2010年7月23日金曜日

たかが報告書、されど報告書。。。。。

今日、とあるプロジェクトが終了し、パートナー企業から報告を受けた。
ここではプロジェクトの内容は書くことが出来ないが、とある施策の実行プロジェクト。

パートナー企業からは、その報告に際してドキュメントとしてレポーティングをしてもらった。

さて、そのドキュメントには、施策を実施する上での仮説、実施した内容、そして結果を提出して頂いた。

結果自身については、ある程度想定していた内容でもあり、「あぁ、そうなのね」という印象だったが、ここでその報告で私が拘りたいのが一つある。

それは、「仮説」だ。


多くの業務での報告書には、「結果」が記載される。
「○○の取り組みは、○○だった。」「○○は、○○のようになった」の事実関係が整然と整理された報告書を良く目にする。

しかし、これらはあくまでも実際に起こった「結果」であり、報告書としては不十分。
ちょっと調べれば、直ぐにわかることばかり。
その当事者が、どう考え、どう行動し、どう結果に繋がったのか。
そこに至る経緯を可視化させることも重要だ。

特に、次のステップに活かせられるかどうかは、取り組み自身に対する「仮説」が重要になってくる。

「○○という仮説のもとに、○○を取り組み、結果、○○のようになった」という、仮説の部分の「○○」が重要なのだ。


この仮説の部分を疎かにして、プロジェクトに取り組んでしまうことが多々ある。

それは、結果を急ぐあまりによるものや、責任の追及ばかりに目が行ったりして、その取り組んだ本人が、今後どう成長して欲しいかという視点が欠け落ちてしまったマネジメント層が原因であることが多いと私は思う。

「反省会」という言葉がある。私は、この言葉を好まない。責任の追及会になってしまって、建設的な場にならないからだ。

「結果」は「結果」。

どうして、そのような結果になってしまったのかというプロセスの究明が、業務にとってはまずは重要だと思う。プロセスの究明には、その起点となる「仮説」が重要になってくるのだ。

「仮説」は、言い換えると、その取り組みの時点の前提条件、想定、環境や背景に基づいた論理構成でもある。

これを繰り返し、繰り返し分析していると、より精度の高い「仮説」を立てられる癖が付けられる。


さて、ビジネスで「ホウレンソウ」という言葉がある。所謂、「報告」「連絡」「相談」だ。

これらは、社会人1年生に叩き込まれるが、意外にその中身について言っている企業はそう多くないのではないだろうか。


一枚の報告書。この報告書が、次のビジネスの金卵になるか、単なる紙きれで終わってしまうかは、その報告の中身がポイント。
報告することが目的ではなく、その中身を、たまには改めて考えて見てはいかがだろうか。