さて、ボジョレー・ヌーボーを、改めて定義をすると、フランスのブルゴーニュ地方の南部、ボジョレーで生産されたワインのうち、その年に収穫されたブドウ(ガメ種というらしい)で作られた新種の赤ワイン。本来は、その年のブドウの出来具合を確認するものだとか。
毎年、その国の11月の第3木曜日の午前0時から販売が解禁される。
今年は、景気低迷のなかでの消費も落ち込み、そうしたなかで大手スーパー等では、1000円を切るような低価格商品も扱われている。そんな中に、ペットボトルタイプが販売されている。通常のビンに比べて、空輸コストや商品価格が抑えられるメリットがある。
そんなペットボトルワイン。
フランスの生産地の代表者が反対し、波紋を呼んでいる。理由は、伝統や品質保持を問題として反対しているのだ。
メーカー側は、ペットボトルも特別な特許を取っているもので、紫外線加工されているなど、品質をアピールしている。また、軽量なため輸送コストも減らせ、CO2削減にも繋げられるとのこと。
フランスは、伝統と文化を重んじる国。
確かにペットボトルワインは、価格を抑えられ、ワインをより手軽に身近に感じてもらいたいというメーカーの意向も理解できる。
しかし、ワインそのものが持つ歴史や文化、それを感じさせる手に持った時の独特のビンの重み。これは、ペットボトルワインでは恐らく表現出来ないだろう。
生産地の代表者の主張は、恐らく、機械的に無機質に守られている「品質」というよりも、歴史や文化に支えられた有機的な「品格」というものを守りたいということだったのだろう。
ところで、少し前に、「日本人の品格」という書籍が発刊され、その後も「○○の品格」という書籍が数多く出版された。
技術の発展に伴い、効率化・合理化される中でも、機械により数値的な「品質」を維持することは可能だ。しかし、機械で「品格」を維持することは出来ない。あくまでも、「人」だ。
この「品格」という言葉。日本人の心の中に普通にあったものが、最近はどこかに忘れてしまっているのではなかろうか。だからこそ、こうした書籍がブームになったのだろう。
ビジネスにおいても、温もりがある血の通った「品格」を兼ね備えた仕事っぷりを、大切にしたいものだ。
今回のフランスの生産者の代表の言葉で、そんなことを感じたのだった。