない場合も、あるかもしれない。そうした場合、目に見える部分の経費を削減できることは明らかだが、目に見えないものも無くなってしまうリスクがあることも忘れてはいけない。

それは、人に蓄積されている、ノウハウ、技術といった「無形資産」だ。

こうしたことの、不用意な流出を防止するためにも、常日頃から、可視化を行い、出来る限り明文化するなどして、「有形」にしておくことは、非常に重要なことだ。

もちろん、こうした状況に陥らないような、強い組織を構築出来ていれば、問題はないのだが。。。

2010年1月21日木曜日

その情報は、どこから入手しましたか?

ここ数日、メディア報道における「情報源」についての考え方についてニュースが飛び交っている。

19日の閣議後の総務大臣の会見で、民主党幹事長の資金管理団体の土地取引をめぐる報道について、情報源を特定しないままの報道の在り方について難色をしめしたことによるものだ。

さて、このニュース報道の在り方の問題はさておき、企業活動において取扱う「情報」について考える場合も、そもそも、その情報がどのように取得されたかということは、非常に重要なことだ。

情報分析を行う、その情報の信憑性、精度をきちんと見極める必要がある。所謂「情報の目利き」だ。

情報は、人を介して伝達される際に、その人のフィルターを介してしまうため、その情報に対して、あらゆる副産物的な情報が付加されてしまうのだ。

その情報を介する人の、私見だ。その私見が、どういう立場で見ているかによって、印象が変わってくる。


例えば、雨が降っていたとする。ある人にとっては、雨乞いをしていた中での、恵みの雨と感じる人がいるかもしれない。一方で、アウトドアでキャンプをしようと思っていた人にとっては、予定を変更せざるを得ない残念な雨と受け取る人もいるだろう。事実は、「雨が降る」ということのみ。

ビジネスにおける業務報告や、お客様からのアンケートなど、様々な形で現場の情報を入手する機会がある。
その情報を、有効に活用するために、まず、適切な状況を把握するために、「事実情報」と「意見情報」を区分して、情報整理をする癖が必要だ。

2010年1月20日水曜日

上を向いて、歩くと。。。

JR東京駅で、とある表示を見つけてしまった。




この表示を見たことがある人はどれくらいいるだろうか?
これは、東京駅中央コンコース付近の天井で、新幹線、京葉線、総武快速・横須賀線のホームへの行き先を表しているものだ。

JR東京駅は、13路線が集まっている大きなターミナル駅であることはご存じのとおり。乗り換えるのに戸惑う人も多いだろう。

そうした方のためにも、駅構内には、多くの路線表示がある。

最近の構内表示は、徐々にリニューアルが進み、文字のフォント、大きさ、照明そのものの明るさなどが改善されている。以前にも紹介したが、インタラクティヴな表示のものまで登場している。

そのような改善がある中で、一つ気になったのが、写真の表示。

「えっ、こんな表示があるの?」と思われた方も多いだろう。
それもそのはず、ほとんどの人が天井を見ながら歩く人などいないのだから。

人間が歩くときに見る視線は、自分が行こうとする方向、そして自分の足元を見るのが自然な行動。

そういう意味で、この表示がどれだけの人間が見ているのかと、ふと疑問に思ったのだった。

こうした標識のデザイン、電化製品やシステムのインターフェースを設計するときに、情報の受け手が、どのような状況で、どのようなタイミングで情報を欲するのか、深く考えなければならない。

道路の標識も、設置場所の悪いものがたまにあり、車の運転をしていてヒヤリとすることもある。
また、家電製品や銀行のATMでも、次にどのボタンを押したらよいのか分からないものがたまにある。

使う側の立場になり、使う立場になり切って、一通りのシミュレーションを行ったうえでの情報デザインやインターフェース設計であらなければ、良いものは生まれない。

2010年1月19日火曜日

中身を透視できる「全身スキャナー」!!

