2010年5月29日土曜日

iPadの発売に見る、情報リテラシーを考える

昨日、待ちに待ったアップル社の多機能端末、iPadが発売になった。
発売する各店舗の前には、長い列が出来ていたようだ。
多くのメディアが、iPadの発売開始を伝えていた。

印象的だったのが、巣鴨でのレポート。シニア層が多い巣鴨であるが、iPadへの反応がかなり好意的であったこと、特に操作感に対しての評価が高いことが、今後のユーザー層の拡大に期待が持てる。


さて、このような多機能な情報端末の登場により、より一般の人も様々な形で情報収集が出来るようになった。

常に身の回りで携帯できる端末を通して、あらゆる情報が簡単に入手できる。
非常に便利でもある。


今まで情報を入手するまでのプロセスと言うものが省かれ、ハードルが減ったことによる効果だ。

しかし、今までは、こうしたプロセスのなかで、情報を得ようとする側は、様々に思考し洞察を持って自身の考えをまとめることをしてきた。

情報が簡単に手に入れられることにより、物事を深く考えるということが減ってしまうのではという懸念が生まれてくる。


事実、現在の世相を見ても、政治からメディアの報道、ビジネス、教育、そして家庭に至るまで、表面的な事象ばかりに目が向けられ、その奥深くにある原因をじっくりと洞察を持って考えるということが、軽んじられているように見受けられる。

政治の混迷、不況からの脱出、職場環境、教育問題、様々な問題に対して、原因がある。しかし、これら表層の現象ばかりに目を奪われていると、本質を見極めることが出来ない。特に、この表層部分は、情報発信力のある側からの影響力も非常に左右されてしまう。

情報通信端末の発展とともに、それを使用する側の能力を、日頃から鍛錬することも大事だろう。