2010年4月17日土曜日

日常生活に潜む、リスク管理を考える

ここ1週間で、とあるモノの危険性に関するニュースが多く報道された。
それは、「ライター」。

情報発信元は、経済産業省の管轄の独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE)による。

ライターによる事故防止について(平成22年4月13日)


発表は、ライターの火がうまく消えていなかったり、意図せず火がついたりしたことによる火災があるとのこと。
2004年から昨年の2009年までに計132件あったのだとか。

具体的には、完全に火が消えていない状態でズボンのポケットに入れてしまい発火してしまうもの、引き出しなどにモノがひっかかり発火してしまうもの、予想外に大きな炎が出てしまうというようなもの。


このニュースをみて、「何故、今さら!?」という印象を受けた。

というのも、ライターそのものが昔から何か形が変わっただけでなく、何十年も存在しているものだからだ。

今回のライターと同じように、過去に事故が発生して同じような疑問をもったものが、「エスカレーター」。
子供がエスカレーターに挟まったとかという事故のニュース。

日常の生活をしていて、危険性をはらむものは、山のようにある。

自身が子供のころを思い出してみても、ライターやエスカレーターなど、親から「危険なもの」として、ひどく注意を受けていた記憶がある。

常に、「危険なもの」と意識することで、気を使う。

しかし、日常、当たり前のように存在し続けていると、そうした「危険」に対する意識が遠のいてしまう。

また、当たり前のように存在し続けていると、存在しているもの自身が、危険性を発するべきという風潮にもなってくる。

確かに、製造物責任という視点で、企業側もユーザーに対して危険性を伝える義務はあるだろう。しかし、この考えも常識的な範囲の限界というものがある。
ユーザー側も、製造側に頼るだけでなく、自らが「危険性」や「リスク」に対して、注意を払うべきであろう。

ただ、社会風潮として、この「考えれば何が危険かわかるという常識レベル」の低下が徐々に進んでいる危惧を感じるのは私だけだろうか。。。気になる今日この頃。。

2010年4月16日金曜日

頑張れ、新入社員!

4月も半ばになると、いくつかの会社の新入社員は、そろそろ現場に投げ出されるころ。
今週の仕事の打ち合わせでも、「新卒社員の同席」という話が何社かあった。
特に、即戦力重視の会社は、現場で仕事を早く覚えてもらいたいという意味でも、早めにOJTを開始するのだろう。


今晩、BSフジのプライムニュースでも、新卒社員を特集していた。

その中で、今時の新入社員に対する上司の対処法として、下記のことを指摘していた。

その内容とは、

  1. 過去の自慢話をしない
  2. 私生活への食い込みを遠慮する
  3. 人間をひとくくりにしない
  4. 他人と比較しない
  5. 指示を出しっ放しにしない
  6. 押し付け感を出さない
  7. 宴会での下働きの強要や説教をしない

というようなもの。

何となく、理解できる。。

上記の指摘は、日々のコミュニケーションの工夫でも解決できることなのではと、私は思った。

例えば「1」。
多くは、上司は部下に対して、「アドバイス」をしているつもりなのだが、単なる「自慢」になっているというパターン。これは、恐らく私が思うに、具体的な「解決策」を提示、もしくは「解決策を考えさせること」が出来ていないのではと思われる。

そして、「5」や「6」。
これは、指示を出した側が「確認」することを失念しているということ。プレイングマネージャーに多いのでは。常々、自身が出した指示が、その後どうなったのか「確認」することは、重要なことである。上司・部下の関係でなく、チームでプロジェクトを推進する際にも同じこと。「あれ、大丈夫か?順調か?」と一声かけるだけでも、違うはず。

「3」と「4」は、「個々人の潜在能力、性格、特徴、強み弱みなどは異なるものなのだ」という視点で、日々個々に接していると、このようなことを回避できるのではないだろうか。


何だか、このように見て見ると、「今時の新入社員」という切り口よりも、「マネジメントはどうあるべきか」というようなことを問われているようにも思われる。

ゲストコメンテーターが、「人の質は、時代とともに変わるものだ」と指摘していた。

お客様のニーズが日々変化することには、アンテナが立てられていても、実際には、組織に属する社員も、時代とともに変化する。

そうした視点で、マネジメントをする必要があるということを、実は問われているのではないかと思ったりするのだった。

2010年4月15日木曜日

「レジ」のスピードって、何で決まる!?

