2009年10月5日月曜日

「煩音」、これ何て読む?!

今日初めて知った言葉、、、「煩音」。これを「はんおん」と呼ぶらしい。


この言葉を知ったのは、本日放送されていたとあるテレビ番組で知った。

その番組のテーマは、「公園の騒音問題」。

最近の公園では、今までのような、夜間に若者が騒いでうるさいというような騒音問題だけでなく、昼間の子供の遊び声、朝のラジオ体操といったものに対する苦情が、市役所等に出されているというのだ。少し驚いた。

昔からある公園も、子供が遊んでいるのは今も昔も変わらない。
どうやら、その公園の周辺の社会環境が変わってしまっているようだ。

番組では、数十年前の街並みと現在と比較をしていたが、公園の周りに集合住宅が増え、近隣住民の顔が見えなくなったことが、この問題の要因にあるとのことだ。
つまり、遊んでいる子供が、どこの子供かわからず、それがゆえ、心理的に子供の遊び声が「不快」に感じてしまうのだというのだ。
確かに、ライブなどの会場ではうるさく感じないのに、興味が無い周辺の人間は、うるさく感じるのと同じだ。

これら問題を考える時に、「騒音」問題と「煩音」問題とに分けて考えるとのこと。

ここで、もう一度言葉の定義をすると、「騒音」とは「生理的」に不快に感じる音、聞きたくない音。「煩音」とは「心理的」に不快に感じる音、聞きたくない音ととのこと。

「前者を解決するには、音量を減らせば対策ができるが、後者は、相手への誠意が無いと解決できない」とも放送していた。


情報というものは、発信側にも受信側にもそれぞれの意思があり、なかなか上手く伝わるものではない。今回の「音」一つとっても、発信側の視点、受信側の視点、双方が共通のベクトルが無いために、「マイナス」に影響する「煩音」というものになってしまっているのである。


これらの問題は、現代のITに依存し過ぎたコミュニケーション手段が抱える問題を顕著にあらわしているように思える。

「コミュニケーション量」、「コミュニケーション手法」、「自己中心主義」、「相手への思いやり」など、こうしたコミュニケーションを円滑にするための要素が、現状どのようになっているのか、今一度見つめなおさなければならない時代なのだろう。