猛暑が続いているが、暦の上では今日は立秋。
そんななか、今日は家族で墓参りに出かけた。
夏休みシーズンが開始し、渋滞で混雑する都内を抜けて一路、静岡へ。
静岡のとある霊園には、親戚の墓が集まっている。
私の家族では、年に何度か訪れることが恒例になっている。
ところで、今週、特に印象に残ったニュースは何と言っても、都内最高齢の老人が行方不明という話題。
世界的にもトップの長寿国を誇る日本。そんな日本の国内で、このような事態に見舞われていることは、海外のメディアでも大きく捉えられているようだ。
東京都の行方不明のニュースが発表されたあと、同様の状況が全国各地にも居ることが判明。現在でも、100歳以上の高齢者が数十人存在するという事態に。恐らく、80歳や90歳の方を含めると、相当な数にのぼるのではないのではないか。
どうして、このような状態が生まれてしまったのか。
行政が、もっと踏み込んで確認すべきだという意見もあるようだが、大きくは、核家族化、人と人とのコミュニケーション、更に家族同士のコミュニケーションの希薄化が、こうしたことを生んでいるのだろう。
私の周囲にも、何年も親とコミュニケーションを取っていないという人が、結構いる。
週に1度は、何かしらのコミュニケーションがある私からみると、不思議な感じだが、かなりの割合でいるので、私の方が珍しい存在なのかもしれない。
10代、20代のころまでは、こうしたコミュニケーションが、非常に面倒なものと感じていたが、逆に40代直前にまでなると、親も高齢になり、逆に健康面を心配したりして、そのコミュニケーションの目的も変化する。また、昔、叱られていたようなことが、自身が親の年齢に近づいてくると、その意味が、今となって分かるようにもなったりする。
親だけでなく、年長者とのコミュニケーションには、色々と学ばせて頂くことが多い。
生活における知恵袋的なことから、仕事におけるノウハウまで、それは様々だ。
インターネットのような無限量のデータベースが存在し、知恵袋として利用することは可能だが、それは、フェース・トゥ・フェースで、実経験者からのコミュニケーションで学べる内容には及ばない。
人と人とのコミュニケーションは、様々なことを学ぶ機会でもあるのだ。
今週の高齢者行方不明事件は、家族間、地域間におけるそうしたコミュニケーションの希薄化を顕著に表わしている。
さて、今日の墓参りを通して、コミュニケーションはあらゆる意味で大切なのだと、つくづく思うのだった。