2010年5月20日木曜日

今日のBSフジプライムニュースで、「官僚の言葉」をテーマに放送していた。
所謂、「霞が関文学」言われるものだ。

ゲストは、猪瀬直樹氏。

過去の霞が関と対峙した事例を紹介していた。

霞が関文学と言われる具体的な事例としては、1文~2文入れ替えることにより、文章の内容の論理構成を変えてしまったり、読み手の印象を変えるような様々な表現なるものを言っている。

例えば、「純減」と「削減」。

1,000人の人間がいたとする。そのうち、100人を辞めさせ、新たに100人を採用。この場合を「削減」と言うらしい。しかし、実際の数としての「純減」にはなっていない。
そもそも、「補てん」することを話の前提に入れていなければ、実際の人員数が変わらずとも、役所的には「削減」させたとするらしい。


確かに、「補てん」について予め触れていなければ、当初の人員に対して「削減」したという視点では、論理的には正しい。


公の文章は、一言一句が非常に重みのあるもので、物事を大きく左右するものである。
だからこそ、そうした文章に日々接している人にとっては、文章自身の論理構成、言い回し、個々の単語を非常に厳しい目で見るのだ。

役所に提出する各書類を作成された経験のある方は、そうした「重み」というものを感じたことがあるのではないだろうか。

また、一方で、「月例文学」というのも紹介。所謂、景気動向を表す独特な言葉だ。
例えば、「足踏み」、「踊り場」、「下振れ懸念」、「底堅く推移」、「弱含んでいる」、「自立性は弱い」等など。

これらを考えるときには、英語に直して考えると良いと猪瀬氏。


電子メール、チャット、SNS、Blog、Twitterと、個人が気軽に情報発信出来るようになり、そこで扱われる文章というのは、非常に口語的であり、平易なものになっている一方、こうした公文書というものも存在し続ける。

このブログでも指摘しているが、日本語そのものがそもそも曖昧な表現を好む言葉。俳句や短歌の文化もあり、直接的な表現を避ける傾向もある。更に、主語も省略してしまうことが多い。


霞が関文学のような、人を誤魔化すような論理的な文章は、肯定的に思ってはいないが、「論理的に文章を書く力」や「行間を読み解く力」というものも、ビジネスでは忘れてはならない重要なスキルだろう。