2010年3月13日土曜日

iPhoneの事例に学ぶ、新しいコミュニケーション

昨日、とあるiPhoneのセミナーに参加する機会があった。
2月にも一度開催して、人気があったらしく、再度同様の内容で追加開催というものだった。

2008年にソフトバンクからiPhoneが発売されて2年弱。
単なる「流行りもの」から脱却し、着実にそのiPhoneそのものの機能を活かした使われ方が事例として出てきているようだ。


セミナーでは、いくつかの事例があったのだが、そのなかで印象に残ったものを一つ。

iPhoneを、「聴覚障害自動向けシステム」として利用している事例。

これは、ソフトバンクモバイル、長野サマライズセンター、筑波技術大学、群馬大学等がシステムを開発。

セミナーではとある長野県内の小学校の授業風景を紹介。

このシステムは、聴覚に障害を持つ人が学校での授業で参加する際に、ほぼリアルタイムで、先生の声をテキスト情報として見ることが出来るシステム。

システムはこんな感じ。
先生が話す声を、マイクを使って聴覚障害の生徒が持つiPhoneに転送。iPhoneから携帯電話機能で遠隔地にその音声を送信。遠隔地でボランティアが2名体制でパソコンで、テキスト情報に書き起こし。その書き起こされたテキスト情報が、リアルタイムでインターネット経由でiPhoneに送信されるという仕組み。
僅かな時間差はあるものの、ほぼリアルタイムで生徒は、健常者と同じように先生の声をテキスト情報で確認できるのだ。

セミナーでは、この授業を受けた生徒から、孫社長への手紙も紹介。「今まで、授業が面白くなかったが、先生の声がわかって楽しい。毎日の学校が楽しくてしょうがない。」こんな声が届けられているのだという。ジーンと心に響く話だ。「iPhone Love」と手書きで書いている子供の絵が、非常にに印象に残る。

この仕組みは、塩尻市市議会等で議事録作成としても利用されているらしい。


さて、こうしたITを使った試み。
これこそ、ITをきちんとした形で有益に使われている事例の一つだ。

インターネットの「功」と「罪」の両方が取り沙汰されている中で、一つでも多くのこうした「功」を新たに構築し、より多くの人々にとって喜ばれるものを提供したいものだ。


■ソフトバンクモバイル社:関連過去発表リリース
携帯電話を活用した聴覚障がい者向け「モバイル型遠隔情報保障システム」の導入実験開始について

2010年3月12日金曜日

「新村社会」で生活する若者たち

今晩、とあるテレビ番組で面白い特集をしていた。
「近頃の若者論」をテーマにしていた。


「近頃の若者はなぜダメなのか」の著者である、博報堂研究開発局 主任研究員 原田曜平氏がゲストに出演。近頃の若者を「新村社会」の中で行動していることを紹介していた。

「ケータイ世代」である、20代は携帯電話を中心に「常に、誰かと繋がっている」というのが当たり前。そんな若者たちが生活する環境を、「新村社会」として表現。
かつての日本にもあった村社会。どこに行くにも誰かが見ていたり、周囲の反応を気にしたりなど、かつて存在した村社会に、今の若者たちの環境を例えているのだ。

そんな「新村社会」には、5つの掟があるのだそうだ。
その掟とは、

  1. 愛想笑いを絶やさない
  2. 弱っている人を励まさなければならない
  3. 一体感を演出しなければならない
  4. 会話を途切れさせない
  5. 共通の話題をつくらなければならない

…という。
こうしたことが、20代では無意識にしているのだそうだ。

そうした意識が、若い人の自ずと場の空気を読む「読空術」を鍛えている。
相手に合わせるのが上手な、コミュニケーション能力が高い若者が増えているのだ。

意見や希望を持っていても、表には表わさない。
人との衝突を恐れて、無難に済ます。
親とは、友達感覚で、友達との関係に気を使う。

さて、こうした若者世代であるが、コミュニケーションという視点でいうと、ネットワークの広さについて、自分の学生時代に比べると、非常に広く比べ物にならない。羨ましいくらいだ。

