2010年7月25日日曜日

「公共性」における、「匿名性」を考える

昨日の本ブログで、「情報化」というものを取り上げて見た。

今日も、その「情報化」に関わりそうなテーマの記事を見つけたので取り上げて見たい。

時代の風:公共性と匿名性=精神科医・斎藤環(毎日.jp)


日本人の「公共性」と「匿名性」について、精神科医斎藤先生による寄稿。

最近の駅員への暴力や満員電車における痴漢を例に、日本人の「公共性」と「匿名性」の特異性を説明。

さらに、2ちゃんねるなどの匿名掲示板における書き込みについても触れ、匿名性が高いほど人間の攻撃性が誘発されることを指摘。


さて、昨日の「情報化」において、日本人は情報に対する受け身がちだと指摘したが、匿名環境下では、やや異なるようだ。

匿名環境になると、どうやら、たちまち情報発信量は多くなるようだ。

匿名環境下でのオンラインコミュニティは、実名環境よりも情報のトラフィックが多い。情報のトラフィックが多いだけあって、情報の質にも差が大きく出てしまう。
匿名環境下における情報を、すべて否定するわけではないが、情報の真贋も見極めなければならないことが求められる。


「匿名性」という環境下での情報は、あくまでも「仮面をかぶった個人」による情報。

その個人が、どのような思惑で情報を発信しているのか、情報を取り扱うものとしては注意したいところだ。

ただし、ここ数年のインターネットメディアの動きをみていると、匿名性から実名性への流れが出来上がっているのも事実。
恐らく、海外の動きにあわせての流れだと思われる。
こうした海外のうねりの中で、私たち自身は、公共性のなかでの「匿名」での行為というものを、もう一度見つめ直してみないといけないのではなかろうかと思う。