最近、スーパーで買い物をすると長い列が出来るレジと、そうでは無い列のレジがあることに気付く。

良く見ると、実習生とベテランのレジキャッシャー(レジ担当者)の違いだ。

4月になり新しく現場に配属されたのであろう。

週末の夕刻等の時間帯には、その差が歴然と表れてくる。


さて、ベテランキャッシャーと実習生キャッシャーとの違いを見て見るといろんな違いを発見することが出来る。

まず、直ぐに発見できるのは、そもそも手際よく対応しているか。
一つ一つの動作が機敏にさばいているかということだ。

慣れないうちは、丁寧にすることに気を遣いすぎになり、時間をかけてしまうことが多い。レジ打ちしかり、袋詰めしかりである。例えば、形の壊れやすいもの、柔らかいものなど、冷たいものと温かいものなど、買い物かごに詰め替える際に、如何に手際よくさばけるか、キャッシャーにとっての腕の見せ所になる。これらは、多くの場合、慣れるとともにスピードが増すものだ。


さてもう一つは、「お客様の立場に立って先を読んだ動作」が出来るかということ。

「お客様にお待たせしている感を持たせない」ためにはどうするか。

例えば、駐車券の必要の有無、箸やスプーンの必要の有無、ポイントカードの提示、キャッシュカードでの支払いなどなど、対応に時間を要するものは、最近は多々ある。

こうした対応のタイミング如何で、お客様に待たせていると感じさせるか、そうではないか、差が出てくるのだ。特に、初心者との間はもちろん、ベテランスタッフの中でも、この差は出てくる。

お客様目線で、どのように段取りをすれば良いのか、常に考えているか否かが行動に表れるのだ。

業務のオペレーションが円滑に遂行できるかは、こうした「細かい段取りの積み重ね」が重要になる。


「段取り力」。

すなわち、「先を読み、適切に無駄なく作業を組み合わせ、仕切れる力」。


小売業に限らず、どんな業種でも、仕事の「段取り」は、重要なスキルだ。
たまには、自分の「段取り力」を客観的に分析してみることも必要かも。

2010年4月14日水曜日

情報を伝えることを考える

情報を伝達するということ。

これは、日々のビジネスでも当たり前に行われている。

特に、お客様と日々接するの人は、お客様の「意思」や「意図・目的」というものをきちんと汲み取ることは重要だ。

また、チームで仕事を行う際にも、情報伝達は重要なコミュニケーションの一つ。


システムの仕事をしていると、このお客様の「意思」や「意図・目的」というものが非常に重要だ。ここでいうお客様とは「会社」としての「意思」や「意図・目的」のことだ。

この伝達を阻害するのが、そもそも情報を伝える手段である「日本語」。
普段のコミュニケーションにおいて、この「日本語」は、正しい情報を伝えるという意味では、弱点を持っている。

それは、「曖昧な表現を好む」ということ。英語等と比較すると、主語を省略することが多いのだ。


例えば、上述の「意思」や「意図・目的」等も、個人的な見解なのか、会社の方針なのかということも、非常に曖昧になってしまうのだ。

逆に、こうしたところを、細かく逆に質問をすると、嫌悪感を表されることさえある。


また、業務の指示を出す際にも、「意図・目的」をきちんと明示するしないで、指示を受ける側の印象も変わる。

「意図・目的」がきちんと明示される
      ▼
「ゴール」「着地点」がはっきりとわかる。
      ▼
「どちらに行動しようとしているかわかり心配が払拭」

上述のように、指示を受ける側のモチベーションにも大きく左右するのだ。


メール文化が台頭し、ダイレクトなコミュニケーションが減っている今、今まで以上に情報伝達の能力が求められる時代になっている。


相手に、如何に上手く情報を伝達するかということ。
日々、意識しなければならないテーマなのではないかと私は思う。

2010年4月13日火曜日

歴史的遺物を、楽しむということ。。

最近、若い人の間で廃墟めぐりなるものが俄かに流行しているらしい。
所謂、産業遺産というもの。

昭和の高度経済成長の時代を支えた古い建物、廃坑、廃線等を巡るツアーなどがあるらしい。

有名なのが、長崎県にある軍艦島。行政も後押しするなどの力の入れよう。

軍艦島を世界遺産にする会

このような古い建物などを保存するには、維持費用もかかってしまう。軍艦島のように行政が後押ししているようなところが多いが、多くがその維持の問題に直面している。

そんな中で、企業が支援しているものもある。
ベネッセグループの直島福武美術館財団が支援しているのが、犬島アートプロジェクト。

犬島アートプロジェクト

こうした古いものに対する考え方は、世代間においても、どうやら違いがあるらしい。

私個人としては、こうした歴史的な遺物は、出来るだけ後世に伝えてほしいと考えるほうだ。もちろん、単に保存するのではなく、上手く活用しながらではあるが。

特に、日本の近代建築などは、今の現代建築に比較すると、その細部へのこだわりというものは比較にならないほどの作りのものがある。


マーケティングの仕事をしていると、時折、「日本人は飽きやすい」ということを聞く。ある意味当たっているかもしれないが、一方では、社会環境がそうさせているのではないかとも思えたりする。

地球環境がこれだけ問題視されている時代だからこそ、「モノを大事に使う」という視点はもちろん、「歴史を築き上げてきた先人への敬意」と「新しい時代を考える原点」という意味でも、こうした歴史的なものは大事にしたいものだ。

