2010年6月19日土曜日

「場」のつくりかたを考える。。。

朝日新聞社のサイトで週末的なお酒にまつわる記事を見つけた。

金曜限定、大学バー 飲酒マナーも勉強中 桃山学院大


大阪にある桃山学院大学の構内に、バーが登場との記事。

学生のイッキ飲みによる急性アルコール中毒などの防止などの飲酒マナーを学んでもらい、教職員との交流する場になればとの企画だそうだ。


記事を読んで、面白い試みだなと思った。

私自身、過去を振り返ってみても、学生時代から社会人になってからの20代は、イッキ飲みは確かにやっていた。

場の雰囲気というか、若気の至りというか、勢いに任せてというノリもあったのは事実だ。大学のゼミ、クラブやサークル、バイト仲間などでもよくある風景であった。


一方、学生自分に海外留学をしたときのこと。
ウェルカムパーティー、フェアウェルパーティー、ホームパーティー、ドミトリーパーティーなどなど、様々なパーティーに参加する機会があった。
このパーティーでの「飲食」は、ある程度フォーマルなものであり、所謂、「イッキ飲み」などの「吞み会」とは異なる。
確かに、海外でも友人同士でのバーの「吞み会」はある。それぞれのTPOにあわせて、スタイルを変えているのである。


さて、今回のこの記事、こうした場を大学側が企画したということが、少し気になった。
「社会のマナーを勉強してもらい、教職員との交流を図る」ということに対して、私個人としては、本来、学生自身から積極的に行動すべきことなのではと感じたからだ。


この「学ぶ場」の存在については、企業でも同じようなことが言える。

「学ばせる場」と「学びとる場」とでは、場の存在について大きくその意味が変わってくる。

自ら学ぼうという姿勢があれば、どんな「場」であっても、それは「学びとる場」に変貌する。つまり、あらゆる「場」が、自らのキャリアアップの「場」になり得るのだ。

しかし、この姿勢が無ければ、周囲が「学ばせる場」を設けない限り、キャリアアップは望めない。

個人的に、キャリアアップの法則として、一つの持論がある。「5:3:2」の法則というもの。自分自身がキャリアアップ出来るか否かは、その原因は、20%が会社や組織環境、30%が上司等の人間関係、そして50%が本人によるという考え。


「与えてもらう」のではなく、「自ら創り出す」という意識。

これが、大切なのではないかなと、つくづく思う。

2010年6月18日金曜日

情報の公開、ちょっとその前に。。。

今日、かねてより検討されてきた、検察の事件に関する取り調べの過程を「全面可視化」するかについての中間報告が発表された。


今日時点の報告では、「すべての事件を対象とするのは現実的ではない」とのこと。
事件関係者や捜査手法等への影響を踏まえて更に検討するのだという。


さて、「情報の公開」というものについてビジネスライクに考えて見たい。

企業において、日々、様々な情報を取り扱う。
経営戦略や事業計画、顧客情報に売上情報、業務ノウハウから人事考課、単なるうわさ話から四方山話まで。

そうした情報も取り扱い方も様々だ。

機密事項として取り扱うべき情報。
情報共有を行い公開すべき情報。

また、情報の取り扱い方によっては、タイミングを見計らったり、段階的に公開をしたほうが良い情報もある。重要な交渉等の際には、こうしたテクニックも用いられる。


今晩、民放の番組で、「官房機密費」に関する暴露番組が放映されていた。
「官房機密費」に関する使途についてだ。


「官房機密費」自身は国民の税金。無駄な使われ方はされてはいけない。
しかし、国としての機密事項として、機密費用として必要なこともあるだろう。
その使途は公開することにより、国益に影響することもあるかもしれない。


また、情報の取り扱いを、非常に戦略的に使うことで、売上や販売促進につなげている事例も多数ある。直近の事例では、村上春樹氏の「1Q84」、米国アップル社の「iPhone」「iPad」等がそうだ。

そういう意味で、日本企業の販売促進における情報の取り扱い方は、まだまだ、新たな手法が隠されているかもしれない。


また、身近な所にも、情報の公開自身が、心理的に影響するような情報もある。
医者による患者への「ガンの告知」がそうだ。
告知を受けた人間の性格、信念などによっても、その情報の受け取り方は変わる。


情報開示は、情報の発信者と受信者で、その見え方は異なる。
どちらか一方の見方のみで、その情報を開示するか、非開示するか、安易に考えるべきものではない。

その開示により、どのような範囲に、どのような影響がでるのか、じっくりと考えることが必要なのである。

2010年6月17日木曜日

「BGM」プロモーション!?