常にこうしたネットワークがあるので、様々な情報も容易に手に入れることが出来る。
そうしたこともあり、半径5キロ圏内で生活が完結してしまう人がいたり、逆に、このネットワークを駆使して活動している人もいるのだそうだ。


さて、こうした若者世代、社会人とともにインターネットを使い始めた我々の世代、さらにずっとアナログで活動されてきた先輩方の世代、それぞれコミュニケーション的な視点では、おそらく考え方を異にするところだろう。

こうしたコミュニケーション視点のギャップは、恐らくこれからのビジネスにおいても、企業内で大きな課題の一つになるのではと思われる。

ステレオタイプ的に世代間を、一括りにしてしまうのは危険だが、少なからず感覚というものは、育ってきた社会環境によってその価値観も異なる。

企業組織で円滑に業務を遂行するための一つの要素である社内コミュニケーション。
それぞれの長所・短所を、良く理解し、それぞれを補う工夫や意識改革が必要なのではないだろうかと思うのである。

2010年3月11日木曜日

対価を頂いて「仕事する」ということを考えてみる。。

今日のNHKの番組で「過払い金トラブル」を取り上げていた。

多重債務等で困った消費者が、弁護士に相談。
しかし、過払いを回収できても、弁護士費用としてほとんどが弁護士のお財布に。当の本人が生活再建出来ないという事態が起きているのだという。

ひどい話だ。

そもそも、弁護士という職業柄の倫理的な問題もあるが、弁護士に依頼するという行為が日常生活であまりないせいか、見積を事前に取るというようなことをしていなかったのだろう。いきなり請求書を見て、ビックリということが多々発生しているようだ。


生活弱者を痛めつける弁護士側の対応こそ非常に問題があるように思えるが、一方の仕事を依頼する側の「進め方」にも問題があるように、私は感じた。

ITの仕事をしていると、「わからないので、全てを任せる」という場面に遭遇する。そうした場合に、良く発生するのが「思った納品物と違う」といった結果。紛争に縺れ込む場合や、すべてやり直さざるを得ない結果になったり、お互いにとってマイナスの結果に。。。

本来、「仕事をお願いする」ということは、「自分(たち)の力で解決できないので、対価を払い依頼する」ことが主旨のはず。
であれば、「どうしたいか」というゴールがまず明確になっていなければならない。そして、仕事を受ける側は、「仕事に対して、対価はいくらなのか」を確認する。これは、ビジネスでは当たり前であり、日常生活で、買い物をする場合でも同じだろう。


一方、仕事を受ける側も配慮が必要だ。お金を頂いて動くという以上、「プロフェッショナル」として仕事を受けるのであれば、依頼する側がイメージする「ゴール」というものを専門家として依頼者から引き出し、それを「依頼側の視点」で可視化する。
ボランティアではなく、ビジネスである以上、それに対するコストも明示する。

当たり前のことであるが、このプロセスが出来ていないことが多い。さらに、自分たちの利益のみを優先し、こうした部分をブラックボックス化する企業さえある。


ビジネスにおいても、プライベートにおいても、仕事を依頼する側であれ、仕事を受ける側であれ、こうした視点は重要なポイントではなかろうか。

2010年3月10日水曜日

「FREE」って、どうなんだろう?

今日、一日でいろんなところで目に飛び込んできた言葉。
それは、「FREE」。

仕事の打ち合わせで出てきただけでなく、週刊ダイヤモンドのタイトル、今日のNHKクローズアップ現代でもこの「FREE」が特集として取り上げられていた。

さて、この「FREE」、所謂、「無料」のことだ。
各種クーポンや、フリーペーパーなど様々な業界でこの「無料」サービスというものが増えてきているのだ。

特に、NHKの番組では面白い実験を紹介していた。
それは、行動経済学の著書で有名な、ダン・アリエリー教授の実験。

それは、こんなものである。

とあるテーブルに、普通のチョコレートと、ブランド物のチョコレートがある。
普通のチョコレートは一つ2円。ブランド物のチョコレートは27円。この二つのチョコレートのどちらかを選んでくれというお題に対して、ほとんどの人がブランド物のチョコレートを選ぶのだという。
これを価格差は同じくして、普通のチョコレートを1円。ブランド物のチョコレートを26円としても結果は同じ。
ところが、普通のチョコレートを0円、つまり「無料」にすると、ほとんどの人が、この普通のチョコレートを選んだ