「歴史に学ぶ」ということの重要性を、あらためて意識しだした今日この頃である。。

2010年4月12日月曜日

直接見えない「モノづくりのこだわり」に対する、正当な評価とは。。。

今日の仕事の打ち合わせで、日米のモノづくりの話題になった。

話の発端は、WEBサイト運営で利用するオープンソース系のCMS(コンテンツマネジメントシステム)の開発におけるエピソード。

そのオープンソース系CMSは、元々米国で開発されたものがベースとなっており、それを日本人開発チームが、日本語版としてサポートしているもの。


私自身、オープンソース系のソフトを過去にも使用したことがあるが、実際にはユーザー視点で非常に使い辛いものもたまにある。その使い辛さというのは、機能自身は便利なものなのだが、ユーザーインターフェース的な部分に問題があるというもの。

今日の話題もそうした視点であったのだが、日本人開発チームは非常にそうした視点を重視しているのに対し、米国側は非常にその辺を軽視しているというもの。

日本人開発チームは、ボタンの並び、プルダウンの細かい文言、説明文章についても、非常に気を使うのだそうだ。一方の米国は、そうした所は、「あくまでも、オープンソースでありユーザー側で勉強しろ」というスタンスなのだそうだ。


話を聞いていて、日本人とアメリカ人のモノ作りの姿勢の違いなのかと、私は勝手に解釈していたが、恐らくこれは、ソフトウェア開発だけの話ではなく、その他の製品からサービスに至るまで、多方面で共通した話ではないかと思う。


例えば、車。
日本車とアメリカ車では、ボンネットのつなぎ目の間隔等の空間などは歴然としたものがある。日本車は、びしっと揃えられているのに対して、アメリカ車は、豪快な作りになっている。また、人には見えず決して触れることの無い、ボンネットの裏側まで丁寧に磨きあげるという品質に拘る日本メーカーの話は、有名な話だ。

また、バスのアナウンス。
最近では、アメリカでも行われるようになったが、バスの停留所案内放送というものは、かつてのアメリカの路線バスでは行われていなかった。乗客自身が、外の風景を見て、タイミングを見計らって降車ボタンを押すという具合だった(実際には紐を引っ張るのだが)。


日本は、ある意味、至れり尽くせりなのかもしれない。
そうした、中々目に見えないサービスの恩恵を、日本人は当たり前のように享受してきた。そういう意味で、日本人は、世界一目が肥えているのかもしれない。

実は、その「至れり尽くせり」が実は、自らの首を絞めている時代になってきているのかもしれない。

原価はとことん効率化し、企業努力で下げてきた。
最後に、この「至れり尽くせり」を実行してきた、「ヒト」による「見えない価値」の継続できるかという壁に、ぶつかっているのかもしれない。


物を作っている側も、こうした「見えない価値」の提供について、企業努力として頑張っている会社があるのも事実。

そうした「価値」に対して「正当な対価」を払い、評価することも、一方では必要なのではないかと私は思う。

2010年4月11日日曜日

自然渋滞を、何とか解消することはできないだろうか?

今日は、年に何回か行う恒例の墓参り。
実家と一緒に、静岡まで車での日帰りだ。


久しぶりの長距離のドライブで、実は初めてETC割引の恩恵を味わったのだった。

ところで、行きは渋滞に巻き込まれることなく快調に車を飛ばしたのだが、帰路は、毎度のごとく、とある場所で渋滞に巻き込まれることに。

それは、東名高速道路の厚木~綾瀬バス停付近~大和トンネルのエリア。
厚木付近から徐々にノロノロ運転は始り、終いには所々で停車するというもの。

途中車線数が減ったりするものの、実はこの渋滞はそうしたものではないらしい。
実際は、この区間は、ゆるやかな勾配が続いており、それまで速度を出していたドライバーが速度低下に気付かず、スピードを緩めてしまうことに原因があるだという。
さらに、この付近の監視カメラがあることも、心理的にスピードを落としてしまう要因にもなっているらしい。


前者の下り坂から緩やかな上り坂になるような所を、「サグ(=窪地)」と専門用語で言うらしいが、このサグによる自然渋滞にしろ、監視カメラに起因することにしろ、人間の心理的なものによることで、渋滞が起きてしまうのだ。

こうした心理的に渋滞を引き起こしてしまう場所は、全国にも何箇所かあるらしい。


また、この渋滞は、お盆・正月の帰省、ゴールデンウィーク等には更に拍車がかかった状態になってしまう。


さて、こうした渋滞の原因が分かっているにも関わらず、対策はあまり打たれていない。
スピードを落とすための施策は、道路の舗装の凸凹により発生する音を使用した聴覚に訴えるもの、塗装などによる心理的な視覚に訴えるもの等は、実際に運用されている。


こうした手法の応用で、まだまだ工夫することによって、現在、慢性的に発生しやすくなっている自然渋滞の解消に、繋げることが出来るのではないかと私は思うのである。