今日は、木曜日。
毎週、私は仕事を終了後、とあるスーパーに買い物に出かける。非常に所帯じみた話で恐縮だが、毎週木曜日は、「木曜の市」として、特売の日だからだ。

実は、今日からなんとなく、その雰囲気が変わっていた。
何が変わっていたかというと、「木曜の市」のテーマBGMが流れている。

騒がしいやら、賑やかなのか。まぁ、何か催しをしている雰囲気はしていた。

さて、小売業の店舗でのBGMは、実は、店舗の雰囲気作りでは非常に重要な要素の一つでもある。それは、消費者の購買を促進するきっかけにもなっているからだ。


有名な事例が、魚のBGM。

「さかな、さかな、さかなぁ~、さかなぁ~をたべ~ると~」というフレーズの「おさかな天国」という曲が有名だ。

この曲は、もともと全国漁業協同組合連合会のキャンペーンソングとして制作された。
全国のスーパーやデパートの鮮魚コーナーでBGMとして流されたのだ。

その後、CD化され通信販売で取り扱われ、ラジオやテレビでも取り上げられるなどして知名度があがったのだが、そもそもこのBGMが売場でどのような効果があるのかも、実証実験された。

その結果、BGMで流されたほうが、お客様が商品を手に取る確立が高いということが判明。実際にヒアリングしてみても、「何となく、曲のフレーズにそそられて、つい手に取った」というコメントも集めていた。


さて、もうひとつ店舗BGMで有名になった曲。
激安ディスカウントチェーン「ドン・キ・ホーテ」のBGM。

「どん、どん、どん。。どん~き~、ドン・キ・ホーテ~」というフレーズのあれ。
インターネットでも聴くことが出来る。

「ドン・キ・ホーテ」

「ドン・キ・ホーテ」のBGM


この2つの曲の共通事項。
それは、「シンプルなフレーズが、覚えやすいメロディーで何度も繰り返される」というもの。

心理的にも、頭の中に知らず知らずのうちに入ってしまう。
カフェ等で流されるBGMは、さりげなく流されるのに比べて、どんどん頭の中に入り込んでくるということが、大きく異なる。


「繰り返しメッセージを送る」という点では、通販番組、通販系CMなどでも同じ手法が取り入れられている。


さてさて、このようなBGM。
たかがBGMと思うなかれ、色々なシーンで、販売促進にも応用されているのだ。

と、書きつつ、今日の某チェーン店のBGMは、非常に「ドン・キ・ホーテ」社のBGMに非常に似ていたのが印象的だった。

2010年6月16日水曜日

今日、とある仕事の打ち合わせで、「部下の教育」が話題になった。

社員教育は、多くの会社でも重要なテーマだ。

経営方針によっても、これを重視する会社もあれば、疎かにしている会社があるのも事実。それは、社風によっても現れてるのかもしれない。


ところで、社員の教育を考える際に、ポイントになるのが、「教える側の人材」。
この人材の有無も、組織が将来的に成長するか否かも左右する。言い換えると、後継者をどの層でも育てられる環境があるのか否かとも言えるだろう。


組織に所属するスタッフの年齢層別、経験年数別のピラミッドを作成してみると、「教える側」が、きっちりと存在出来ているかが分かる。


組織のピラミッドを描いてみると、

  • 富士山タイプ:年齢層が高くなるほど人数が少なくなるタイプ
  • サツマイモタイプ:中間年齢層が多いタイプ
  • ひょうたん型タイプ:ある特定の年齢層が少なくなっているタイプ
  • 逆三角形タイプ:年齢層が高くなるほど人数が多いタイプ
  • ずんどうタイプ:どの年齢層も同じ程度の人数がいるタイプ

のようないくつかのタイプになる。


ここ10年から20年の間に、企業は大きな環境の変化を迎えた。
経営危機を乗り越えるために、リストラを実行し、ある一定の年齢層が異常に少なくなるなどの、歪な年齢構成の企業も以前より増えている。

また、ITベンチャーなどは平均年齢も若く、そもそも高年齢層が少ない企業も存在する。
私自身、大企業、中小企業、零細企業、ベンチャー企業などほぼすべての規模の会社を経験してきたが、総じて、この形が「ずんどう」に近いほど、しっかりとした組織が出来上がっていた。

もちろん、計画的な採用が出来るから「ずんどう」に近い形を作り上げられるのだが、それ以外にも、しっかりとした役割分担、業務フローもきっちりと構築されている。

一方、ITベンチャーに多いのが、社員全体の平均年齢が若く、高さの低い富士山タイプかサツマイモタイプが多い。

前者は、技術的専門知識を持つ人材は数多くいるが、社会的経験の浅い人材ばかりで、偏った脆弱な組織構造を生み出してしまうタイプ。
後者は、中間の平均的な人材が多く、若年層が少なく後継者の人材の育成が行えないタイプ。現場に振り回されるプレイヤーばかりで、組織マネジメントが上手く構築出来ない。