…といったもの。

「無料」というものには、今までの経済原理では、単なる「0円」としか受け取られていなかったが、最近の解釈では、それ以外の「価値的な意味がある」ということが学術的に研究されているそうだ。


ところで、この「無料」サービスを後押ししているのが、IT系のビジネス。
IT化することにより、様々なことが効率化され経費削減できることから、それらを加速させている。

具体的にも、Googleの各種サービス、無料インターネット通話のSkype、ウィキペディア等など、様々なものがあげられる。

さて、ここで気になるのが、こうしたサービスと同じカテゴリの既存からあるビジネス。こうしたサービスが出現すると、どうしても「無料」というものに対して、既存ビジネスが真正面からぶつかる格好になる。

私自身、非常に気にしているところが、サービスの内容(=質)をきちんと理解をしたうえで評価しているのかどうかというところだ。恐らく、ほとんどの人が、単に「無料」だけで判断しているのだろうと、先のアリエリー教授の実験からも読み取れる。

GoogleやSkypeなどは、表向きは「無料」にしても、きちんとビジネスとして成り立つものを構築している。こうしたものを構築していないと、自らのビジネスの命を絶ってしまわざるを得なく成りかねない。


この「FREE」という言葉。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のワンシーンで、主役のマーティンが、タイムマシンで30年昔にタイムスリップ。
とあるカフェでノンシュガーのコーヒーを注文する際に、「コーヒー フリーで」とのオーダー。注文を受けた店の主人が「うちには、タダのものなんて無い!」とムカっとするシーンがあったことを思い出す。

店のマスターではないが、今の世の中、「タダ」のものが徐々に増えているのもの事実。

今、この時点では、言葉としてはバズワードとしての感が否めないものの、無謀な価格競争を拍車させるような使い方だけは、避けてもらいたいというのが、本音のところだ。

2010年3月9日火曜日

「安心・安全公共コモンズ」の実証実験

総務省が推進する、行政機関からの災害情報を円滑に伝達するシステム、およびシステムの共通化プロジェクト、「安心・安全公共コモンズ」の実証実験の様子が昨日のニュースで紹介されていた。

この「安心・安全公共コモンズ」とは、市区町村、交通機関、電気・ガスなどのライフライン事業者などから、全国の防災・地域情報を収集し、テレビ・ラジオ等のマスコミ、パソコンや携帯電話などのインターネットインフラ、街のサインボードに至るメディア等の公共メディアに配信する情報基盤づくりである。


■総務省:地域の安心・安全情報基盤に係る実証実験の実施



従来のこうした情報は、多方面から多様な情報が発信され、さらに多様なメディアが情報を発信し、我々生活者が情報を受け取るという仕組みになっていた。今でもそうなっている。

これを、データの収集・配信の機能のフォーマット化、情報形式のフォーマット化し、それらを授受する災害情報基盤システムを構築するというのが趣旨だ。

これらの実証実験が、テスト地域で行われているのだ。

例えば、テレビに映し出される「テキスト情報」の災害情報テロップ。
これも、現在は各社別々であり、様々な表現がされている。

こうした災害情報も、情報元である市区町村等で、決められたテンプレートフォーマットに情報を入力することで、そのまま瞬時にテレビ側でも放送されるようにしようとする試みが行われているのだ。


さて、このテンプレートフォーマット化というものは、我々のビジネスにおいても良く使われる。お問い合わせ・苦情受付から業務報告、各種監査・診断等においても、決められたフォーム(書式)を用いる。

