こんなことを考えるのも、ここ数日の菅改造内閣の新たな閣僚人事をみながら思ったこと。
本日、副大臣、政務官等が出そろった。
ところで、日本語に、「適材適所」という言葉がある。
御存じのとおり、人の能力や特性を正しく評価して、ふさわしい地位・仕事につけることを意味する言葉。
この語源は、日本家屋や寺社などの建築における材料の「木材」の使い分けにあるそうだ。
土台には腐りにくい耐久性のある材料、内装には、木目の美しい材料、屋根や梁には強靭な材料といった具合に使い分ける。
この材料の使い分けには、きちんとした大工の目利きがあってこそ行える。
さて、一方の人間に注目してみる。
人事における「適材適所」を実行するためには、個々の人間が備える「強み」や「弱み」を目利き出来なければいけない。
しかし、木材のように、これをはっきりと評価するのは、中々難しいものだ。
上司部下の関係で、多くの上司は、その部下の「出来ない点」ばかりに目が行くことが多い。
その部下の「強み」「長所」を見出せる人は、なかなかいない。
何故だろうか。恐らく、日々、そういう視点で見る癖が出来ていないからだろう。
また、自分自身さえも、「強み」と「弱み」を上手く認識出来ていないこともある。
さて、この「強み」と「弱み」。視点を変えると「弱み」が「強み」にもなることがある。
例えば、慎重な性格の人がいたとする。
慎重な性格のために、中々思いきったアクションが出来ず、プロジェクトが遅々と進まないということもあるだろう。
しかし、慎重な性格の人は、視点を変えると、非常に作業が正確な場合もある。
きちんと決められたルールに則り、100%的確な作業を遂行出来るといった具合。
こうして視点を変えることで、その人のパフォーマンスは最大化される。
そして、このパフォーマンスを最大化させることは、マネジメントする側の責務でもあると私は考える。
冒頭で、100点満点の人間などいないと書いた。
私自身、不合格点の面も多々あると思っている。
こうした苦手な部分があるからこそ、会社やプロジェクトチームで強みを持ちあい、組織としてパフォーマンスを最大化させようとするのだ。
そして、それが最大化されている組織こそ、強い組織なのだと思う。
「適(人)材適所」が「適財(務)適所」になっていないか。
人がいて初めて、会社や組織は成り立つ。
最近の組織論。こんな視点が少し欠けているのではと、つくづく思う。