2010年2月26日金曜日

「情報」というものの「価値」を考える

ちょっと今週、気になったニュース

米国3大ネットワークの一つABCが報道部門 ABC News に対して過去最大の大幅リストラを実施すると発表した。従業員約1300人に対しての20%~30%の約300人が対象なのだと。
競合ネットワークのCBSニュースも2月になって約90人のリストラを行っているそうだが、今回のABCニュースの規模は大きい。

昨年、NewYorkTimes紙も大規模なリストラを行った。過去に新聞等の印刷報道、文学などに与えられる米国で最も権威ある賞「ピューリッツァー賞」を受賞した敏腕記者までリストラされたという話も聞いたことがある。


ここで気になるのは、今、所謂、既存メディアと呼ばれる業態が新たな転換期を迎えている。従来の広告に依存したビジネスモデル。広告収入の減少が経営を危ぶませているのだ。広告収入減少の原因としてインターネット広告の台頭などを理由にしている論調も聞くが、「広告」そのもののが時代の転換期に差し掛かってきているのだと思う。

そうした意味で、広告に依存したモデルというのは、非常に危うい考えだが、そのようなこともあってか、「ニュース」そのものが有料化の動きも出てきている。

テレビでは、アメリカニュース専門放送局であるCNNなどが先駆けではないだろうか。今ではFOXニュースなどの競合放送局も台頭してきている。

しかし、一方でメディア報道が広告収入では成り立たなくなるということは、非常に大きな問題も抱えていると私は思っている。

それは、「広告で成り立つ」=「広く誰もが手軽に情報を得られる」ということであるが、これが崩れてしまうということに成りかねない。

つまり、裕福な人とそうでない人との間に情報格差が生まれてくるのではないだろうかということだ。

既に徐々にその傾向を感じている。

情報が氾濫していると言われているが、本当に必要な情報というものは限られている。
「最近は情報はタダ」と言われる人もいるが、そうした論調が、逆にこうした事態に拍車をかけてはいないだろうか。

果たして、それらの情報を目利きする力が必要であることに加えて、「入手するための資金」も必要になるという時代になるのだろうか。。。