これは、「集めなければならない情報」に対して、情報を発信する側によって、表現の違い、内容のブレ、量の多少を偏重を防止するために用いるものだ。

幅広い自由な視点で情報を求める場合と、焦点を絞って情報を集める場合とで、その手法を変えることによって、情報収集の効果が変わってくる。

身の回りの、情報収集する各種ツール類。
現状、どうなっているのか、今一度点検してみるのも、たまには良いかもしれない。

2010年3月8日月曜日

過去の失敗を、今後に活かすということ。。

今日で、とある大きな事故からちょうど10年がたった。
その事故とは、営団地下鉄(現:東京メトロ)日比谷線の脱線衝突事故だ。

現場となった中目黒駅近くの慰霊碑で、本日、犠牲者を追悼する催しがあった。

この脱線衝突事故は、一方の電車が対向の線路にはみ出して起きたもの。

中目黒駅の日比谷線の恵比寿駅側の線路は、勾配のある急カーブが続いている。
一度、この場所を乗車したことのある方は経験したことがあると思われるが、この場所を通過する際に、車輪がレールに軋(きし)む音が激しいことに気付くであろう。
それだけ、急カーブな所なのだ。

そうしたカーブの所で、レールに対して車輪がせり上がり、脱線してしまった所に対向列車とすれ違い、脱線してしまったのだ。

この事故を教訓に、脱線防止のレールの追加、せり上がり軽減のための潤滑油塗布機器の追加など、いくつかの対策が実行されたとのこと。


人間は、失敗から学ぶことによって成長する。企業も同じだ。

失敗情報を、単に責任の追及に終わらせるのではなく、なぜ起きてしまったのか、原因を丁寧に分析し、次に起きないようにするにはどうしたら良いのか、徹底的に解明することが大切だ。

更に、こうした失敗情報を、ある一部の人間だけで管理するのではなく、出来る限り多くの人間で共有することで、次の失敗を出来る限り喰いとめることにも繋がる。


さて、東京の鉄道は多くの会社が乗り入れて運行されている。
だからこそ、今回の事故の教訓での対策も、一つの鉄道会社での対策ではなく、業界をまたがっての情報共有と安全対策を行うことが、犠牲になった方々へのご冥福を祈るためにも、実行されることが期待される。

2010年3月7日日曜日

身近になった、インターネット中継

最近、私の仕事の周りで耳にするようになったのが「Ustream(ユーストリーム)」というサービス。

Ustream.tv


これは、アメリカの動画共有・映像配信サービス。
ストリーミング動画をリアルタイム配信が無料でできるのが特長だ。動画が撮影できるカメラとパソコン、インターネット環境があれば、誰もが動画中継出来るというサービス。

さらに、昨年にはiPhoneから中継できるアプリケーションが発表されるなど、さらに手軽な環境が整いつつあるのだ。

ソフトバンクでは、2月に決算発表会等にも既に利用されたりしている。

このUstreamは、ミニブログサービスであるTwitterとも相性が良い。

入力する画面とレビューの画面が同一画面上にあり、リアルタイム性のあるサービス同士と組み合わせて利用することが出来る。

ブロードバンドならではの情報のやり取りが可能となる一方、情報自身も素人から玄人までありとあらゆる人が双方向で情報の授受が出来るようになる。

既に昨年の事業仕訳の模様も、このUstreamで実況中継もあったようだ。

企業にとって、リアルタイムでの情報発信ツールとして、これから注目すべきツールの一つだろう。

一方で、押さえておかなければならない視点もある。

公共性のある放送事業の免許を持ったテレビ局の放送は、専門家が、予め内容を整理された上での中継なっている(基本的には・・・)。一方、インターネット中継は、個人で手軽に中継できることから、場合によってはありのまま流されることもある。つまり、情報の受け手、見る側の情報リテラシーが問われてくる。

情報そのものを、きちんと目利きできるスキル。

日頃から、モノの見方を鍛えておく必要がある時代に、既に突入しているのだろう。