2010年7月24日土曜日

「情報化」と「ニッポン」

今日、こんな記事をみつけた。

なぜか豊かさに直結しない日本の情報化(日経BP IT Pro)



IT技術の発展による「情報化」が、日本にとって、どうだったのかという問題提起だ。
記事では、工業化に成功した日本が、情報化では失敗したのは明確だとのこと。

私も、同感だがまだ、結論付けるのは早いかと。
ただし、遅れを取っているのは明確だろう。

違った視点で考えて見たい。


大きく遅れているのは、記事が指摘している既得権益の問題が一つあるのは間違いないが、もう一方の視点で、「日本人独特の文化」という視点もあるのではないかと思う。


まず、言葉の問題。

「情報化」の範疇で含まれるツール類、具体的にはコンピューター類であるが、そのほとんどが英語由来のカタカナ言葉で処理される。
私の周りにも、このカタカナ言葉で、コンピューター類に抵抗を持っている人が少なからずいる。さらに、年齢層が高い人ほど、この傾向は高い。
つまり、ビジネスにおける決済権者である役職者も、こうした抵抗感を持っている人も少なくないということだ。


二つ目に、「曖昧さを尊ぶ日本文化」。

日本文化は、良くも悪くも「曖昧な」部分が多い。日本語で主語を省略することでもわかるように、ストレートな表現というものを避ける傾向もある。
また、個人主義の進んだアメリカのように「契約文化」でも無いため、曖昧なままで上手く付き合うことに長けた国民でもある。それが、逆に、「情報」という無形のものを、明文化したり、可視化させたりすることに、不慣れになってしまっているのでもあろうかと私は思う。


そして三つ目が、「情報に対する受け身な姿勢」。

これは、島国、農耕文化に由来する国民性に起因しているのだろうか。
しかし、これは、最近、世代による違いも感じている。若い世代ほど、情報を上手く取り扱う傾向があるが、年齢が高まるほど、従来のマスメディアからの情報を受動的に収集するのに甘んじているような感じがしてならない。


さて、こうしてみると全てを否定してしまっているようにも見えるが、日本にも、繊細さやきめ細かさという、独特の国民性もある。また、「おもてなし文化」も日本として、世界に誇れる文化の一つでもあろう。

今までは、こうしたことを工業化時代における「モノ作り」に注ぎ込んできたのだろうが、これからは、情報化時代における「コト作り」に、上手く組み込めば、また違った日本の強みを取り入れた「情報化」が行えるのではないかと私は思う。