何やら、たくさんの「モノ」が張り付けてある。。
これは、朝日新聞の広告。JR秋葉原駅での様子。
秋葉原のような乗降客の多い駅構内の広告は、人通りが多いため、一度に大量の露出が見込まれる。しかし、それを見る人は、歩いている。そう、つまり一瞬のうちに、注目をさせて何か引き付けるか覚えてもらうことをしなければならない。今回の手法としては前者だ。
新聞という商品は、既に誰もが知っており、さらにブランドとしても、当たり前のように認知されている。そうしたところで、単なるポスター広告では注目があつまらない。
そこで、今回のような「はがして、持ち帰れる」ギミックを導入することにより、通りすがりの人も、「あっ、何これっ?」と注目するわけだ。
さらに、通常の新聞サイズのミニ版(B5版のサイズを四つ折り)という物珍しさもり、興味本位に持ち帰るという感じだ。
私自身、朝日新聞のこの広告を見るのは、今回は2度目。この他にも、いくつかの広告を最近めにしたことがある。
広告の目的は、原理原則に立ち戻ると、まず「覚えてもらう」「知ってもらう」ことのきっかけ作り。だが最近は、広告の訴求効果が低下しているという話を耳にする。これは、情報の受け手の「広告を見る目」が肥えてしまったこと、そして、あまりにも情報量が増えてしまったことなども影響していると私は思う。
商品自身が汎用化してきている現在、商品自身の差別化が出せない中でも、新しい商品をより多くの人に知ってもらうためには、どこかで注目をさせて、目を向けてもらう必要がある。
ただし、単に印象づけさせるだけの広告では、最終的にその商品の売上に繋げられることはできない。
まず最初の商品自身を知ってもらうところにはじまり、最終的に商品を使用してもらうところまで、情報の受け手の立場で考えられた、一貫した戦略が必要だ。多くの広告戦略が、一部に終始したり、情報の受け手の立場で考えられていなかったりしているのが実情かもしれない。