2010年2月5日金曜日

「心技体」に思うこと。。

横綱朝青龍が、昨日引退をした。
引退会見での「モンゴルの一少年を、ここまで育ててくれたことに感謝」という言葉が、非常に印象的だった。「力士というよりも、プロのアスリートだな」という印象を受けたのだった。


相撲界は、ここ最近、土俵外の色々な面で、世間を騒がしてきた。
とくに、朝青龍関の問題に関しては、「品格」やら、「心技体」の「心」について、取り立たされてきた。

私自身、この話題について、相撲界、とりわけ朝青龍関にばかり目を向けられているが、実は、我々自身にも、同じことが言えるのではないかと、常々思ってきたのだった。


「品格」や「心技体」について、私自身、学生時代などを振り返ると、どちらかというと、「古臭い」「堅苦しい」ものとして、正直、拒否反応を持っていた。「強ければよい」「勝てばよい」というように。。

そして、社会に出て何年か経験した後、特に今の日本の状況を鑑みて、この言葉の持つ意味の重さ、重要性を感じるようになっている。


「心技体」は、よくスポーツで使用されるが、ビジネスでも、日常生活でも関わるのではないだろうか。特に「心」。

スポーツでは、「心」については、「強い精神力」「勝つという気迫、意識」というところのみフォーカスする人がいるが、これは、「勝負」のみにフォーカスした場合。

日本古来の相撲、柔道、剣道などの「道(どう)」という視点で見た場合、「感謝」「敬意」という概念が重要性を持つ。相手への感謝、闘いの場への感謝、道具への感謝など。。

先日まで、横綱審議委員を務めていた脚本家の内舘牧子氏は、朝青龍の引退に際し、「その国への敬意、その業界への敬意、そしてその仕事への敬意を払ってほしい」とコメントしていた。

「感謝」にしても「敬意」にしても、相手あってのことだ。

ビジネスにおいても、お客様への感謝、敬意があってこそ、お互いの間での信頼が醸成され、最終的に、それが「売上」や「ブランド力」というものにつながるのだと思っている。

また、企業内においても同じ。組織は、自分ひとりで動いているのではなく、相手があって、それぞれの役割の中、力を合わせて動いている。相手あってのことだ。


モノが溢れ時代が豊かになって、いつのまにか、社会全体が自分中心の考えになりがちな世の中になってきているのかもしれない。

そんな中で、今の不況を少しでも早く脱却するためにも、こうしたことに対する意識改革を、こつこつと積み上げていかなければならない時代になってしまっているのではないかと考えたりする。。