2010年2月18日木曜日

情報社会インフラの将来像とは。。。

今日のBSフジプライムニュースで面白い特集をしていた。
テーマは、「情報通信技術が支える少子高齢化社会の将来像」というもの。
社会インフラとしての情報通信技術をテーマに報道していた。

ここでのキーワードは、「ユビキタスコンピューティング」
ユビキタス(Ubiquitous)とは、ラテン語が語源で、「神様はどこにでもいらっしゃる」という語源があるらしい。意味としては、「偏在」「どこにでもある」という概念で使用されている。

今日の番組では、ユビキタスの事例をいくつか紹介していた。具体的には、ICタグを利用した事例。

スーパー等では、食品のトレーサビリティ(追跡調査)を実施するために、ICタグを野菜に付けて栽培情報、農薬情報等を専用の端末で取得できる事例などを紹介。

更に、最近では、東京銀座で約1万個のICタグを埋め込み、実験していることなども紹介。外国人への観光情報の提供など、実験しているらしい。

東京ユビキタス計画

ICタグそのものは、特に目新しくは感じられなかったが、社会インフラとして、以前よりも具体的な取り組みが始められているのだなと感じた。

一方、社会インフラとしては、日本よりも一歩進んでいる海外事例も紹介されていた。

例えば、フィンランド。
フィンランドでは、電子カードを国が主導となって一本化し、様々なサービスに利用できるのだとか。1人1枚のカードが発行され、新生児が生まれて2時間後には個人別番号が付与される仕組みが既に構築されているらしい。


ところで、こうして益々便利になる情報技術であるが、最後に課題になるのは、「人間」そのものなのではないだろうか。

例えば、こうした「情報を伝えるツール」は、様々な形でこれからも発展を遂げるだろう。しかし、情報そのものを取り扱うのは、最後は「人間」だ。

情報そのものの「真贋」。悪意のある人間が介在する限り、「偽情報」というものは存在してしまう。
また、、情報の「複製」「漏洩」といった、本来意図したものでない目的で情報を利用するなどの「倫理面」の問題。

気になることは、まだまだ沢山ある。

番組の中でも、「自分さえ良ければよい」という視点で情報を扱う限り、問題はあるとの指摘していた。

更に、インフラそのもの対する考え方も変革が必要だと。つまり、インフラに対しての「保証」を求めるのではなく、「ベストエフォート」つまり、「完全保証はできないが、最善をつくす」ということに対する理解が必要とも指摘していた。コンピューターに完全を求めるべきではないということ。


「自分さえ良ければ」という考え方も、「ベストエフォート」への理解も、我々自身が「良心」持ち、「寛容な心」を持つことが重要であることを表しているのではないだろうか。

最新の技術の取り扱いも、突き詰めれば、人間自身の「心(ハート)」次第によって、良くも悪くもなってしまうのだろう。