2010年5月27日木曜日

日本人は、広告に寛容なのか!?

日本人は、欧米人と比べて広告に対しての感覚が違うのだろうか・・・?

とあるサイトで、下記のような記事を見つけた。

日本人は、欧米人よりオンラインメディアに積極的で広告に寛容 (日経BP ITPRO)


デロイト トーマツ コンサルティングが、日本におけるメディア消費について調査したもの。

インターネット、テレビ、新聞雑誌などのメディアについて、アメリカ、イギリス、ドイツの3カ国と日本の傾向を比較したものだ。


記事によると、

  1. オンラインメディアをより利用したいという傾向が日本は高い
  2. 日本は欧米に比べて自ら情報を発信することには消極的
  3. 欧米に比較して、広告配信に寛容的

という傾向が出ているとしている。

まず、1について。
情報収集のためのデバイスとして、特に携帯電話からの情報収集率が高いというのが、欧米と大きな違いがある。「ガラパゴス化」と言われている代表例の携帯電話、外国と比べて非常に多機能になり、情報収集のハードルが低く、容易にアクセスできることがこれを物語っているのだろうか。
私は、逆に従来のメディアの質の低下が、新しいメディアに対しての期待度を高めているとも見れるのではとも個人的に思える。

そして、2について。
これは、明らかに国民性の違い。情報に対して「メディア依存」の高いのが日本。
自分自身の意見を発表したり、意思を押し通すよりも、「カリスマ○○」というものを真似してみたり、情報番組や情報誌の流行に流されてしまったりする傾向が強いことも、このデータが物語っているのではなかろうか。
今の政治の混迷も、そんな世相から生まれてきているような気がする。

そして、3について。
これは、寛容と捉えるべきなのだろうか。「慣れ過ぎ」というものではないだろうか。
欧米に比べて、日本では、ありとあらゆるところで「広告」と言うものに接する。

電車の中づり・つり革、エスカレーターの手すり、ビルの看板から、電柱の張り紙。
欧米の人が、日本を象徴する映像を撮影する際、寺院以外に、こうした「混沌とする都市」をテーマにすることが多いのも、こうしたイメージからきているのではないだろうか。
個人的に、このような媒体や場所に広告を出すことの意図に疑問を感じてしまうものが多々ある。どう考えても、効果の見込めない広告出稿ということだ。

欧米は、費用対効果を非常に意識して広告を出稿する。
だから、日本に比べて、街中で広告を見ることが少ない。

日本は、インターネット広告の台頭により、ようやくこうしたことにも目を向けるようになったと言えるのではないだろうか。


様々なメディアが新たに出現し、世の中に氾濫する情報量も膨大になった。

情報を発信する企業、情報を受信する消費者も、それぞれ今までとは違う時代に突入した。
企業側は情報発信の効果を問い、消費者側は情報の真贋を見極める力が求められるようになったのだ。

この調査結果から、欧米との違いについて、まだまだ他にも仮説が立てられるかもしれない面白いデータだ。