人材採用は、個々の経営戦略に基づいて行われるべきで、上記の「ずんどうタイプ」が理想的であるかもしれないが、中々実現することは難しい。

「ずんどうタイプ」はあくまでも、自社内で教育が理想的に行われることが想定できるが、そうでない場合、外部の研修の仕組み、企業間や異業種などでの交流など、より柔軟な教育カリキュラムが上手く活用できるのかもしれない。

2010年6月15日火曜日

違法投稿事件にみる、ITリテラシー教育

ワールドカップの話題でもちきりの中、昨日から今日にかけて、こんなニュースが流れていた。


ユーチューブに「ナルト」など違法投稿容疑 中3を逮捕(asahi.com)


中3、ユーチューブに「銀魂」など違法投稿容疑(YOMIURI ONLINE)


名古屋市に住む中学3年生の少年が、動画投稿サイトのYouTubeに、発売前のマンガを無断で公開したというもの。

このニュースを聞いて、「起こるべくして、起きたな」という感じだ。


この事件のポイントは、2つ。

  • 発売前のマンガを入手していること。
  • 無断で、投稿サイトに投稿したこと。

発売前のマンガを入手していることは、捜査で明らかになるかと思われるが、投稿サイトに投稿したことは、これは、「誰にでもやり得る」話だ。


今回の事件は、著作権を侵害し悪質性が高いということで逮捕に踏み切ったそうだ。


さて、この中学生、「著作権」という言葉を知っていたのだろうか?

自分自身が中学生だったころを振り返ると、「コピー機」なるものは珍しい存在。
コンビニも、街にちらほらと出現しだした時代で、コピーなどしようと思うならば、図書館まで足を運ばなければならない大変な時代だった。

「複製」という意味では、「カセットレコーダー」で、レコード、テレビやラジオの「音声」を録音したりしていたことを覚えている。
あくまでも、「機械いじり」と「複製したものを自分自身で楽しむ」ことが目的で楽しんでいた。

恐らく、この中学生も、「パソコンをいじって」、「公開して楽しむ」ことをしていたのだろう。

ここで、昔と大きく異なるのが、「世間一般に公開出来る」ツールを身近に手にしていること。

コミュニケーションの対象範囲も、昔ならば家族や友人が一般的。私自身、最大でも、中学時代にイギリス人の同じ中学生との文通などがある程度だ。今のような電子メールでは無いから、時間もお金もかかる。

しかし、今では、インターネットを介して、非常に多くの人と、手軽にコミュニケーションが行える。一度も会ったことなく、本名を知らない人とでさえ、コミュニケーションがとれるのだ。


さて、今回の事件は、周囲の大人が、もっと配慮すべきだったのではないだろうか。

中学生という好奇心が旺盛な時期に、パソコンが好きな子であれば、とことん新しいソフトウェアを駆使しながら、いろんなことを「試してみる」のは、当然あり得る。


今の子供たちは、過去に比べて、様々な情報にも接することができる一方、情報を発信することも可能だ。

最近では、「学校裏サイト」なるものも存在し、「今時のいじめ」も存在しているらしい。コミュニケーションスキルが不十分な時期に、ツールを手にしてしまうと、不適切な使い方をしてしまうのは、避けられない。


我々大人は、如何にこうした「新しいコミュニケーションツール」を、子供たちに使わせるか、もっと真剣に考えるべきなのだろう。

2010年6月14日月曜日

「はやぶさ帰還」に見る、メディアの使い方とは。

世の中がワールドカップで賑わっている中、日本の小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還。地球を出発しての7年ぶりの帰還。

「はやぶさ」は、2005年に地球から3億キロ離れた小惑星「イトカワ」に着陸を果たして、そこで採取した「砂」を持ち帰っているのだという。幾多のトラブルにも見舞われながらの帰還だ。


さて、この「はやぶさ」の地球への帰還に関して、インターネット上で話題になっていることがある。それは、「はやぶさの地球帰還についてTV中継が無い」ということだ。


結局、テレビ各局によるによる生中継はなく、インターネット上のUstreamやTwitterなどでリアルタイムで伝えられた。

ちょうど、地球への帰還時間がワールドカップの試合にも重なっていたためか、テレビ放送では生中継はされなかったのだ。その他にも、諸事情はあっただろう。


Twitter上のNHKの広報アカウントは、どうやら対処できなくなったのか一時的にストップ。NHK朝のニュース「おはよう日本」のアカウントで、取り上げるアナウンスといった感じだ。


