2010年1月17日日曜日

あの日、あの時。。

1995年1月17日、午前5時46分。。あの日、あの時は決して忘れられない。
そう、阪神淡路大震災から、あれから今日で15年だ。


あの日、私は大阪の豊中ということろに住んでいた。しかも、マンションの11階。

まだ、日の出前の薄暗い中、それは突然起こった。

ど~んと突き上げる揺れ、そして、今までに体験したことのない、大きな横揺れが続く。

ゆっさ、ゆっさという揺れ。いつもの地震とは違う。

その横揺れは、かなり長く感じられた。
咄嗟に布団を頭からかぶり、とにかく、経験したことのない揺れを耐えしのぐ。。
地震の時の、あの低いなんとも言えない音と、モノが壊れていく音が響き渡る。
「これで、全てが終わるのでは」と、一瞬、頭の中をよぎった。
もちろん、暗闇の中。

揺れが収まって周りを見渡すと、自室の棚、テレビ、CDラック。。ありとあらゆるものが倒れていた。そして、自分自身が部屋から出られない。やっとの思いで自室から出ると、他の部屋も同様の状態。
まずは家族全員の無事を確認し、ひと安心する。しかし、他の部屋も食器棚からはほとんどの食器が飛び出してしまうなど、足場がない。すかさず、何とか玄関にたどり着き、玄関のドアを開け、靴を履く。

そうこうしているうちに、夜が明ける。。
徐々に、当たりが明るくなると、窓の向こうに映る風景に、何やら煙が。。。。
そう、神戸方面上空に、煙が立ち上っているのである。まるで空襲の後の様子。もちろん、そんな空襲など経験したことないのだが。。

そして、幸いにも電気が止まっていなかったので、情報を収集するために、倒れていたテレビを元に戻し、電源を付けてNHKのニュースを確認。
しかし、NHKのニュースは、この時点でも全体像をつかんでいない。震度情報と自らのスタジオの状況を伝えているばかり。後に全国ネットの夜7時のニュースを担当することになる、宮田修アナウンサーが、大阪放送局から冷静に伝えていたのだ。(ちなみに、宮田アナ、その後NHKを退職し、この地震をきっかけに現在は宮司になっているらしい。)


今でも、鮮明にあの日のあの時のことは覚えている。
あの時、残念ながら犠牲になってしまった方も、私の周囲にもいた。

あれから、15年。

あの日、あの時経験した体験が、様々なシーンで現在の私に対して「リスク」というものを、意識させるようになっているのかもしれない。

あの時の経験値から、様々な分野で、色々なものが見直されるようになった。防災施設、防災マップ、ライフラインといった行政主導の公共的なものから、耐震技術、防災商品等の商品開発だけでなく、企業の災害時オペレーションなども、意識する企業は意識するようになった。


このような震災に限らず、経験値から知恵を得ることは多々ある。
経験したことを振り返り、じっくりと検証することにより、次に起きた時に未然に回避する。


ただ単に経験して終わらせるのではなく、それを教訓に未来に活かすことが何よりも大切だ。