昨年末より、アメリカではとある検査が物議をかもしている。

それは、「全身スキャナー」だ。

所謂、「なんでも丸見え」になってしまうスキャナーなのである。まるで、ドラえもんの道具やSF映画の内容のようにも聞こえるが、実際にそうした技術が既に実用化されているのだ。




この「全身スキャナー」を、全米の空港のセキュリティー強化をするために導入するということらしい。

昨年末、アメリカ航空機でテロ未遂事件があった。
こうした事件があったことも後押ししている感じでもある。

この「全身スキャナー」は、X線や電磁波技術を利用して、乗客の衣服の上から透視することができるのだ。チェックされたデータは、三次元化されて、体の表面に銃や爆弾、その他の爆発物や意見物の所持が無いかを確認することができるのだ。

この透視技術により、身体のはっきりした輪郭が映し出されることから、プライバシーの侵害だと反対している人もいるのだとか。


情報管理を行う上で、セキュリティーの問題やプライバシーの問題に必ずぶつかる。
そうした際の前提に考えなければならないのが、「性善説」か「性悪説」のどちらを取るかということだ。

過去の日本において、様々な決めごとを考える際、多くが性善説により成り立っているものが多かったのではと思われる。つまり、「こんなことまでは、常識の範囲でしないだろう。」という感じで、その曖昧な「常識」論の上で、規定を策定しているのだ。

最近、この「常識」というものが、徐々に崩れ始めているように、感じる時がある。

私が学生時代に法律を学んでいるころ、訴訟社会アメリカでは、「電子レンジで猫を乾かす人がおり、危険表示が無かったとして訴訟沙汰になったことがある」ということを耳にし、唖然とした記憶がある。

何となく、今の日本にも、同様の傾向が起き始めているように感じるのだ。

電子レンジの話は、性善説、性悪説から少し離れてしまうが、「常識の範囲」ということからかけ離れることが実際に起きてしまう、という意味で考えてみると、今の日本で起きていることも、外れてはいないだろう。


以前、個人情報保護のお手伝いをしていた際に、「性善説」で考える会社と、「性悪説」で考える会社と二分された。どちらもそれぞれの方針としては理解できるが、「性悪説」の会社は、個人的な印象であるが、そこで働く従業員は、あまり活き活きとした印象を受けなかった。

「性悪説」を取ると、どうしても「管理統制」の強化が求められ、非常に窮屈な組織になってしまうのだ。

こうした窮屈な組織に「しない、させない」ということであれば、上下左右、お互いに信頼できる組織構築が必要だ。その為には、お互いを良く知る、そしてお互いと密にコミュニケーションをする。そして、重要なのが、「お任せ主義に走るのではなく、自ら主体的に動く」ということだろう。

2010年1月18日月曜日

脳波でモノを動かせ・・・。

「脳波」と聞くと、オカルトや超常現象などのイメージを持つかもしれないが、まじめな科学のお話。。

しかも、空想の産物ではなく、実際に既に現実にある話を紹介しよう。。

アメリカで、今年になりある玩具が流行っているらしい。それは、自らの「脳波」を使って遊ぶゲームがあるのだとか。



日本でも、ここ数日テレビでも紹介されるようになった。

頭の中で集中力をコントロールして、おもちゃのボールを浮き沈みさせるゲームなのだとか。
頭にヘッドセットを装着し、脳波を読み取りそれを電気信号に変換して情報を伝達するのだという。

このヘッドセットを、学術用語的には「ブレイン・マシン・インターフェース」という。

この「ブレイン・マシン・インタフェース (Brain-machine Interface) 」とは、人間の脳の神経活動を電気信号に変換し、コンピュータに入力したり、逆にコンピュータの情報を脳に入力したりする仕組みのことを言うらしい。

このゲームの仕組みは、脳の神経活動の情報を取り出し、コンピューターに送ることで遊ぶのだ。

こうした技術は、ゲームだけでなく、医療のリハビリテーションやスポーツのトレーニングにも使われているのだとか。

医療では、脳内出血で遮断された脳内の神経回路に刺激を与え、リハビリテーションに活かすというもの。

スポーツ競技では、そもそも精神面のトレーニングも重要なトレーニングの一つだが、その成果を可視化するために、「集中力」と「リラックス度」を、脳波を使って測定。脳波を介して測定したデータをもとに、可視化しにくい精神面のトレーニングに活かしているという事例もある。