さて、今回の「帰還」について、インターネット上で直前になり話題になっている状況に、いささか私は冷めて見ている。

「はやぶさ」の小惑星探査という偉業に対しては、これに携わった方々に非常に敬服している。

しかし、こうした偉業を紹介している東京大手町にあるJAXAの広報スペースが、先日の事業仕分けでは「廃止」とされていた。その時の反応と、昨夜から今日にかけてのネット上の反応にギャップを感じている。

私は、過去、何度かJAXAの広報スペースに足を運んだことがある。様々な取り組みを分かりやすく紹介していた。確かに、広報そのもののやり方が悪いのか、訪れる人は疎らだったことを覚えている。これほど、インターネット上で盛り上がるのであれば、もっと来訪する人がいても良いのではというのが正直な感想だ。


インターネットというツールが世に普及し、情報を容易に受発信出来るようになった。

一方、従来のテレビ放送は、許認可を受けた一部の団体が、専門的な技術を介して広く情報発信する仕組みである。更に民放各社は、広告主であるスポンサーにより成り立っている。

私個人としては、そもそも、テレビとインターネットは、全く違う特徴を持ったメディアだと考えており、使う側も、それを意識して使うべきだと考えている。

テレビ放送はインターネットに迎合すべきではないし、情報を取り扱う専門家集団としての「質」を追求してもらいたい。


一方のインターネットは、ソーシャルな草の根的な要素を持つメディアでもあり、テレビでは出来ない特徴も多々ある。そうした特徴こそ活かすべきだろう。


ところで、アメリカの放送局は、日本よりも積極的に、「テレビ」というメディアと、「インターネット」というメディアを、それぞれの特徴を活かしながら使用しているようだ。これらの違いは、日米の法制度の違いに起因するものもあるようである。


情報発信者側のメディアの使い方、情報受信者側のメディアの接し方、それぞれが、次の時代への変革の時期に、今ちょうど、差し掛かってきているのだろう。

2010年6月13日日曜日

「次に活かせる失敗」と、「単なる失敗」の違い。。

先日、Twitter上で、原口総務大臣がとある有名人の名言を紹介。
印象に残ったので、ここで取り上げたい。。

諸君は必ず失敗する。
ずいぶん失敗する。
成功があるかもしれませぬけど、成功より失敗が多い。
失敗に落胆しなさるな。
失敗に打ち勝たねばならぬ。
たびたび失敗すると、そこで大切な経験を得る。
この経験によって、もって成功を期さなければならぬのである。

これは、早稲田大学の創始者であり教育者、そして第17代内閣総理大臣である、大隈重信の言葉。


「成功」というものよりも「失敗」というもののほうが、そもそも多い、そして多くのことに挑戦すべし。失敗することは目的ではないが、失敗に学ぶことは多々ある。
果敢に挑戦し、経験することで、そこから学び成功に近づくべしというような意味。


ビジネスにおいて、「失敗」となると、どうしても責任追及などの雰囲気になりやすい。最近の社会全体の風潮も同じだ。特にメディアなどの報道姿勢も、そのような傾向がある。

「失敗」が発生してしまった際に、まずは「原因究明」を行うことが重要だ。
「失敗」を招いてしまった背景、環境、条件、手順、からくり、これらを方程式を解くように、分解しながら検討する。

更に「失敗」が、将来に活きるか否かは、その失敗を招いた行動が、「仮説」を伴った行動であったか、そうでなかったかにより、更にその質は変わる。


日常発生しやすい「ヒューマンエラー」等による「失敗」は、その行動の手順等を改善すればよい。

一方の「仮説」を立てた上での行動における「失敗」は、将来の計画をするうえで、非常に重要な「ヒント」を与えてくれる。特に戦略を立てる上でも重要だ。


最近の航空業界では、「失敗情報」を積極的に報告出来る仕組み作りが行われている。
機体の整備などにおける「失敗」を、次に繰り返さないための仕組みづくりである。

何百人もの命を預けて、安全運航を心掛けるためには、ちょっとしたミスも許されない。しかし、かといって人間である以上100%はあり得ない。

そうした背景もあり、「失敗の報告しやすい職場づくり」を心掛けることにより、業務改善に取り組み、結果として、安全運航・定時運行の数値にも反映したのだという。
こうした職場づくりに取り組む前は、やはり「隠蔽体質」があったとか。


私の古巣の流通でも「仮説」「実施」「検証」のサイクルを現場で徹底させられた。
特に「数値結果のデータの検証」よりも、どちらかというと、次のステップに対しての「仮説立案」を重視していた。


さて、日々のビジネスにおいても、「失敗」は起きるときには起きてしまうものだ。

その際に、日々の活動で、常に、「目的」「意図」「仮説」というものを意識しながら行動することが、同じ「失敗」を招いてしまっても、次に活かすことが出来るか否かを左右してしまう重要なことだと捉えるべきだろう。