2010年1月14日木曜日

ビジネスでは、「予想屋」ではなく、「想定屋」であれ!

「予想」と「想定」という言葉がある。皆さん、上手く使い分けているだろうか?


世間には、競馬や競艇などでは「予想屋」なる人がいる。場外馬券場の近くには、大きなレースが開催されるとなると、「あの馬が今日のイチオシ」「今日のレースは、○○が買いだ!」などと言う人たちが出てくる。こうした人たちを、誰も「想定屋」とは言わない。


「予想」と「想定」というそれぞれの言葉は、個々に意味が異なる。

「予想」とは、今後の起こること、起きるであろうことを、単に見当をつけることを言う。一方「想定」は、状況や前提条件を仮に決めることだ。ビジネスでは、もちろん「想定」することが重要だ。

私自身、流通業に身を置いているときに、耳にタコが出来るほど「仮説・実施・検証」について、現場で身をもって叩き込まれた人間でもある。

この中の、「仮説」こそ、あらゆる情報をかき集めて、今後起こりうることを「想定する」という作業の上で成り立っているのである。

この「想定する」ということは、日ごろから癖をつけておかなければならないかもしれない。

「想定」する作業の緻密さは、後々に様々な場面で大きな影響を及ぼす。

仮説立案の判断材料ために収集する情報の鮮度と精度、そして仮説のロジック如何で、大きく判断を間違うことがある。その間違ってしまうことの多くが、「私情」によるものだと私は思っている。「直感」から導かれたからということではない。

「私情」とは、「こうなって欲しい」「こうなりたい」という願望が入っているのに対して、「直感」は、過去に蓄積された経験値により、ある種の一定の暗黙のロジックによって直接判断に導かれているものと、私は解釈している。

冷静に見極め、正しく理解し、正しい論理的思考を用いて、集められた情報を、今後起こり得るであろうことに対する判断のための前提条件として取り扱わなければならない。そこに「私情」は禁物だ。


今、未曾有の大不況、デフレスパイラル・・・・、と、誰もが経験したことのない社会ではあるものの、こうした時代だからこそ、情報を正しく見極め、今後の舵取りの材料として取り扱える力が必要なのだと思う。


数年前に流行した言葉として「想定内」という言葉があった。

モノゴトを「想定内」に収められるか「想定外」になってしまうかは、事前の「情報収集」と、それに基づく、「あらゆる角度からの前提条件に対する検討」が、出来ているか出来ていないかにかかわってくるのだ。