さらに、広告調査等にも最近使われているのだとか。
CMの効果検証を、アンケートやインタビューだけでなく、実際に被験者にCMを見てもらいその脳波を調べるというもの。番組では、アンケートやインタビューでは測定できなかった、違った視点の測定結果が出ていたことを紹介していた。無意識の反応を可視化ということであろう。


今、私たちは情報を伝えるために、「文字や言葉」、「画像(ビジュアル)」といったツールで伝達している。しかしこれらの手段では、情報の受け手、伝え手の能力によっても、伝えられる情報量や質が変わってしまう。

そうした中で、この「脳波」というものが、更に新しい一つの情報伝達のツールとなる時代が到来したのだ。


人の心の中を読み取るというような行為は、SF映画ではあったが、実際に技術的に出来てしまう時代になったのだ。

紹介していた番組では、こうした情報の読み取りにおける、運用面での危険性を指摘をしていた。
つまり、心の中がすべて読み取られてしまう、倫理面でのことだ。

また、人間の脳の中に情報をインプットすることも技術的には可能なのだと言う。つまり、マインドコントロールも出来てしまうのだ。


情報の伝達手段というものが、発達する一方で、それを使う人間のマインド、倫理観の成長も、求められているのではないだろうか。。

2010年1月17日日曜日

あの日、あの時。。

1995年1月17日、午前5時46分。。あの日、あの時は決して忘れられない。
そう、阪神淡路大震災から、あれから今日で15年だ。


あの日、私は大阪の豊中ということろに住んでいた。しかも、マンションの11階。

まだ、日の出前の薄暗い中、それは突然起こった。

ど~んと突き上げる揺れ、そして、今までに体験したことのない、大きな横揺れが続く。

ゆっさ、ゆっさという揺れ。いつもの地震とは違う。

その横揺れは、かなり長く感じられた。
咄嗟に布団を頭からかぶり、とにかく、経験したことのない揺れを耐えしのぐ。。
地震の時の、あの低いなんとも言えない音と、モノが壊れていく音が響き渡る。
「これで、全てが終わるのでは」と、一瞬、頭の中をよぎった。
もちろん、暗闇の中。

揺れが収まって周りを見渡すと、自室の棚、テレビ、CDラック。。ありとあらゆるものが倒れていた。そして、自分自身が部屋から出られない。やっとの思いで自室から出ると、他の部屋も同様の状態。
まずは家族全員の無事を確認し、ひと安心する。しかし、他の部屋も食器棚からはほとんどの食器が飛び出してしまうなど、足場がない。すかさず、何とか玄関にたどり着き、玄関のドアを開け、靴を履く。

そうこうしているうちに、夜が明ける。。
徐々に、当たりが明るくなると、窓の向こうに映る風景に、何やら煙が。。。。
そう、神戸方面上空に、煙が立ち上っているのである。まるで空襲の後の様子。もちろん、そんな空襲など経験したことないのだが。。

そして、幸いにも電気が止まっていなかったので、情報を収集するために、倒れていたテレビを元に戻し、電源を付けてNHKのニュースを確認。
しかし、NHKのニュースは、この時点でも全体像をつかんでいない。震度情報と自らのスタジオの状況を伝えているばかり。後に全国ネットの夜7時のニュースを担当することになる、宮田修アナウンサーが、大阪放送局から冷静に伝えていたのだ。(ちなみに、宮田アナ、その後NHKを退職し、この地震をきっかけに現在は宮司になっているらしい。)


今でも、鮮明にあの日のあの時のことは覚えている。
あの時、残念ながら犠牲になってしまった方も、私の周囲にもいた。

あれから、15年。

あの日、あの時経験した体験が、様々なシーンで現在の私に対して「リスク」というものを、意識させるようになっているのかもしれない。

あの時の経験値から、様々な分野で、色々なものが見直されるようになった。防災施設、防災マップ、ライフラインといった行政主導の公共的なものから、耐震技術、防災商品等の商品開発だけでなく、企業の災害時オペレーションなども、意識する企業は意識するようになった。


このような震災に限らず、経験値から知恵を得ることは多々ある。
経験したことを振り返り、じっくりと検証することにより、次に起きた時に未然に回避する。


ただ単に経験して終わらせるのではなく、それを教訓に未来に活かすことが何よりも大切だ。